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高学歴高年齢出産女性コミュコミュの♪おかぁ〜さん

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たおさんが日記で怒っておられました。

今時こんな歌が「おかあさんと一緒」の今月の歌なんだって。
しかも作詞作曲は北山修と加藤和彦ですよ。
ありえないでしょ。
ちょっと議論しましょうよ。

んでもって、
まずはこれ聞いてからですが。
http://www.nhk.or.jp/kids/
下の方の最新情報「今月の歌」をクリック。
別ウインドウが開きます。歌詞が読めて、上の方でワンコーラスきけます。びっくりしますよ。

コメント(26)

一応歌詞を再録しておきます。
著作権なんかブッチだ。後で削除しますけど。

おかあさん あなたは てんし
おかあさん かがやく たいよう
おかあさん ああ いとしの おかあさん

まず、のっけから、この礼賛はなに?天使に太陽ってなに?
神話以外の根拠はないぞ。

おかあさん だけど ときには
おかあさん きぶんわるくて
おかあさん ああ だいきらい おかあさん

で、神話じゃないぞって否定しようとして、喧嘩してみせる。
でも、その原因は子どもの側にあって、その大嫌いと言う子どもにむかって、母性は受容するものと前提されている。子どもが安心して大嫌いって言える人ということだろうが、安定した親子関係では、親も安心して大嫌いって言えるわけであって、その抑圧がいかに問題であるかはこいつらは問わないわけよ。

いま ないたカラスが わらうように
こころは コロコロかわるけど
うまれて しばらくの あいだだけは
ごめんなさい わたしの わがまま

そんな謝る子どもがどこにいるのか!!
今度は子どもに萎縮しろってか?
寝たきりの人や、障害者はどうなる!
むちゃくちゃだ、この最後に一行は。
これで、子どもに絶対的安心はえられない。だって自分が迷惑な存在ってわかってるんだもの。第一、思春期に比べれば、ゼロ歳の間なんて極楽だ(蛇足)

以下、腹が立って論評する気にならず。
コミュの皆さま、好きなように煮るなり焼くなりしてくださいまし。ああ、ムカつく。

だから おかあさん あなた なしでは
おかあさん いきてゆけない
おかあさん ああ いのちの おかあさん

おかあさん きずついたなら
おかあさん わらって ちょうだい
おかあさん いたいの いたいのとんでけ おかあさん

おかあさん おおきくなれば
おかあさん いつかさよなら
おかあさん ああ いとしの おかあさん
ありがと おかあさん
言いだしっぺのたおです。

>実際、この歌は、いま育児中の母親世代には、わりとウケがいいようで、「はじめて聞いたときに涙がでた」「育児に悩んで苦しんでいるときだったので、心に沁みた」というような話が、あちこちの育児ブログなどに出ていました。作詞者の狙いも、そのあたりだったのかも、という気もします。

・・・やっぱり。
そういう人たちがいること自体に歪みを感じる私です。確かに、子育て中は本当に、みんな必死だと思います。夢中だし、それが生活の中心です。子育てとは、それだけ重要で労力を要する事業です。でも、子どもは「おかあさん」だけで大きくなるわけじゃない。この歌は、意識的にそのすべてを「おかあさん」に押し付けようとしているように聞こえる。なんか子育てにアイデンティティを持っていかれて後になって文句をいうような無自覚な母性愛のおしつけ、その歪みを称賛しているような気がしていやなのです。
自覚的にやっている人はいいんですけど。自覚的にやっている人は、あの歌詞に「救い」を感じないとも思いますし。

私としては、全体として、ばらばらなんだけど、「ありがとう」とか「ごめんなさい」とかを入れて慰撫することでごまかしてしまおうとする、ある種の誘導を感じるのです。
多分、子どもはそんなに意識して聞いていないと思います。けど、刷り込みというのもありますので。

