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江利チエミコミュの代表曲

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昭和29年2度目のレコーディング 19歳の「テネシーワルツ」

昭和49年発売、最後のヒット曲 37歳の「酒場にて」

コメント(11)



昭和27年発売 レコーディングは前年=14歳のテネシーワルツ


10周年記念LP(S37年発売)の25歳のテネシー、カモナマイハウス、ウスクダラ。
いろいろあって別れた旦那さんがいきなり映画でつかってファンはビックリしたテネシーワルツ



ジュー・スタッフォードのテネシーワルツ
テネシーワルツの歌詞には様々な「謎」が秘められています。
オリジナル...は、P・W・キング作のカウントリー・アンド・ウエスタンです。
チエミデビュー盤は 荒削り で 男っぽい といった印象を受けます。
地方公演に行ったときに待ち構えていた沿道の聴衆から「な---んだ江利チエミって女なんだ」...といわれたエピソードもあります。
この男性が歌う失恋のCWが、お手本の1つに違いない...と思います。
江利チエミ/入社テスト盤のさわりが先般BS朝日の三人娘特集でオンエアーされました。When an old friend,I happened to see.I introduced him to my loved one,and while they were... と歌っています。
これはオリジナル盤でもそうですが、
旧友=him に loved one=恋人 を紹介して...揚句に奪われる という男性用歌詞のままです。--->しかし本番では him --->her に歌い替えています。
これはもうひとつお手本があったからに違いない!
パティ・ペイジ??いえいえ...彼女のものも聴いたでしょうが、チエミさんは ジョー・スタッフォードのファンであったし、日本では本命「ワルツの女王/パティ・ペイジ」のものより先に、ジョー盤が発売されていたのです。
また、ほとんどのテネシーワルツが...
I was dancin' with my darlin'... and while they were dancin'... であるのです。これはオリジナルのP・W・キング盤もそうです。
しかし、ジョー盤の方は ワルツを踊る ではなく、ワルツをワルツする...
I was waltzin' with my darlin' で  and while they were waltzin'...
このイギリス英語(?)的な歌詞なのです。
確実に手本としたのは、オリジナル盤とジョー盤だったと思います。
このレコードはチエミさんを可愛がってくれたケネス・ボイドさんというGIさんがプレゼントしたものだという記述までは書かれているのですが、誰の??というのはどの文献・文章にも残っていません。
しかし...わたしは絶対にこの2枚!と確信しています。
そして...ニッポン語の歌詞と半々になることですが、チエミさんのキング入社をゴリ押しした初代/音羽たかし(訳詩のペンンネーム、歴代チエミさんの担当デレクターが襲名していきます)こと、和田寿三さんが「チャンポンで行こう!」というアイデアで英語/日本語チャンポンでのレコーディングとなりますが、最初に出来た歌詞がチエミさんにはどうしても納得がいかない...ようやく受かったキングの大デレクターに14歳の少女ははっきりと涙ながらに本番直前に訴えます!
「あの詩じゃ歌えない!あの詩はワルツにのらないの...」と...

※その歌詞はこうです... (去りにし夢〜麗しテネシーワルツの箇所です。)

♪涙で聴く あのテネシーワルツ 儚い恋のうた
   一人で帰った あの夜も聴いた 美し(うるわし)テネシーワルツ

そして本番直前、和田デレクター苦肉の即興であの歌詞が生まれます。

♪去りにし夢 あのテネシーワルツ なつかし愛の歌 
         面影偲んで 今宵もうとう 麗しテネシーワルツ

♪思い出懐かし あのテネシーワルツ 今宵も流れ来る
         別れたあの娘(こ)よ 今は何処 呼べど帰らない...

このリフレインの思い出〜のフレーズは後年のレコーディングからは割愛されます。
それは、ジョー盤の影響とも思われますが、訳詩の部分の あのこ(あの娘)と、himからherへと歌いなおしている英語歌詞との「整合性のなさ」に後から気がついたのでは??というようにも思えるのです...
          (あくまで私の想像ですが...)

こんないっぱいいっぱいのエピソードがつまったデビュー盤は、大ヒットを飛ばします。
一躍江利チエミはスターダムを駆け上っていったのです。

>1946年、ピー・ウィー・キングが作曲した曲に、レッド・スチュワートが詞をつけ、1948年に初めて録音された。カントリー分野ではハンク・ウィリアムスのバージョンが有名である。

1950年にパティ・ペイジがカバーしたものが世界的なミリオンセラーとなった。ペイジのバージョンはヴォーカルが多重録音されていた。日本では1952年、和田壽三が訳詞したものを当時14歳の江利チエミが唄って大ヒットした。

歌詞は、「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので、彼氏を紹介したら、その友達にダーリンを盗まれてしまった」という話である。日本語の訳詞では主人公が女性から男性に代わっている。二部形式のスローワルツで、原盤では同じ歌詞が2度、日本語盤では英語と日本語で1節ずつ唄われている。

1956年、テネシー州がこの曲を州歌の一つとした。

ブログ拝見しました...
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/
わたしのブログへもぜひ...m(_ _ )m

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