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検証、従軍慰安婦コミュの肯定派の意見

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此処では中々リアルタイムで討論が難しい肯定派の意見をネット、もしくは紙媒体から探してきて貼り付けるトピです。

其れに対する自分の意見を述べる事も可能です。

先ずは一つ

『問題について自分の考えを書かせて下さい。

 私は日本による従軍慰安婦の徴用があったと思っています。(強制連行という言葉の正確な定義が分かっていないので、 徴用と言う言葉を使います。ここで使っている徴用の意味は 国が人を強制的に働かせることで、本人が事実上拒否でき ない物をさします。)

 物的証拠がないので皆さんや小林よしのり氏を説得できないとも思いますが、自分がなぜ従軍慰安婦の徴用があったと思っているのかを説明します。

以下に自分の認識を示します。

1 当時の大日本帝国政府は日本国民に対する徴兵を行っていた。
2 日本国民に対する徴用(軍需工場等での勤労奉仕)も行っていた。
3 植民地人に対する徴兵も行っていた。
4 植民地人に対する徴用(軍需工場や鉱山での仕事)も行っていた。
5 当時、日本国民には、植民地や植民地人をさげずむ人の割合が多かった。
6 徴用された植民地人は日本人より過酷な職場や環境で働く事が多かった。
7 1〜4は名指しで徴兵されたり、地域/自治体毎に徴用の人数を
  割り当てられていて事実上個人が拒否する事はできなかった。
8 従軍慰安婦にについては当初は職業的娼婦を中心に集められた
9 戦線の拡大や戦争の長期化につれ従軍慰安婦が足りなくなった。
10 従軍慰安婦の徴用を行った。この際,植民地から従軍慰安婦を徴用した。
  (この場合も事実上拒否できなかった。)
11 戦後日本政府は植民地の人たちを見捨てた。
  (終戦により日本人でなくなったという理由で、日本人の徴兵された
   人には払っている年金、傷病者手当て等を、植民地の徴兵された
   人には支払っていない)

  1、2,3,4,8,11 についてはすぐに確認できる事実なので
  皆さんにも簡単に了解して貰えると思います。

  問題は5、6,7,9,10ですが。

  5 については、今でも韓国や台湾をさげずむ人もいますし、
  日本人に限らず植民地を持っていた国ではよく見られる
  事だと思います。

  6 についても鉱山で働く徴用された朝鮮や台湾の人の割合が
  多かった事などから正しいと言えると思います。

  9 については戦線の拡大と戦争の長期化が当初の軍の予定を
  大幅に上回った事は確かです、ただ従軍慰安婦の不足については、
  わたしの所にはデータがなく、不足しただろうという推定に
  終わっています。(この辺がちょっと弱いところ)

  10 6と9により従軍慰安婦の徴用があったと考えています。
  具体的な証拠等を提示できないので、ここも推定に終わっています。

 従軍慰安婦を徴用する理由については、自分の考えは
 ○ 従軍慰安婦の数が足りなかった。
 ○ 当時の日本では軍関係で人材が必要で、かつ集まりが
   悪い時は徴用していた。

 従軍慰安婦を集めたり慰安所を運営していたのはすべて、現地の
業者であるという意見もあります。自分の考えは
 ○ 現地の業者が慰安婦を集めたり慰安所を運営していた例もあるが、
   政府も設立や人材募集に関係していた例もある。
  (日本国内で集められた日本人の職業的娼婦の慰安婦も
   かなりの人数がいました。彼女らは日本国内で軍もしくは
   日本政府関係の募集に応募した人たちでした。
   少なくとも当初慰安所の作成に軍もしくは政府が深く関与
   していた。)

自分の考えをまとめると以下のようになります。
 「たこ部屋」(鉱山)に
 「無理矢理人を連れてきて働かせている」(徴用)
 「手配師」(日本)が、同時に「女郎屋」(慰安所)も経営していたら、
 「女郎屋で働かされている人」(慰安婦)も
 「無理矢理連れてこられた」(徴用)と推定する。

 あと、事実の調査/検証は当然必要です。調査/検証無しの謝罪は、
本当の意味での謝罪とは言えない。検証無しに謝罪するという事は
言い換えれば「本当かどうか分からないけれど、とりあえず頭だけ
下げておこう」と言っているのと同じで、被害者を完全に馬鹿にしている。