また、歌そのものとしては、「大嫌い」というところと「わがまま」「ごめんなさい」というところと「いつかさよなら」という長いスパンにまたがる現象を一時に歌おうとして失敗しているように思います。まりさんのおっしゃるように、「大嫌い」というのは個として母親と対峙し、なんか変だとわかる年齢になってからの話で、5、6歳になればこういう心の動きも、とても重要だと思います。
でも、嬰児のころのことを「わがまま」とか「ごめんなさい」というのはやっぱり変だと思います。それは、精神科医という職業で人間という生き物を見つめてきた人から出てくる言葉なのでしょうか?
「いつかさよなら」は、おっしゃるとおり、子どもの自立を想定しているのだと思うのですが、だとすれば、結局、子育てという「苦行」もいつか子どもが離れていくことで、終わりを迎えるという、そういうことなんでしょうか?
そうでしょうか?
子どもが自立しても子どもを思う気持ちは変わらないと思うし、物理的な労力が減っても、親子関係は継続するわけで、少なくとも人間の社会においては、子離れ巣離れはいさようならとはいかないのに。

意図的に美化された母子像によってしか救われないような、そんな閉塞的な子育てを強いる社会の歪みをおいといて、「おかあさんはすばらしいんだから、我慢してね」といわれて、子どもと一緒に放り出されているような気がしてならないのです。私自身は現段階では子どもが私に預けようとするすべてを受け入れたいと思っているし、そのこと自体はたのしいことでもあるし、多少の苦労はいとわないわけですが、それは相互の関係性を構築していく上で成り立っていくわけで、「おかあさん」だからじゃない!!子どもは母親の分身や延長ではない!!
と叫びたくなるわけです。

かなり、感情的になってしまいますね。この問題については。
きっと私は、私に母性神話を押し付けないでくれ〜〜と思ってしまうのだと思います。反射的に。

なぜか。その答えは自分的には半分くらいはわかっています。
でも、ちょっと書けないかも。
>まりさん
「ふりむけば ミトコンドリア 友達はアンモナイト」

爆笑しました。
好きです。そういうの。
しかし、ミトコンドリアを振り向きざまに目視できるサイズの生き物が、どうしてアンモナイトと友達になれるのだろう。
いや、ミトコンドリアって案外大きかったですか?
すみません。むっちゃ文系で…

閑話休題。
「おかあさん」

皆さんの文章を読む前に、まず歌詞を読み、聴いた感想は、

ありがちな偏向&情緒垂れ流しジャーナリズム思考で、
「古風な母親像」に乗っかって、
「現代的な母親の情緒」を想定し、
「虐待予備軍としての母親」をターゲットにした歌だ。
ターゲットは子どもじゃない。
高みから母親たちに、一見暖かく訴えようとしている。

というものでした。

歌詞のひどさ(内容は置いといて、まず言葉の使い方)には驚きました。
子ども向けの番組で、こんなの流してどうするんだ。

まりさん
 >おかあさん だけど ときには
 >おかあさん きぶんわるくて
 >おかあさん ああ だいきらい おかあさん

>うちの長女は、ときどき犯罪的に凶悪な、正義の味方によって成敗しなくてはならないようなグロテスクなモノに変貌する母親を連想

はっはっは。
面白いですね。というか、健康な発想ですね、娘さん。
スゴイなぁ、実は妖怪な母親!
余計な知識が付くと、パッとそういう映像が浮かばないのが残念です。

母親をターゲットにした気になって、薄っぺらい知識だけで書いてるから、子どもに届く歌にならないんです。
子どもを相手にモノを作ることを、舐めんなよ!って思います。

たおみさん
>実際、この歌は、いま育児中の母親世代にはわりとウケがいい「はじめて聞いたときに涙がでた」「育児に悩んで苦しんでいるときだったので、心に沁みた」

それはそれで一つの救いなのでしょう。
ただ、それで救われているうちは、救われない。
いや、それで救われる感性は、この国で安らかに生きていく一つの手段かも知れませんね…。
まりさん

>NHKもとうとう本格的に電波を飛ばす存在……なのは元々ですが、「どうかしてしまった」のにちがいない

再び、爆笑いたしました。
電波飛ばしまくりですね、NHK。

>ミトコンドリアも「母」という存在に深く関わるパーツ

今の今まで、私はミトコンドリア=ミジンコ、アオミドロなどの仲間と思い込んでおりました。
なので、単に「微生物がカタツムリサイズの生物と友達になれるワケないやんけっ」と爆笑。
無知ですね…^^;

