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ジャズピアニスト有末よしひろコミュの有末先生が腎移植について活動されていたこと

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mixiでご縁があり松山での講演会での演奏にも行かれた病気腎移植禁止についての問題には最後の力を振り絞るように何か出来ることをしなければと惜しむことなく全力を注がれていました。
一度記事にとりあげられていた東京中日新聞での記事です。
 

東京新聞平成20年12月11日付朝刊24・25面【こちら特報部】

「病腎移植禁止 患者ら移植学会幹部を提訴 
2008年12月11日

 重い腎臓病に苦しむ透析患者たちが10日、病気腎移植の扉を開くため、国が「原則禁止」を決める根拠を示した日本移植学会幹部らを提訴した。提訴を目前に、原告入りするはずだった2人の患者が相次いで死去。移植を求める患者たちは「ぎりぎりの命」にあることを示した。自分が望む治療を受ける権利はどこまで認められるべきなのだろうか。 (片山夏子)

◆「生きたい」願い届かず

 「(禁止を)見直してもらうためには、提訴しかなかった」。この日、原告の患者たちは松山市内で会見した。

 原告団長の野村正良さん(59)は「(宇和島徳洲会病院の)万波誠医師らに問題があったとしても、修復(病気)腎移植は別問題。正当な評価をして、移植を望む患者に少しでも可能性を広げる体制をつくってほしい。このままでは患者は見殺し」と訴えた。

 席上には2人の遺影があった。1人は透析患者の広島県呉市の会社員、下西由美さん(48)、もう1人は兵庫県加古川市のジャズピアニスト有末佳弘さん(50)。8年前に病気腎移植をした女性も3日前に倒れ、透析を再開しており、この場には来られなかった。

 業界紙で働いていた下西さんは先月16日、腎不全からくる不整脈で亡くなった。34歳のときに腎炎を発症。透析を始めたが、父親の淳也さん(80)から腎臓をもらい移植手術を受けた。しかし、3年前に腎臓の機能が低下し、再び透析生活が始まった。「仕事ができなくなる」と腹膜透析に切り替え仕事を続けてきたが、昨年ごろから症状が悪化。仕事も休みがちだった。

  中略

◆ジャズピアニスト有末佳弘さん 命削り現状伝える

 ジャズピアニストの有末さんは、43歳で透析を始めた。43キロしかない体重を毎回3、4キロ落とす。全身がつり、苦しんだ。だが、演奏活動をしながら移植や透析の現状を伝え続けた。

 合併症にも次々と襲われた。右手小指が曲がった後は、緑内障が進みほとんど目が見えなくなった。心臓が肥大して何度も生死をさまよった。今年5月のインタビューでは、「毎日死が頭をよぎる。いつまで演奏できるか」と繰り返した。「演奏できるうちに」と、夏にはCDを出した。「心臓肥大で自分は移植は難しいが、一人でも救われたら」と、4日に亡くなる直前まで、インターネット上で「命を削るピアニスト!」として透析生活や移植について伝え続けた。

コメント(7)

今年、愛媛県松山市で行われた「レストア腎移植を考える会」で、ありさん先生が演奏をされたときの内容です。

↓ ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

<レストア腎移植を考える会(実施要領)>
 と き 2008年4月26日(土)午後1時〜4時
 ところ 松山市山越町 愛媛県女性総合センター多目的ホール(定員300人)

 内 容
【 講 演 】
■講 師■
 堤 寛先生(藤田保健衛生大学医学部教授・病理学)
■テ−マ■
「レストア腎移植と腎不全治療」(仮)
「ドナー腎が圧倒的に足りない日本において、「病腎」は移植を待ち望む多くの腎不全患者に大いなる福音となることは疑いない。病腎移植の優れた点を適正に評価するべきであろう」(堤先生、医学雑誌「ミクロスコピア」より)

□講 師□
 高杉 敬久先生(広島県医師会副会長) 
□テーマ□「レストア腎移植に思う」(仮)
「医療は常に挑戦することで新しい治療方法を開拓して来ました。病腎移植は、方法論に問題があったとしても、脳死移植が少なく生体移植に頼らざるをえない日本の移植事情を考えるとき、第三の移植として残す道を探りたいと思うことは全くの個人的な意見なのでしょうか?」(高杉先生、広島県医師会報より)