 また、当時の日本軍の下級兵士について、侵略行為を正当化したり
自慢したりしない限り、私はなにもいうつもりはありません。
 文字どおり地獄のような戦場で生死の境を越えてきた人たちに対し、
彼らの苦労の結果の繁栄に首までどっぷりと漬かって、ぬくぬく
暮らしている私がなにか言えるとは思いません。

 ただ、私たちが彼ら先人の苦労の結果の繁栄を享受している以上、
もし彼らが他国を侵略していたり、搾取していたのなら、私たちは
事実を認めるべきだと思います。

以上です。』
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal5/
此処の228より。

コメント(14)

http://www.vega.or.jp/~toshio/ssmokuji.htm

『従軍慰安婦問題に関する会長声明

本年6月4日、「明るい日本」国会議員連盟発足に際して、同連盟会長に就任した奥野誠亮元法相は、「『従軍』慰安婦はいない、商行為として行われた」、「軍は戦地で交通の便をはかったかもしれないが、強制連行はなかった」と発言し、同席した同連盟事務局長板垣正参議院議員も、「性的虐待のイメージを植え込む教科書のあり方はおかしい」などと語った。板垣議員については、これに先立つ本年5月28日の自民党総務会においても同趣旨の発言を行ったと伝えられている。

しかし、これら「『従軍』慰安婦」問題は、軍事的性的奴隷としての被害の典型であり、軍の関与と強制の事実は今日、明白な歴史的事実となっている。

ちなみに、日本政府は当初は「従軍慰安婦」への軍の関与を否定していたが、事実を明らかにする文書が発見されるにおよんで、1992年7月の第1次報告書で、軍の関与を認め、翌93年8月の第2次報告書で、「総じて強制であった」とも認めている。

一方、国連人権委員会は、本年4月19日には、女性に対する暴力廃絶決議を行い、ラディカ・クマラスワミ特別報告者の「戦時の軍事的性的奴隷制問題に関する報告書」に留意するとして、これを承認したが、この報告書は、日本の「従軍慰安婦」問題につき、これを軍事的性的奴隷制であると断定し、国家の法的責任を認める、被害者個人への補償、謝罪等を勧告している。

当連合会は、1993年、第36回人権擁護大会における「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」、1995年1月の「『従軍慰安婦』問題に関する提言」において、日本政府に対し、被害者への謝罪と補償、国民への歴史教育を行うよう求めてきた。

かかる歴史的事実と内外のこの問題への普遍的な人権思想に立脚した対応に反し、両氏が公的立場にありながら、「従軍慰安婦」被害者の人間的尊厳を著しく傷つける前記発言を行ったことに強く抗議するとともに、日本政府は、このような発言が後を絶たないことを深刻に受け止め、被害者への謝罪と補償、国民への歴史教育等の措置を速やかに講ずるべきである。

1996年(平成8年)6月20日

日本弁護士連合会
会長 鬼追明夫』

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/shiraisi.html

『従軍慰安婦の偽証ー黄錦周の証言


「生活は貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い。1938年 に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時にその家の娘の身代わりとなって満州に 連行され慰安婦となる」

高木健一著『従軍慰安婦と戦後補償』
「威興の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行 くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」

平成7年朝日新聞インタビュー
「私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に 行ったんだ!日本人に便所と言われもうこれ以上我慢できない!やっぱりあの時死 んどきゃよかったんだ!これ以上生きててもしょうがない!もう死んでやる殺してく れ!」

TBS「ここが変だよ日本人」より
例えば、黄錦周(ファン・クムジュ)さんの場合、生まれた年が朝日新聞の記事(平成 七年七月二十四日夕刊)では「一九二二年(大正十一年)」だが、伊藤孝司氏編著 「証言 従軍慰安婦女子勤労挺身隊」(風媒社、平成四年八月)では「一九二七年 (昭和二年)」と書かれ、慰安婦にされた年も朝日新聞では「十七歳(昭和十三年か 十四年)」だが、伊藤氏の本では「シンガポール陥落の年(昭和十七年)」とある。慰 安婦訴訟原告団の一人、金学順(キム・ハクスン)さんのケースも、新聞記事や本の 記述を読み比べると、慰安婦にされた年などが食い違っている。

【産経新聞】Sankei-editorial:「河野談話」の根拠揺らぐ 97/3/11
「満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしまし た。 何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろう と思っていました。姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって 出ることになりました。」

[日韓社会科教育交流団韓国を訪問]1997.夏期
「満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしまし た。何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろうと 思っていました。姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって出 ることになりました。」
http://www2.nkansai.ne.jp/users/peace/heiwanews%EF%BC%95.htm#1

