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SとM考察コミュの「SとM考察」を考察

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管理人です。
今回はSとMを考察する行為を考察。
SとMを考察するということは、世の中には自分とは考え方や感じ方が別の人間が存在しているということを絶対的に認め、自分の哲学や主張がありつつも、自分とは違う哲学や主張も考慮に入れること。
まさしくそれは主観と客観の共存でしょう。

コメント(33)

初参加で前スレあげてもいいのかしら?
不適当だったら消して下さいね。
私自身は性癖のみMのM女さんですが、キャラや性格からSをする事も多々あります。
そのなかでM転するハードSさんをどれだけ見てきた事か…orz

おかげで私のSMの考え方は「やらせてみい事は実は自分がやりたい事」っていう紙一重状態です(笑)

もっと言わせていただければ、だからお気楽に楽しめばいいんじゃないがポリシーです。
特に最近多い、精神的に病んでる方のSM依存、やりたいだけの偽S、男ができないからとりあえずMって言えばちやほやされるって考えてるM…

いくらSMの定義は人それぞれとは言え…これでいいのかなぁ…

えらそうに書いてますが私の日記もかなり明るいエロ日記なので(笑)大きな事はいえませんが(はあと)

このコミュ立てたからでも最近ずいぶんSMの考え方が変わってきた気がします。ものすごい一般的ななったというか、変態扱いされなくなったというか。。。
確かに最近ではSとかMとかの境界線の曖昧ですよね。
>黄昏パンダさん
ほめ言葉?(^_^;)
いいようにとっておきます(笑)
愛する女性が快感に溺れて行く表情を追求して行くうちに、緊縛による身動きのできない中で逝く表情と声や身悶えと言った快感表現に、どんどんのめり込んで行く自分を発見しました。
お陰様で、縛りや逝かせのテクニックは始めた頃からは比べようもないくらい向上出来たと思いますがしかし、果たして「Sとして一人前になったのか?」と聞かれると自信がありません。
SMという言葉で自分の性癖を括ることの出来ないもどかしさを、常に感じています。
なので、自分のプロフィールにも「逝かせ魔」と書いて見ました。
同じような考えの方がおられましたら、是非ご意見をお聞かせ下さい。
私は物心ついた時から自分にM性があることに気づいていたので、実際に相手を探して何度もSMプレイをしてみましたが、結局、後味の悪い失望しか味わえませんでした。Mは受け身の立場なので、もともと思い通りになるわけないですが。

リアルにやっても無駄だとわかってからは、ずっと頭の中で理想のSMを考え続けてきたけれど、理想のSMを妄想するということは、Sの立場で考えるということで、どう責めれば私を苦しめることができるか、ひたすら考え続けることなんだけど、最終的には、Sで責める側だったはずの自分が、気づいたら責められる側になっていて、自分で考えた最高に厳しい責めを自分で受けるはめになるってところで昇天です。

SにもMにも、いろんな考えや嗜好があるんでしょうが、私のM性は、他人に責められても嫌な思い祖するだけで快楽を感じることはできないけれど、妄想の一人SMでのみ、楽しめるM性のようです。
本当にSMの世界って広い!

「SM」と一括りにしがちですが。その嗜好は百人百様。
「え?そういう嗜好!?」という
一風変わった独自のSM観も無数に見てきました。

そんなに性癖が違っても、その根底に相手へのリスペクトがあることが
何より大切な気がしています。

ぜひ、いろいろな方のそれぞれの嗜好を伺ってみたいですね!








SMを考察。
改めて考えて「自分はなぜSを名乗っているんだろう、その定義も曖昧になってるのに」と感じた。
もうSに拘らなくても良いのかもしれない。
これからはこう言おう、
「麻縄で完全に自由を奪いつつ苦痛であいてを追い込むのが好きな性癖」

・・・・長過ぎやろ。
縄で吊りながらも身体への負担が減るよう配慮するこの矛盾の魅力。
BDSMともなると、SとMも昔のように加虐性癖と被虐性癖ではくくれなくなった。

支配、被支配も性癖として性行為や性快楽を伴ってるんだかないんだか。

もはや自己中心的な性格と、依存傾向っていうだけという、もうプラスとマイナスくらいに薄〜い定義にまで普遍化した観すらある。

それだけ広義になってしまうと、自分の固有定義と重なる定義を持ってる人を探すだけで一苦労。


「愛が無ければSMでない」教も信者が増えて、そうでないと異端教徒狩りから魔女裁判までされかねない世の中になった。

闘技場では殺し合いがスポーツに変わったけど、変態が健全化されるといいことばかりじゃないね。
日本のSMの定義の明確化へのアプローチ

横軸にS/M、縦軸にD/S、センターをノーマルとした四象限を描いた時、自分が何処に居るかだと思う。
そしてパートナーがセンターの先の対角にちゃんと居るかが大事。
恋愛感情は癖を超越して何でも有りにしてしまうのでSM、DSとは別に扱いたい。
そして更に話を複雑化させる要素の一つが受け手(加虐側もだけど)の苦痛の好み。蝋燭大好きだけど鞭は大嫌いな人がいて、またその逆な人もいる不思議。(私の想像とかで無くリアルに)
その複雑さがSMの魅力でもあるのだが。
私のS Mは理論では無く、技と思って居ります。
太鼓も叩き方があり、より良い鳴りを求めると同じでは無いかと?
多様性のなかで、題材に対して一番より良き道を探る事も一興と考えます。(^^)
SMの語源となる、サド公爵、マゾッホを研究した学者達がみな口を揃えこういうのです

「SM行為は愛を必要としない、
Mはサディスト単に性的興奮を得る為の存在であり、マゾヒストもSは快楽を与える存在でしかない」

「S,M,どちらも、脳快楽物質の分泌数量に異常が見られ、精神異常を認められる」

 成る程、医学的、精神学的には、異常者なのだそうです

だが、芸術性を兼ね備えたものが多く知能が高い、と、言いますので、なんとも珍しい生態ですな




つくづくと
愛しては良くとも、惚れてはいけない
と思う。

惚れるということは自己制御が難しい。
惚れることが自分の弱さに由来すると更にややこしい。

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