【ピアノ演奏とトーク】
■出 演■ 有末よしひろ氏(作曲家・編曲家、ジャズピアニスト) 
  

【交 流 会】 午後4時半から(会場未定)


主 催 移植への理解を求める会、えひめ移植者の会
 入場料 無料
 連絡先 移植への理解を求める会事務局 河野和博方
       電話089−970−3943



以下、移植への理解を求める会 会報第10号 より

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
4月26日(土)・松山で『レストア腎移植を考える会』
講師に堤寛先生(藤田保健衛生大学教授)
高杉敬久先生(広島県医師会副会長)
病腎移植=レストア腎(修復腎)移植の推進を掲げる「移植への理解を求める会」は、4月26日(土)午後、松山市で「レストア腎移植を考える会」を開きます。 
 宇和島徳洲会病院の万波誠先生らが、進めてこられたレストア腎移植は、ドナー不足を解消するすばらしい医療であるとして、アメリカやオーストラリアなど海外の移植関係者の間で絶賛されています。
 しかし、厚生労働省は「現時点では医学的に妥当性がない」とする日本移植学会などの見解を踏襲して、一般医療では禁止する方針を打ち出しました。しかも、レストア腎移植がこれまで、一般の生体腎移植と同様に保険医療の対象として認められてきたのにもかかわらず、今回の問題が起きて以降、手のひらを返したように、レストア腎移植は「特殊な医療で、保険適用外である」として、保険医療の不正請求を盾に、万波先生の保険医取り消しと市立宇和島病院、宇和島徳洲会病院の保険医療機関指定取り消し処分を強行しようとしています。 
 これに対して、レストア腎移植の現状を知った国会議員の先生方は「学会や厚生労働省の対応は間違っているのではないか」として、超党派議員連盟を発足させ、関係者から聞き取りをするなど、実態調査を進めています。私たちにとっては、大変ありがたく、心強い限りです。
 「レストア腎移植を考える会」の開催は、こうした動きを踏まえ、より多くの人たちにレストア腎移植への理解を深めていただき、推進活動の輪を広げていこうというのが狙いです。
 講師には、藤田保健衛生大学医学部教授の堤寛(ゆたか)先生(病理学)と、広島県医師会副会長の高杉敬久先生を予定しています。

 また兵庫県加古川市で音楽教室を主宰している作曲家・編曲家・ジャズピアニストの有末よしひろ(佳弘)さん(透析5年目、レストア腎移植を支持)に、ピアノ演奏とトークもお願いしています。会終了後、交流会(参加自由)も計画しています。多くの皆さんの参加をお待ちしています。
松山での講演会について記載してくださったかたのブログです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1130.html


このブログでも転載してくださっているのですが、松山での講演会でお会いした腎移植について取材をされている東京中日新聞の記者の方が記事にしてくださった内容も転載します。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「異端の肖像-心を拓く―2008:『透析のピアニスト』有末佳弘さん ハンディ覆す即興 命削り、腎移植に灯を
2008年5月18日

 スタジオの中に、ところ狭しとピアノやキーボードが並ぶ。兵庫県加古川市のレッスン場。ここで、ジャズピアニストの有末佳弘(49)は30人の生徒を教える。

 「レゲエ風はどう?」

 生徒の歌手まどか(29)に言われて、すぐに有末の指が鍵盤の上を滑る。楽譜はほとんど見ない。即興の伴奏なのに、練習を重ねてきたかのような、楽しげな音が室内に解き放たれた。

 「びっくりした。さすがに先生でも、レゲエはだめだと思ってたよ」とまどかの声が弾む。「ん。こんな感じかなと思って」。有末は知らない曲でもメロディーを一度ハミングしてもらったら、すぐに鍵盤をたたく。ジャンルも問わない。