「黄錦周さんの証言を聞く会]
2001.07.17 東京大学にて集会でハルモニは、「14 歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスのはけ口に されたつらい体験を語りました。」
[aml 23174] 「慰安婦」と教科書 http://www1.jca.apc.org/aml/200108/ 23174.html

国連・経済社会理事会 クマラスワミ報告 1996年1月4日
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工 場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思い ました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求 しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しまし た。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂 き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび 気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていまし た。
http://www.jca.ax.apc.org/JWRC/center/library/cwara.HTM#testify

元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会 1997年12月5日(金)福岡市都久志会館ホ −ルにて
1912年扶餘生まれ。父の発病後家運が傾き、13歳のとき家をでて、奉公に出まし た。村の班長(日本人)に「日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。一家に一人 は行かなくては」と脅かされ、奉公先の娘たちにかわって1941年、二十歳で国を離 れましたが、ついた所は慰安所でした。
http://www1.jca.apc.org/aml/9711/6904.html



証言が頻繁に変わり、証言を補強する証拠がない』
『従軍慰安婦問題とそこに潜む人権問題(再提出)
I98515, 茂松千衣子
2001.1.21

  グローバル化と言われているこの時代に、いかに様々な人々がそれぞれの人権を守りつつ生きていくかというのは大変大きな、また難しい問題である。しかし、人権問題というのは過去の歴史においてもやはり重要かつ、慎重に取り扱うべき問題であった。とりわけこの日本を含むアジアに焦点を当てて考えた場合に日本が過去に犯した戦争犯罪も一種の人権侵害であると考える。主観的ではあるが、日本政府が犯した最大の人権侵害は「従軍慰安婦問題」であるのではないだろうか。なぜならそれは、弱者である女性を暴力という名で侵害し、その人権侵害は現在に至るまで被害者達を苦しめているからである。そして、戦後国連人権機関で討議され、日本政府が勧告を出されているこの「従軍慰安婦問題」は、マイノリティーの権利の侵害に相当すると思われる。戦争という特別な事態ではあったものの、日本の支配化にあり社会的にも立場の弱かった東アジアの女性達はマイノリティーに値すると考えられる。戦後半世紀が過ぎた現在に、改めてこの問題に目をやり、被害者達の人権やこれからの日本政府の責任の取り方(戦後補償など)について考えるのは、国際社会を成り立たせていく上で欠かせない重要なプロセスだと感じ、このテーマを取り扱ってみる。

 1.なぜ現在従軍慰安婦問題は注目されているのか?
 この慰安婦問題自体が人権委員会でクローズアップされてきたのは、90年代に入ってからである。80年代から補償問題が浮上していたにせよ、戦後半世紀近くなるまでこの問題が眠っていたのには大きく3つの要因があるとされている。
 1つ目に、被害者の女性たちの沈黙が挙げられる。被害者達は、深刻な人権侵害を受けたにもかかわらず、その体験を好評する事で周囲の人間から「差別の目」にさらされる危険性がある。また、当時を思い出し自らの体験を語ることは、大変大きな苦痛である。しかしここで忘れてはいけないのは、沈黙の長さは人権侵害という問題の深刻さに比例するという事実である。
 2つ目に女性の人権の未確立である。アジアのみに限らず世界的に考えてみても女性の人権状況、人権意識のありようが変化していきたのはここ最近の話である。例えば、女性差別撤廃条約の採択が1979年・女性に対する暴力の撤廃宣言の採択が1993年といった感じである。(しかしここで注意すべき点は、女性の人権は顧みられない当時でも、すでに奴隷制や強制労働や人身売買を禁止する国際条約は採択されていた事である。)
 3つ目に挙げられるのは、東アジアの政治状況である。80年代までは、世界は冷戦という構造の中で動いていた。しかし、ソ連東欧社会主義政権の崩壊になり冷戦は無くなり、国際的に社会状況が変化を遂げた。この流れの中で、「歴史」の見直しが国際的に進行した。
 上記で挙げた3つの要因が「変化」を遂げた時に、慰安婦問題は国際社会における重大人権侵害問題として注目を浴びたのである。次に、簡単にこの問題が注目を浴びた経過を説明しておこう。
 動きの始まりは韓国の女性運動である。女性への性暴力問題に取り組んできた彼らが、80年代の後半に過去の歴史においてもっとも激しい性暴力の事実解明に乗り出した。一方、日本の国会で朝鮮人強制連行問題が取りざたされた際に「慰安婦問題」へも質問が及びそこで「軍の関与」を否定した。この政府の嘘が、韓国の被害者達の怒りに触れ、ついに彼女達は沈黙を破ることとなった。この事がきっかけとなり、フィリピンの女性達も重い沈黙を破り、問題は世界へと広がっていったのである。これにあわせるように、日本サイドでも戦後補償問題が急速に盛り上がりを見せ始めた。こうして、「慰安婦問題」は現在に至るまで注目をされているのである。