しかしまぁ、
長大な生命の歴史を扱うのに、
この歌詞は、やっぱり笑えます。

>虐待予備軍としての母親をターゲットにしたものであるなら、これから虐待されるかもしれない子供たちが聞いて歌うグロテスクな構図

おそらく、感動する母親はいても、
この歌を気に入る子どもはいないと思っています。
「天使」にしても「大嫌い」にしても、
子どもにとってフィットする感覚ではないと感じます。
あくまで直感ですが。
>サンデー
じゃなくてサムデイですね。
アレンジャーはわかると思います。チェックします。
わたし佐野ファンで、CDは多分コンプリです。
>三善晃
そうですよね。合唱で苦しんだ記憶が。。でも出来るとむちゃくちゃ気持ちいいんですが、そんなん校歌でやれるかい?
むしろ荒井由美の「瞳をとじて」がいいな。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/5315/uta.htm
おっとおかあさんから離れてしまった。
また戻ってきます。おやすみなんしょ。
結局、主婦業に追いまくられた土日には参加できませんでした。

「屁々の泡」さんはすごいですね。私の感じる違和感がもろ、表現されています。
んで、

>明さんのおっしゃるように、虐待予備軍としての母親をターゲットにしたもの

っていう記述にもあるように、私も、このうたを聞いたときに、なんていうか、虐待防止みたいなスローガンというか計算を思い浮かべていやあな気持ちになったわけです。「おかあさん」を天使にしてしまえば虐待がなくなるとかそういうことではないと思うんですけどね。とにかく、「戦争知らない」大先生としては、子育てまたは子育てに対して不必要にプレッシャーを感じて、ヒステリックに混乱している母親たちの悩みと真剣に向き合った結果というよりも、政府広報とか新聞記事の少子化対策&虐待防止みたいなことを思い浮かべて書かれたのではないかと、感じてしまったわけですね。最初の日に。

やっぱし、Jikimiさんの分析はさすがですね。

>3.ボイス・アロケーション
>ワンコーラス聴いただけで、私が最もぞっとしたのがこれ。
>最初の2行、最初、「お兄さん」(男声)が「おかーさん」と「呼びかけ」をし、「お姉さん」(女声)が「あなたはてんし」と歌う、という歌い方していますよね。

これです。多分、これで、げっとなったんだと思います。
もちろん、その後は男女が交替するなどの工夫をして、ジェンダー=母性の押し付けではなく、このうたはニュートラルなのですよ、単に順番ですよ、という言い訳は用意しつつ、実は、最初のインパクトでこの歌の印象は決まってしまう。私のような素人の視聴者にとっては。

でも、今日、5歳の息子に、「ママはこの歌が好きではない」というと「え?そうなの?」くらいの反応でした。
彼はすでに世間の「おかあさん」像に毒されている一面があり、私自身、客観的な判断力がつく前に、彼から十分な賞賛と愛情を最大限引き出しておこうという姑息な考えはありますが、しかし、こういった刷り込みの積み重ねはよくないと感じています。

そう、それで、楽曲に戻ると。

>「無理やりほのぼのさせてる」可能性(<Jikimiさん)

これをすごく感じるんです。それとチンチンした音を入れて結構ドラマチックに演出していますね。アレンジの耳障りは悪くないです。テンポも歌いやすいし、「おかあ〜さん」というのも音に乗りやすいと思います。

あと、私自身は、映像の作り方もいやらしいと思うのです。Jikimiさんは簡単には見られないかもしれませんが、(YOU TUBEに乗れば見られるか)最初はスタジオで青に白っぽいきらきらのセットにおにいさんとおねえさんが座って、「無垢な感じ」で初めて、キンキラの音と、あとじゃ〜んじゃじゃ〜〜〜んというベースの伴奏とでドラマティックに盛り上げて、2コーラ済めからは素人さんとおぼしきおやこの写真を並べるのです。おかあさんと子どものほほえましい写真集です。それは、女のおかあさんであり、ニュートラルでも、エイリアンでもありません。
母親賛歌でも応援歌でもいいんだけど、楽曲のねらいがわかりにく上に、さらにぼかして何をたくらんでいるんだ?という懸念だけが高まるわけなのです。