 「もっと、まどからしく」。具体的な指示は一切せず、曲から自分で選ばせる。「自分の中に答えがある」というのが有末の信条だ。

 だが右の小指が曲がり自由には動かない。指遣いを変えて弾いている。長期透析の合併症だ。緑内障も進み、ほとんど目が見えなくなってきて、一人では外出もつらい。

◆ビッグバンド聴き血が逆流

 同県姫路市に生まれた。生まれつき強度の近視で、メガネの度を上げても視力は上がらなかった。小学校では、一番前に座り、授業後に黒板を写していた。「目が見えない分、感覚が発達した。友達に『あれ』と言われても、どんな物か見えない。想像するしかなかった」。後にこれが有末の音楽の基礎となる。

 ピアノを習うが長続きせず、五年生から始めたトランペットに熱中した。人生が変わったのは、高校の時だった。

 高校では勉強についていけず、学校に行かなくなった。二年生の時、友達に誘われたコンサートで、ジャズのビッグバンドに出会う。「ものすごい迫力だった。息が詰まって血が逆流した。体に衝撃が突き抜けた」。三日三晩、眠れなかった。「一生この音の中で暮らしたいと思った」

 初めて聴いたジャズの不協和音。音が頭の中を巡った。それから毎日、ピアノの前に座り、知っている曲を再現した。街で聴いた曲やラジオで流れた曲を、片っ端から弾いた。録音機が欲しかったが、家の生活は苦しかった。「欲しい気持ちが抑えられず、ひきつけを起こして病院に運ばれた」。ようやく精神科で「原因」が分かり、親があきれて買ってくれた。

 その後、繰り返し自分の演奏を録音しては聴いた。「自分がどんな音を出したいのか。自分の中を見つめた」。とにかくプロになりたくて、ピアノ生演奏の店を探した。独学で大阪芸大に入るがほとんど通わなかった。

 大学1年の夏、大阪のキャバレーのビッグバンドに入る。楽器磨きから始まり、トランペットを担当するが、楽譜台が遠くて読めない。「ピアノしかない」とチャンスをつかみ、プロとしての生活が始まった。

 ビッグバンド以外も、ライブハウスやクラブを渡り歩き、何でもやった。「もっとすごい音楽をやりたい」。四畳半のつましい生活だが希望があった。大学仲間とバンドを組むが、音楽に行き詰った後輩が自殺。これを機に個人で勝負してみようと、ジャズピアノの世界に入った。

 神戸の老舗ジャズクラブで弾くようになるが、ビッグバンド以外の曲をろくに知らなかった。演奏はぼろぼろだった。ある日「クビでもいい」と開き直り、自由に演奏。「それでいい」と認められた時、自分の音楽をつかんだ気がした。

 ミュージシャンとの共演、音楽専門学校講師、レコーディング…ジャンルを広げた。岩崎宏美、北島三郎らの歌謡ショーの伴奏をし、無名だった歌手綾戸智恵ともセッションした。3、40分のステージで30万円を稼ぐ「高給取り」だった。

(次コメントに続く)
(東京中日新聞記事続き)

◆透析は週3回 1回に4時間

 そんな華やかな生活が一転したのは32歳の時。無理な生活がたたり、体調を崩した。音楽の仕事を辞め、絵本販売の営業で働くが、給与は月11万円に減った。夜から昼の仕事に変わり、眠れず酒量が増え「疲れやすくなっていた」。

 4年半勤めたが、配達中の事故を機に解雇された。出入りしていた保育園の園長から誘われ、園児や保育士に音楽を教え始めた。大阪のジャズクラブで弾くようになり、音楽教室の生徒も口コミで増えていった。

 音楽の仕事が軌道に乗り始めた40歳。再び暗転する。体重が55キロから38キロに激減した。糖尿病だった。絵本販売の営業時代から増えた酒量が原因だった。

 2年後のクリスマス。帰宅した途端、肺水腫で倒れた。すでに腎機能の数値は通常の3倍になっていた。翌年に肺炎になり、この治療で腎臓が一気に悪化した。2001年、43歳で人工透析が始まった。

 初めは透析後に体が楽になり、仕事も普通にできた。だが2年目からどんどんつらくなっていった。43キロの体重を毎回3、4キロ減らす。全身がつり、もがき苦しむ。肥大した心臓のために何度も生死をさまよった。

