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Tamariコミュの19359日

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ダメだ!

誕生日を迎えての決意を書こうと思って書きだしたが、書きたいことが多すぎて文章が滅茶苦茶長くなりそう(-。-)

仕方ないのでこれから分割して書いていきます。


19359日
これ、1959年5月7日から53歳の誕生を迎えるまでに私が生きてきた日数。

余談になりますが、iPhonアプリに『今日で何日』というアプリがありまして、これが計算してくれました。
自分や妻、親の誕生日や子供の誕生日、私たちの結婚記念日、またTamari Barのオープン日や脳梗塞入院の日などいろいろな記念日?を入れています。
このアプリ、それぞれの現在までの日数がわかってなかなか良いです。
記念日を忘れることもなくなるし(^^ゞ

ちなみに私、日数でいえば19359日ですが、このアプリによると、週で数えると2765週、月で数えるとまだたった636月だそうです。
以外に少なく感じる・・・

でもこの53年間振り返ると、本当にいろいろな事がありました。

まず中3からの進学の際は高校へ進むか高専へ進むか迷い、結局地図に残るような大きな仕事がしたいと岐阜高専土工学科へ進学。

そして高専5年での進路を決める際は建設省と名古屋市に合格したのですが、給料は2万安かったものの大きな仕事ができる建設省を選択。
(初任給は本俸86,800円。ここから共済掛け金や税金引かれると本当にきつかった)

建設省では数年おきに転勤でしたが、24歳の時、勤務していた津市で結婚。
でもお金もないし、それに神など信じていないのに結婚式にだけ神に誓うのも嫌だし、それに祝ってやろうという仲間がいてくれたので、津の今は亡き三重会館の大ホールを借りて、料理・酒を持ち込んで人前式と会費制披露宴を。
だから結婚式にはほとんどお金はかからず。

その後二人の娘を授かりました。
でも最初の子は流産という悲しいできごとも。


30歳で桑名市に1戸建てのマイホームを。
ここの団地にいる時は自治会書記、実際はお歳を召した名前だけの会長さんの代わりに500戸の自治会長代行のような経験も。

娘が小学校の時はPTAの父親部長になってしまい、新規で親子行事を企画したりも。

30代になると仕事がだんだん忙しくなり、30代後半は家に帰るのもままならないくらい超激務に。

週の半分は夜中の2時3時まで残業してそのまま職場に泊り、帰宅する日もいつも終電。
家に着くのは午前1時。

このころは現場監督していましたが難問が山積みでもう心身共にボロボロな日々を。
何度逃げ出そうと思ったことか。
私の25年の建設省(2001年には省庁再編で国土交通省に)生活の中で一番厳しかった時期でした。

そういえば建設省時代は労働組合の役員、支部長や東海地方本部の副委員長とかも経験。
組合役員というと会社となれ合いで美味い汁を吸うズルイ奴というイメージが一般的でしょうが、建設省の労働組合はそういうなれ合いは一切ない本当の労働組合で、本当に職員の為、また国民の為の公共事業目指して奮闘を。
だから当局からは目の敵にされ役員をやると損する組合でしたが、私の成長のうえではとても良い経験をさせてもらいました。


話を戻しますが、そしてそんな仕事と組合で家庭ほったらかしの生活をしている間に夫婦間の歯車が狂い、40過ぎてから別居→離婚へ。

1戸建てのマイホームに妻と二人の娘、そしてゴールデンレトリバーとシーズーの2頭の愛犬。
そんな環境から急に一人になった時の寂しさと言ったら。
それで寂しさ紛らわす為に飲み歩くように。
(でもこれが今に繋がる。)

そしてそれから人生について考えるようになり、悩みに悩んで、一回しかない人生、楽な仕事はどこにもないけれど、同じ苦労するなら自分のやりたいことをやりたい、人に喜んでもらえる仕事がしたいと思い、勇気を振り絞って2005年に国交省を辞職し、周りの反対押し切って栄にTamari Barを開業。

BARどころか飲食業も含めてバイトもしたことがないそれも公務員が、今思うととんでもないことをしたものです。
それも激戦区の栄に^_^;
(BARを選んだ理由はまた改めて)

開業後数年は赤字赤字でボロボロの日々(T_T)
脱サラなんてするんじゃなかったと思ったことも何度もありましたが、試行錯誤を繰り返しながら、そして良いお客さまに支えられ徐々に軌道にのるように(^^)

そしてやっとここまで来たら大丈夫(^_-)と安心し始めていたら2008年のリーマンショックでまたボロボロに(ToT)。

でも悪いことばかりではなく、絶対将来は一人寂しい老後だと覚悟していたのに2009年春、まさかの再婚(^^)

でも神さまはまた私に試練を。
同じ2009年、忘れもしない11月9日、突然の脳梗塞で入院(+o+)

一時は右手が使えず、また会話もままならない状況に。

手が使えず会話もできない=もう、バーテンダーはできない。
つまり収入もなくなる。
もうベッドの上で茫然としていました。
それに再婚したばかりの妻にも申し訳なくて・・・

でも幸い早期入院、早期治療、早期リハビリでほぼ元に戻り、
退院の際先生から、脳梗塞は再発の可能性も高いからまず減量しなさいと言われたので、
頑張って当時82〜83あたりだった体重をBMI指数22になるよう69kgまで減量(^_-)

店の方は、リーマンショックから下がり続けた売上が2010年夏頃やっと下げ止まり気配が感じられるようになり、あーやっと春が来る(^O^)と期待していたら、2011年の震災でまたボロボロに(-.-)

あっ、それから昨年は10月に矢場公園で開催された名古屋グルメのNAGO-1グランプリにも、無謀にもTamari Barオリジナルの唐揚げ丼で参戦!

出店は料亭つたもさん、鳥開総本家さん、猿カフェさん、zettonさん、山本屋総本家さん、パステルさんなど名古屋の有名店がズラリ(^_^;)

それにスタッフは私以外は全員当店の常連さまにお願いし(これまた無謀)、それも事前打合せも練習もなしでいきなり当日(これまた無謀!)という、普通常識で考えたら全くあり得ない挑戦を。

でも私の頭の中ではうちのお客さま超優秀だから絶対大丈夫という自信が。
そして私の期待どおり、いや皆さん期待以上に自主的に考え行動してくれて、
その結果、参加27店中、7位という結果に(^_-)
うちのお客さまは本当に凄いです。

これがざっとこれまでの私の人生。
本当に上がったり下がったり。

でもこれで終わるつもりはありません。

昨年のNAGO-1参加も将来の夢に向けての布石の一つでしたが、
このまま景気回復待っていてもいつになるかわからないし、
楽をしていては成長はあり得ません。

大変なのは覚悟していますが、追い込まれているからこそ、あえて今、暖めていた夢に向かってスタートする決意をしました。

といっても資金も人手もないので、頭を使ってしっかり作戦を練り、慎重に、でも時には大胆に。


何をやるかはまたそのうちにこの続きで明かしますが(^_-)

短い文章にするつもりでしたが、それでも長くなってしまい、ごめんなさい。

ではこの続きはまた・・・

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