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能村庸一チャンバラ倶楽部コミュのテレビ昔話(56)【岸田今日子を偲ぶ】

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「楽しいわが家」アップします。2007.4月号です。

「テレビ昔話(56)能村庸一(時代劇プロデューサー)
【岸田今日子を偲ぶ】

 昨年12月に世を去った女優岸田今日子の<お別れの会>が先日行なわれ、彼女の死を惜しむ各界の人たちが多数出席し、東京會舘のローズルームを埋めつくした。コーヒーとサンドウィッチの爽やかな会で、スクリーンのアルバムを見ながら、親しかった方のスピーチが続いた。別役実、岩松了、筑紫哲也、永六輔……。谷川俊太郎は岸田今日子さんに捧げる<探す>という詩を自ら朗読。又、冨士真奈美、吉行和子という親友と共に追っかけをしたという山下洋輔のボレロ演奏も素晴らしかった。

 それにしても岸田今日子という人は何と広いジャンルで多くの素晴らしい仕事をした人だろう。舞台、映画、テレビ、コンサート、出版等々。文学座の「キティ颱風」が初舞台。その後、現代演劇協会「雲」の設立に参加のあと、芥川比呂志らと共に「演劇集団円」を立ち上げた。まさに新劇史と共に生きてきた人だった。
 映画の世界にも多くの足跡を残した。とりわけ市川崑監督の作品が多かった。「破戒」「八つ墓村」など10本以上に出演している。小津安二郎の「秋刀魚の味」、山本薩夫の「忍びの者」などその名演技は数知れない。<お別れの会>のあった夜、テレビで勅使河原宏の「砂の女」が放送されていた。

 テレビも、味のある演技は常に余人を以って代えがたい個性で視聴者を魅了し続けた。
 昭和30年、TBSの「みどりの学園」がテレビへのデビュー。続くフジテレビへの出演「浮雲」が二作目とされているが、昭和34年1月26日、記念すべき試験放送で初のドラマが放送されており、そのヒロインとして岸田今日子の名が記録されている。開局に際し制作部が設けられたが、映像経験者は皆無。見よう見まねの危なっかしいスタートとなったが、学生演劇などで経験のある小川秀夫が栄光のキューを振ることとなった。作品は樋口一葉の「分れ道」で本読みは久保田万太郎が行った。物語の舞台である下町をミニチュアでこしらえて俯瞰で撮る小川の試みを除けば、舞台をそのままカット割りするといったレベルであった。それでも本番では緊張のあまりパン棒を握りしめたカメラマンの手が震え、映像が小刻みに揺れたという。そんなテレビの黎明に岸田今日子が参加してくれたとは嬉しい記録だ。
 日本テレビの「男嫌い」が話題になって、茶の間のファンに広く知られたあと、そのコメディ風の作品から一変、長谷川一夫主演のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」に出演し、瑶泉院を演じた。
 独特の声も魅力だった。アニメーションの「ムーミン」の声、「大奥」のナレーションなど耳に残っている。

 筆者にとってはシリーズを重ねた「御家人斬九郎」の母上がすべてだ。グルメで気位の高い母親役は劇団の後輩でもあった渡辺謙との工夫で、毎回実に楽しい母子像を見せてくれた。
 <お別れの会>に出席した渡辺謙は「僕にとっては空気みたいな存在。いるのが当たり前みたいな人だった。だから今は酸欠状態。不肖の息子は劇団を離れたけど、たまに会うと、昨日会ったばかりみたいに接してくれた」と涙を押さえていた。
 ところで筆者は20年前、ある企画で120字のエッセイをお願いした事がある。それを最後に御紹介してお人柄を偲びたい。

楽屋見舞いにいただいて、持って
帰った植木鉢の花が散って一年。ベ
ランダの隅に置いたまま忘れてい
たのに、春が来ると小さなつぼみ
を附けた。咲きたかったのだ。芝
居をしたいといって訪ねて来た女
の子に、やめた方がいいと言って
帰ってもらった、すぐ後だった。

コメント(2)

本当に豪華で奥深い魅力の女優さんでしたね。僕も残九郎でのまさ女様が一番です。冥土から時々遊びに来て欲しいなあ。
やるせなく、胸がしめつけられるようなエッセイ。
そして、岸田さん声が聞こえてくるようです。
ウロリさんのおっしゃるとおり、奥深い魅力の素敵な女優さんでした。

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