2.当時の従軍慰安婦の実態と現在の状況はどうなのか
 「従軍慰安婦」と一言で言ってきたが、具体的に一体何が日本政府・日本軍によって行われてきたのかを被害者達の証言や元日本兵の証言によって明らかにしておく必要がある。なぜ慰安婦として日本軍に身柄を拘束されていたのか、実際どのような生活を送り、どのように人権を侵害されてきたのか。そしてこの重要な人権侵害は現在にどのような影響を及ぼしているのか。過去に犯した犯罪を包み隠さずに知るということは、これからの人権や人間関係を築く上で重要な階段であるのは、紛れもない事実である。
 1900年代初めから第二次世界大戦が終わるまで、日本政府は軍部の意見により軍人向けの売春施設を運営し、これを「慰安所」と呼んでいた。そこには、日本兵士に性的慰安を与えるために、脅され、騙されて、またある場合には誘拐までされた若い女性達が置かれていた。彼女達は主に、中国、オランダ、フィリピン、インドネシア、朝鮮、マレーシア、台湾から連行され、「慰安婦」または「従軍慰安婦」と呼ばれている。慰安所では、彼女達は約0.9メートル×1.5メートルの狭い小部屋に閉じ込められ、昼夜ともなく日本軍将校や兵士に強姦、殴打、拷問されていた。生活は不衛生で、みすぼらしいものであり、食べ物も量、質ともに最低なものであった。軍医による検診もいちお施されていたものの、多くの者が性病にかかった。軍医は性病にかかった女性達の治療に(少女達といった方が適切かもしれない。なぜなら当時被害者達の年齢の中には14歳から18歳といった幼い者もたくさん存在したからである)、当時は非常に高価であった「606」号薬の注射を軍費でまかない使用していた。しかし、殴打や拷問でできた傷や怪我には何の治療も施してはいなかった。このような最悪の状況下でも日本兵による人権侵害が終わることはなかった。ある日本兵は、戦争により兵士の多くは「無感覚」、つまりすべてのものに感情を抱けなくなり、後悔や自責の念にかられる事なしに、卑劣で野蛮な行為が出来るようになったと証言している。
 日本の敗戦とともに、殺された者、逃げたもののジャングルで死亡した者、故郷へ逃げ帰れた者と被害者のその後はまちまちではあるが逃げ帰れた者も、決して「幸せな生活」が待ち受けていたわけではなかった。被害者の中には、当時の拷問のせいで子供が産めなくなった者、体の一部が変形し日常の生活を円滑におくれない者もいるが、被害者に共通して見受けられる点は、彼女達はいまだに自分自身を責め続け、自分の存在を恥ずかしいと感じていることである。この為に、家庭でも、社会でも自分一人で暗い過去を背負い今も苦しんでいるのである。これは、間違いなく「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳および権利について平等である」という世界人権宣言第一条に違反している。

3.この人権侵害に対する日本政府の対応はどうなのか?
 1991年に国会で従軍慰安婦問題が取り上げられた時に、日本政府は民間業者のしたことであり、政府や軍の関与を否定した。また、国際舞台でもこの不誠実な態度は変わらなかった。
 1992年2月の人権委員会では、補償に対して言及する立場でないとし、8月の人権小委員会では二国間条約または多国間の平和条約と、その他の関連する条約によって解決済みとし、1993年3月の人権委員会では、国際連合憲章の前文で明白に説明されている国連の目的は、戦争の災害から将来の世代を救うことであり、国連は特定の国の過去、特に国連創設以前に発生した問題を討議する機関ではないとした。しかし、国内でも慰安婦への関与を否定できなくなると、国際舞台では沈黙を守り続けてきた。
1993年8月に日本政府は初めて、「当時の日本軍が慰安所の開設、運営、慰安婦の運送に直接、間接に関与した」ことを認めた。さらに慰安婦の募集や連行が強制やごまかしであり、女性達の意に反するものであったこと、軍要員が募集に直接関わった事を認めた。また「過去の行為が多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであった」と認め、謝罪したが、いまだ朝鮮、中国、フィリピン、インドネシア、オランダ等世界各地に点在する被害者からの賠償と謝罪の請求は続いている。しかし、日本の裁判所の手続きは一般的に時間や費用が異常ともいうくらいにかかり、被害者の救済には役に立たないのも現状である。また、国際的非難を回避する為に、日本政府は法的責任を否定した上で、「道徳的責任」と称して「国民基金」(女性の為のアジア平和国民基金)を開始した。
 いずれにせよ、日本政府は慰安婦にした人権侵害を巧妙な手口であたかも償っているかのように見せているが、事実これは完全に法的な責任から逃れ、過去に犯した犯罪へ反省もせず、「道徳的責任」という隠れ蓑を用いて未だ被害者と向き合っていないのが現状である。

