「Thunder on the Mountain(山での雷または威嚇)」はチャック・ベリーの曲、Johnny B. Goodeのような典型的なロックンロールの曲ですが、こんな歌詞があるんです。
"I was thinking about Alicia Keys, couldn't help from crying / When she was born in Hell's Kitchen, I was living down the line," "I'm wondering where in the world Alicia Keys could be / I been looking for her even clear through Tennessee."
一位になったのはすごい。ディランは音楽界への再教育を「Time Out of Mind」で始め、「Love and Theft]と今作で果たした。<重複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>というディランの批判は重い。その感覚はこれから広がると思う。エレクトロの最良部分と生音音楽には共通する精神がある。だめなのは、音の表面を取り繕う為の音響テクが蔓延していることだ。ドラムは木と皮でできた楽器で、その音響の限界がまず前提にあってこそ、演奏者の技量への努力、表現力の切磋琢磨がある。アメリカ音楽の深みはその環境から生まれた。マイクをスタジオにやたら立てたり、protoolで間違いを直したり、ドラムがまるで違う楽器のような音処理をされ、下手をカバーされたりしていれば、豊饒な音楽から遠ざかってしまうのは自明だろう。
モダンタイムスが一位になったのは、アメリカ人が古きよき時代への郷愁、内向きな気持ちになってきたからではなく、もう、最近のチープなチャカポコした音楽に飽き飽きしてきたからではないか。すごく前向きな意思だと感じられます。かつてダニエルラノワはディランのダミ声を抑えるのではなく、強調してみせた。ディランの現在の隆盛(80年代は考えられなかった)は、ディランのソウルが時代を貫いた証しでしょうか。
ネバーエンディングな活躍が期待できます。
miyamoto さんへ
<重音楽界への再教育を「Time Out of Mind」で始め複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>と言うのはいつ頃のディランの言葉なのですか?
音楽界への再教育を「Time Out of Mind」で始め、とありますが、正直「Time Out of Mind」はそう言う、良くない最新技術の果てに生み出された作品かと思っていました。スローな「ノット・ダーク・イヤット」「スタンディング・イン・ザ・ドアウェイ」などは折り重なるサウンドが大変美しく成功だと思うのですが、他多くのアップテンポなナンバーはディランの声を遠く置いたり、もやけたサウンドが勢いを殺していると思います。
映画「ボブ・ディランの頭の中」でのライブの迫力(「Time Out of Mind」からの曲も演奏されてますよね)を聞くと、こう録音すれば良かったのにと更に思います。
なので「Time Out of Mind」が僕は好きではありません。
ディランの<重複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>と言う発言も「Time Out of Mind」での失敗(グラミーを受賞した作品に対してこんな言い方をしてごめんなさい。偏った僕の意見だと思って勘弁してください、他の表現を思いつかなかったのです)に気付いたディランの発言であれば納得できるのですが。いつ頃なのでしょう?
個人的ですが、「Time Out of Mind」は一番好きなアルバムです。確かレコーディングの方法も変わっていて、二つのバンドを同時に演奏させたり、自分のパートでない楽器をプレイヤーの持たせてレコーディングしたり等。
いろいろな音が奥行き深くたくみに混ざり合い、聴けばきくほど新たな発見があったのを鮮明に覚えています。
そしてなにより驚いたのはその音圧です。
ダイナミックレンジを生かした、すばらしいMIXだと感じました。あの頃から始まった音圧合戦に警鐘を鳴らすものだと思います。本来、音楽のあるべき姿を、みごとにCDという限界の決められた入れ物に収めたな、と未だに新鮮さと驚きをもって聴いています。最近は音圧もさることながら、すべてが修正可能です。デジタルならではの素晴らしい面も多々あります。自分も悲しいかなその環境のなかで製作をするしかないのですが、エンジニアのなかでもいまの音楽やレコーディング方法に憂いを持つ人はたくさんいます。
「最近まともな音のCDを聴いたことがない」ともらしたディランの心情もよくわかります。今回の「Modern Times」にいたってもマスタリングされたCDに関しては満足していないようですから。
なによりディランという偉人が、現在もアルバムを製作し、活動していることに感謝です。
In an interview published in this month's Rolling Stone magazine, Dylan said the quality of modern recordings is "atrocious," and even the songs on his new album sounded much better in the studio than on disc. "I don't know anybody who's made a record that sounds decent in the past 20 years, really," said the 65-year-old rocker. "You listen to these modern records, they're atrocious, they have sound all over them," he added. "There's no definition of nothing, no vocal, no nothing, just like ... static."