ちなみに、「ふりむけばミトコンドリア」はりょうこおねえさんの時代ですね。まだ、子どもが『おかあさんといっしょ』デビューを果たしていない時期ですので、知りませんでした。でも先代のお兄さんお姉さんのほうが自己陶酔系と呼ぶべきかなんかちょっとうっとり系の演出が多かったような気がします。ほんのちょっとしか見ていないんだけど、なんとなく。

NHK教育って、作り手や送り手の側からすると、いろいろ実験的なことが許される、比較的自由な場なのだと思うんですけど、最近、これはちょっとなあみたいなのも見かけます。以前からそうだったけど、見ていなかっただけ、かもしれませんけど。
Jikimiさん

多分来月ごろにはyou tubeに出ると思います。
今、先月の歌が出ているし。

http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%87&search=Search

これって誰かが好きで挙げたとすれば、こんげつのはちょっとそういう層には無視されろうだけど、まめにチェックするようにしま〜す。
Jikimiさん〜〜〜。

>「あ、他意はないの、私は無実」的隠れ蓑

まさにそれですね。私も、その、なんだか「中途半端な綺麗事」が一番いやです。

もしかしたら、「父親の子育て参加」キャンペーンが、終わっちゃったのかもしれませんね。そんで、今は、やっぱ「おかあさん」を持ち上げてとりあえず、少子化対策と虐待防止のスローガンにしておこうとか。でも、本気でやっているようには見えないんですけどね〜〜。ああ、でも、そう見せかけて、美しい演出のVでもってこの歌を脳裏に植えつけようとするやつらの手ですな。

ちなみに、福島県立清陵情報高等学校の校歌、今行くと、まりさんの書かれたURLのページから、中に入れて、ここで聞けました。(多分下記URLは左フレームのものだとは思いますがそこから、学校の紹介、校歌の紹介という風に入っていけるはずです)が、残念ながら、ピアノ演奏によるインストロメンタルで、どこがゆんゆんなのかはわかりませんでした。

http://www.seiryojoho-h.ed.jp/welcome.htm
論点がずれるかと思うんですが、通底してはいるかとも思い、カキコしてみます。

最近の歌ってのはなんつうか唱歌化しているような気がします。
ZARDとかのころからかと思うんですけども。
たとえば、負けないで
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/makenaide.htm
歌われた背景は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7
あの24時間テレビの100キロマラソンのゴールで延々リピートされるやつです。AメロBメロの部分はつぶやき調。サビの部分は合唱向きのシンプルな構成というのは、ジャズスタンダードのバース/コーラスみたいんだけども、なんとも毒がない。歌われて作られる世界が非常に毒がない。つまり腑のない切り身の魚みたいな曲。
わたしはこういう毒にも薬にもナンにもない曲でどうして励まされたりするんだろうか。なんと学校放送みたいな曲だろうかとおもってました。

逆に腑系は椎名林檎とかCoccoとかにいく。そうすると際物になってしまい(お二方に失礼だが)その間のグレーゾーンがない。

さて、かつての子どもの歌で母親というのはどうだったんだろうか。
思いつくのは
♪おかあさんのうた♪
おかあさん。
なぁに?
おかあさんって いいにおい。
洗濯していた においでしょ
シャボンの泡の においでしょ

これは洗濯している母親と子どもの会話だけども。他になにかあるかと考えると、里の秋とか(ああ母さんとただふたり〜)、母さんの歌(母さんが夜なべをして〜)とか古いのしか出てこない。ググッてもヒットしない。ということは、森進一のおふくろさんにあるように、大人になって忍ぶ対象である母であって、子育て真っ最中の子どもの歌には、意外におかあさんってでてこないのではないか。あって当たり前の日常。。。そういう位置づけだったのかも。

そして、今、あらためて母性神話がもたらされる。それは思春期の歌の消毒からはじまって(切り身化)決して切り身化できない子育て真っ最中の日常(だって下痢嘔吐、うんちやおしっこにまみれているわけだから)まで切り身化していく。だから子どもはあやまる。

これはものすごいイデオロギーですよね。
少子化は絶対解消できないな、こういう方向性じゃ。

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