4.今後われわれはどうしていけばいいのか?
 これまでに従軍慰安婦の実態と現在に至ってもまだ続いている人権侵害の傷跡、なぜ半世紀たった今でも国際舞台でこの問題がとりざたされているのか、この問題に関して日本政府はどのような見解を示してきたのかを説明してきたが、「今後われわれがどうすべきか」というのがこれからの国際社会で人権を考えるのに不可欠な事であり、二度と同じ過ちを繰り返さない為でもある。
 日本の国家の基本的な体制は、歴史においても政治においても「都合の悪い事実は隠ぺいする」というものである。そして、アイヌ問題にも見られるように、マイノリティーの叫びや訴えに上層部の人間は耳を貸さないことである。この慰安婦問題に関しても、まず事実を認め、国際舞台でこの問題を考え、「被害者にとっての真の救済とは何か」を考え、それを実践することが何より先決である。
 次に戦争を知らない世代が、この問題と自分を切り離して考えないようにする事である。ドイツでは、ナチスの戦争責任やそこに潜む人権侵害に対する作文を高校生になると全員が書くそうである。こうする事で、自分達の問題として過去を捉え直し、人間が何にも脅えずに生きていく事とはどれだけ難しく、かつ大変であるかを認識するのである。このように包み隠さず次世代へと事実を語り継いでいく事も重要であり、国家の問題は実は国民一人一人の問題であると認識する事が、「単なる歴史の問題」で終わらせない方法であると考える。
 上記で記したことを実践する事が、戦争を風化させないことであり、そこで犯した犯罪や人権侵害を自分の問題として捉えることとなる。それはこれからのグローバル化で曖昧になる恐れのある「マイノリティーの人権」および「人が幸せに生きる権利である人権そのもの」について今一度考えるきっかけとなるのではなかろうか。

参考文献リスト
1 戦争犯罪と人権 日本軍「慰安婦」問題を考える
  前田 朗著  明石書店
2 国際社会と新たな人権の課題
  反差別国際運動日本委員会
3 国際法からみた「従軍慰安婦」問題
  国際法律家委員会著 
  社団法人自由人権協会・日本の責任資料センター訳 明石書店』
http://www2.kobe-c.ac.jp/~a-kawamu/pages/lectures/lectures2000/IR2000-2/IR_report/I98515.html

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/back/99-280.html

肯定する人の意見が少な過ぎて探すのに苦労します、見つけたと思っても404ばかり・・・もっとオープンにしてもらいたい物です。
とりあえず、時間くださいwwww
全部読むのに骨おれます(うぇ
ふぅ。。一部斜め読みですが、だいたい読みました。
テンプレのものに関しては、あくまで個人の主観のもので、論議に値するのか疑問ですが。。。。。

まず書き出した項目について。

1−4については、軍事国家じゃ当たり前では?
さらに言うと、植民地じゃないです。併合したのだから日本です。
等しく課せられた国民の義務です。強制でなにがいけないですか。
合法的に徴用、徴兵したのです。
今の世の価値観で当時を判断してはいけません。

5については、完全に個人の主観的なもの。

6は、実際には「徴兵」が実施されたのは昭和19年9月からです。
もっと言うと、徴兵された人間は、朝鮮半島内で訓練校で終戦を迎えてるはずです。

それまでは自由意志、すなわち有志の朝鮮人志願兵がいたという事です。

「徴用」に関しては、内地の失業者が増えるのもあって、渡航制限をしています。
さらに、当時はすでに「給与」の良い内地への希望就職者が後を絶たず、不正渡航してまでくる始末でした。
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00103.htm
昭和9年に実施され、44年に撤廃されています。
撤廃後は、どどどっとなだれこんできたようです。
渡航規制中も密航が月200人は確認されていたようです。
朝鮮人は「強制連行」されに進んで日本に来たのかな?w

7は1−4について同じ。

8は集められたという言葉と、募集されたと言う言葉のすり替え。自己意識によるものか、強制的収集なのかをぼかしてる。

9−10については、想像の産物。証明するソースを示してもらいたい。
そもそも、「従軍慰安婦」という言葉なぞ戦時中にはない。

11については、なんで今回その話でてるの?
同情を引いて、信憑性をつけたい?