 長期透析の合併症も出始め、透析中に血圧急降下を警告するブザーが鳴るたびに、「いつまで演奏ができるのか。生きていられるか」と思う。

 現在、透析は週3回、1回につき4時間行う。「生きている間にできることを」。有末は今、ハンディを覆し、ライブやラジオで演奏活動をしながら、透析の現状や腎移植について話す。

 「透析を点滴ぐらいにしか思っていない人もいる」「何よりもつらいのは症状が進行し続けること。きつい水分制限。増え続ける合併症。毎日、頭の中に死がよぎる」

 自身の移植に希望をつないだこともあるが、営業時代に結婚した妻に「腎臓はあげない」と言われ、断念したことがある。

 先月、松山市内で開かれた病気腎移植を考える患者らの会で演奏した。「いろんな人に、透析や移植の現状を知ってほしい。話を聞いた人が考えてくれて、移植が広がるきっかけになったら。きちんとした手続きや説明は必要だと思うが、病気腎移植も認められたらと思う」

 有末はこの夏、阪神大震災後に作曲した「地震」のCDを出す。ジャケットには「極度の肉体的、精神的苦痛 日常の全(すべ)てが闘い 生と死とどちらが幸福か」と書いた。

 インターネットのミクシィでも昨年秋から、「命を削るピアニスト!」として人生や透析生活をありのまま伝える。アクセスは2万4000件を超え、透析や移植患者から「勇気づけられました」「生き方に感動した」「精一杯生きましょう」といった書き込みが相次ぐ。

 日々、死と向き合いながらも前向きに闘う有末の姿や生き方が、同じような境遇にある人々の心を拓(ひら)き、励ます。

 有末はてらいなく言う。「自分の本当の気持ちは何か。本当にしたいことは何か。音楽も人生も自分の中に答えがあるのです」

(敬称略、片山夏子)


<デスクメモ>  

 生まれてすぐ目が見えない逆境から12歳で世に出た米国の音楽家スティービー・ワンダー氏は「神が与えた」と評され、右半身不随から左手のみで復帰した舘野泉氏は「奇跡のピアニスト」と呼ばれる。有末さんには「透析のピアニスト」とうたわせてもらった。「命を削る」の決意に頭が下がる。 (呂)

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ありすえ・よしひろ 1958年生まれ。ジャズを中心にジャンルを問わないピアニストで、作曲、編曲も手掛ける。耳と感覚を頼りに独自の音楽を作り上げ、バーやクラブでの「本番」で腕を確立した。心臓肥大で自らの移植は難しいが「一人でも救われたら」と、腎移植が広がるように訴え続けている。
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2008.4.13 <先生日記より>
世界では、常識の病気腎移植を万波医師が、移植学会の許可を得ずしておこなったために、医師資格を取り上げられそうになっています。現在27万人とも言われる透析患者のうち2000人は、すぐ移植しなければ危険な状態です。 ガン患者の腎臓を移植してもガンにはなりません。 遺伝子が違うからです。 そんな常識を無視して患者を見殺しにしようとする流れがあります。 今 あなたが立ち上がってくれれば、2000人…27万人を救うことになるのです。どうか、一緒に戦ってください。 この命の灯を消さないように! コミュニティー「万波先生を応援する会」http://mixi.jp/view_community.pl?id=1518482を覗いてみてください。 お願いいたします。 助けてくださいo(_ _*)o
2008.4.18 <先生日記より>
最期の旅が、今始まる
26日、私は、松山に向けて旅する。 病気腎移植で有名な万波医師の講演会で演奏するためだ。翌、27日は加古川での演奏。 透析を削っての命がけの旅となるが、万波医師が裁判で負けると、病気腎移植の道は、閉ざされ、何万人もの透析患者が命を落とすことになる。 私は、命がけで、病気腎移植を応援しなければならない。
<先生日記より>
腎臓病、精神障害の方へ
毎日毎日、何故生きなければならないか? どうしたら、この苦しみから回避できるか…と思っています。 行き詰まったらメール、コメントください(*u_u) くらーいコメント大歓迎です。

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