Bob's comments could be taken in several ways... His comment could be interpreted as reviving the old vinyl-CD debate or analogue vs. digital question. He could be focusing on production values and the competence of the current crop of engineers or producers. It certainly brings in to question whether on simple acoustic works the recording professionals should avoid the vast range of tools open to them and go back to basics. As we know that a complicated path can only degrade the fragile signal whether it is in digital or analogue form... The likelihood is that it is a mix of all of these elements. However you view it, Bob Dylan's comments have opened a debate which can only help bring the attention to sound quality of the mass population and the need for high quality equipment to reproduce it.”
ここで元の考えに戻って、ここまでは僕のただの感想だとします。違う感想を持って支持する人もいて当然です。しかしそう言う方も<重複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>と言うディランの言葉を僕のように承服しかねるのではないでしょうか?
やはり「Time Out of Mind」はそう言った録音技術の果てに生み出された作品だからです。ライナーノーツを読まれた方はみな、それを知っているはずです。
そういう作品を好きな人もいて嫌いな人もいるというだけです。ディランがそんな作品を作り、後にそれを否定しているような発言が興味深いとおもったのです。
ディランについては常に賛否がつきまとうので、単純に自分の感性で、これは好き、これは・・・でいいのではないでしょうか。井上靖も言ったように、批判されない作品(賛否のわかれない)は実はろくなものでない、そんな言葉を思い出します。なので「Time Out of Mind」についてもいろいろな意見や解釈がでることは嬉しくもあります。
ただアルバムをトータルで考えると、やはりアップテンポ曲だけをクールかつグルービーに仕上げてしまうと、あのアルバムのもつ微妙なバランスを崩しかねない、ということも考えないといけません。ぼくらミュージシャンにとって作品とは、その時点の記録だと、考えています。その時点で最良と思われる環境(お金も含め)や方法で、できる限り理想に近いものを作りあげるわけです。しかしそれはやはりその時点での記録であり、数ヶ月後には後悔している、なんて場合もあります。
自分の感性も含め、いろいろなことがものすごい勢いで変化してますから。
ぼくはあの時点での、「Time Out of Mind」を支持というか、大変興味深い素晴らしい作品と考えています。ディランとラノアの音楽業界に対するある種の挑戦であったと。
誠さんのおっしゃる通り、 重複録音の極み、ラノワによるその確信犯的試みが結果的に音楽的完成度(否という意見も当然、ありますが)をみた「Time Out of Mind」をつくっておきながら、<重複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>と逆の事を後から言っているディラン。という事は 「Time Out of Mind」を後から、省みている部分があるのかもしれません。モロストレートな 「Love and Theft]こそが、本望であると確信しているのかもしれません。両者を同列に論じた私の配慮の無さを反省します。
ただ、私は<エレクトロの最良部分と生音音楽には共通する精神がある。>と書いた通り、制作方法の是非は結果に対し問われないという立場なので、厳密に言えばディランの言う<重複録音が真の音楽の素晴らしさを破壊している>には賛成してはいないのです。
しかし、思い起こせばディランはいつも、ある意味、いいかげんです。
ブートレッグシリーズに収められた「夢の続き」という傑作(私はそう思っていますが)は「オーマーシー」の没テイクでしたが、あれも多重録音が冴えた作品でした。再収録したという事は、ディランも後から良さがわかってきたのかもしれません。
私は自分の著書で、<ディランは曲をつくり、歌う。あとはいわば人任せなのだ。>と書きました。極論かもしれませんが、ディランにはリアルタイムな制作現場での無頓着さがあるような気がします。そして生粋のソウル歌手(魂の表現者)である自分と録音という機械による記録行為との間にある距離感にずっと違和を感じているタイプのアーティストなのではないかとイメージします。話がとんでしまってるようです。すいません。