つまりは、この人の、思い込みで書いてるだけですね。
この人の論拠だと、徴兵、徴用と従軍慰安婦をごっちゃにして書いてあるだけで、慰安婦がどういう経緯なのか説明をせずに、一気に運営の話に飛んでいます。

さらに、自分で推定 と指定いますし、根拠が希薄すぎる。
日本国が無かったと言う物をことさら「あった」とするならば、証拠ぐらい提示しないと話にならない。

無かった事を証明する事は「あった」事を証明するソースが出てからでも遅くないでしょう。
無い事を証明するのは骨がおれますがね。
証拠に関してはその通りですよね、まずは『あった』という事を確たる証拠を出した上での問題だと思うのですがそれが分からない奴が多い。

『あった』という事はもうアカシックレコードにでも書いてある、って雰囲気ですからね。好い加減、まともな人間の議論をして欲しいものです、とにかく証言以外の証拠を出せよ証拠、物的証拠。それがないなら話し合う必要もないって事、首相靖国参拝が違憲か否かの判断すらされなかったのと同じ事です。

それに証言を信じろと言うなら私は祖父の証言を信じます。彼は戦時中、船員として輸送船で働いていました、そして慰安婦を運んだ事があるそうです。

当然、金を払って雇ってきた人達、みな納得尽くで仕事の内容もきちんと理解して乗って来ていたそうです。
いいですね。
当時を知る人間と話せるのは。

うちも、嫁の祖父が満州にデパートの店員として行ってたらしく
色々話を聞きました。
でもあまり多くを聞けず、他界してしまいました。

聞いた話では、併合された朝鮮ではみなが仲良く暮らしていたそうです。
確かに軍は怖かったそうですが、それは朝鮮人も日本人も等しく
怖いというイメージで、朝鮮人が差別されてたわけではないみたい。
ぼくらが警官の前を通ると萎縮するのと同じですね(w

あと、満州では差別があったそうです。
満州人が朝鮮人を差別していたみたいですね。
それをいつも仲裁していたそうですよ(w

でも、この話を聞いただけであとは話す機会がなくて(;;

生き字引な世代がじゃんじゃん居なくなる前にこういう論議を
早く終わらせなければなりませんね。
追軍売春婦を募集するのに政府が関与したとの事ですが、
貴方の書き方では、政府が募集したと読めてしまう書き方をしております。
関与自体は事実ですが、実際には悪徳業者が居るので気をつけるようにと注意を促したに過ぎません。

また、韓国が従軍慰安婦の証言として信憑性があるとしたもののうち、従軍慰安婦として強制連行されたと認められたものは有りません。

なお、従軍慰安婦問題は国連人権委員会でも取り扱われましたが、評価は『take note(留意)』と言う最低のものを受けています。(クマラスワミ報告書)
貴方って誰だろう。。。。

国連人権委員会の資料ありますか?
私はそれを知りません。
確かに貴方が指す相手が分かりませんね、書き込みであればその番号、もしくは書き込んだ人の名前を書いてから発言するようにして貰えると分かり易いです。

クマラスワミ報告書ですが

肯定派
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-coomaraswamy.htm

欠陥あり派
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal8/react453.html
http://www.tamanegiya.com/takagikenniti.html

抽象的過ぎて余り当てにならない、と言うのが私の判断です。
>よしぞ様
上記の貴方とはラグ@たれてます氏の事です

国連人権委員会についてはWikipediaに載ってます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A3%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8458730&comment_count=13&comm_id=275908
こういう考え方をする人もいる、という例の為に置いておきます。単純に考えてないという見方も出来るのだけど。
11続報
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8603079&comment_count=1&comm_id=275908
結局こうなった様子、嗚呼矢張りとしか言いようがありませんねえ。
在日韓国人として爽やかに生きたい人のサイトです
http://www.han.org/a/half-moon/
別に生きていなくても良いんですけどね、巣に帰って頂きたい。此処でも慰安婦について彼ら寄りの考えが読めます。

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