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三国志コミュの孫権について

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配下をうまく活用したり、魏・蜀二国との外交では2対1の態勢をうまく作り出し呉を建国した孫権。

呂範に金をせびったり、宮殿の木材をリサイクルしたり、虎狩りを張昭に止められても続けたり、曹操に孫権のような息子を持ちたいと言われたりたくさんエピソードがあるのですが、あまり取り上げられたりはしません。

そんな孫権について語りましょうというスレです。

コメント(33)

とりあえず、戦術眼というか戦略眼というか、中期的な作戦を立てるのが苦手という印象が強いですね。
単純な戦でも弱い。親征で勝利したのは皖城の戦いくらいではないでしょうか(黄祖討伐は呂蒙、凌統、董襲の手柄でしょう)

ただ人を見抜く目は一流、度量は広く思い切った的確な登用が出来る大物かと思います。
孫策の死後、呉を牽引した四人の大将は推薦状を持っていただけで周・魯・陸は実績不足、呂蒙は家柄が低く、皆抜擢といえるでしょう。
晩年の醜態を考えても十分お釣りがくる賢君と言えるでしょうね。

たただケルウィン様が挙げてらっしゃる外交の件ですが、魏と蜀は存在理由からして敵対する運命にあるので、
結局呉はどういう状況にあっても二対一という構図に収まれるのですよね 笑
とは言っても、状況に合わせた外交は非常に巧く、実は本伝を読んでて一番楽しい人物だったりします。
曹丕・曹叡とは逆に、寿命が長すぎて国家に害を与えた人物ですね。
> イワヤジョーさん
確かに酒乱ですね。
しかし、3杯以上飲んで出した命令は実行しなくていいという命令を出していたので自覚はしていたと思います。
> ウィンドボナさん
仲悪いとかいう記述は知らないんで、仲悪くはなかったのでは?
> 可憐@鈍速聖将さん
陸遜の事件のときも孫権は酔ってたんですか。知りませんでした。
孫権は晩年はいろいろと事件を起こしましたからね。
> 自己中。さん
〉思いきった的確な登用ができる
ってのはおっしゃる通りです。
蛇足ですが、周瑜については孫策期に程普・呂範に並ぶほど実績をあげてます。
> ナリケンさん
そうですね。孫権は長く生きすぎたってよく言われます。
曹叡も後半は暴君でしたね。
> あだっちゃんパート2さん
孫権は三国時代でも1・2を争う内政のプロだと思います。
ケルウィン様

すみません。私は周ユの孫策時代の実績を寡聞にして知らないのですが…

周ユ伝に載っている「〜を破った」「〜を落とした」という戦は
恐らく全て孫策直卒の軍隊の部将として参加した戦ですよね。
程普のように「功績を挙げた」「大きな手柄があった」とか実際の活躍が記載されていないので、
実績不足と断じた次第です。

実績ありとするのは、論功行賞で程普と同じ褒賞が与えられているところを見ると、
彼にもやはり相当の手柄があったと見るということでしょうか。
ああ、大きな語弊があります。

>周ユ伝に載っている「〜を破った」「〜を落とした」というーーー

の文ですが、勿論これは孫策時代の話です^^;
> 自己中。さん
確かに表だった功績はあまりないです。劉勲・黄祖討伐時に部隊を率いて戦った位です。
周瑜は対劉ヨウ戦の時に叔父から借りた兵で出陣しました(孫策軍に兵力を出した)
そして一番の功績は周瑜は劉ヨウ軍の動きを調べさせ把握した事です。これにより孫策軍の各個撃破戦術に大きく影響しました。まぁ実績にはならないかもしれませんが。
周瑜が中護軍として孫策軍の主要な地位にいたというのも、実績の証明にはなりませんしね。
話を横に逸らすようで申し訳ありません。

>ケルウィン さん
>一番の功績は周瑜は劉ヨウ軍の動きを調べさせ把握した事です。

これは『正史』や稗史のどこかに明記されていることでしょうか? 

周瑜を考察するサイトを見ていると、必ずこれが(情報収集、分析で貢献した)との記述があるのですが、『正史』の『周瑜伝』『孫策伝』には、それらしい部分が見当たりません。後の周瑜の実績から、確かにその可能性は考えられるのです。しかし、功績として断言しているサイトもあることから、どこかに判断できる記述を見落としているのかもしれない(私も『正史』をそれほど精読しているわけでもありませんし)、との疑問もぬぐえないわけです。

ご存知でしたらご教示よろしくお願いします。
張昭とのケンカが印象的ですね(主に張昭の家でのドタバタ)

ケンカするほど仲が・・・
と思いきや最後まで張昭を丞相にしなかった孫権

孫権が張昭をどのように見ていたか気になるところです
>ケルウィン様

ありがとうございます。
情報収集、索敵で功を挙げたのですか。浅学なもので知りませんでした。
R・F (SAKAI)様と質問が被って申し訳ないのですが、この記述はどの書物のものでしょうか。
一応「周ユ伝」「孫策伝」「劉ヨウ伝」「太史慈伝」「程普伝」「韓当伝」「黄蓋伝」等ある程度読んでみましたが、それと思われる記述が見当たらなかったもので…

軍需物資の提供の件は正史から簡単に読みとれるので余計に疑問を持ちました。
> R・F (SAKAI)さん

すいません、正史見てみましたが、(おそらく)書かれていませんでした。俺も色々なサイトで周瑜が劉ヨウ攻略時に諜報などで活躍したとか書かれてたのを見てるので書きましたが、周瑜伝には孫策本軍と同じ道のりで侵攻したとしか書いてませんね。

となると周瑜の実績の証明は難しいです。
> カサさん

いろんな小説や漫画でもうるさいじじいだみたいな事言われてますし、張昭だけには頭が上がらないって感じも見せてますからねぇ。
主観ですけど口うるさいが頼りになると思っていたのではと思います。
> JOJOさん

呉にとって異民族討伐は重要ですからね。

こういう二面性も孫権の特徴?の1つかもしれません。
はじめましてー。孫権大好きなので、悪口のほとんどない(!?)トピックがあって嬉しいです。

孫権がどうして二面性があると言われるか…というと、陳寿の本伝と特に江表伝での記述の評価が真っ二つに分かれてるからだと思うんですよ。

陳寿は、劉備を持ち上げるために孫権を貶めた記述をしていると見受けられるところが多々あるので……(だから、個人的に功績は認めつつも陳寿は嫌いw)。

一方、江表伝は、呉が滅亡した後で晋の人間にまとめられた記述ですから、その中で孫権を持ち上げるエピソードがたくさんあるというのは、例え孫皓との対比の分があると差し引いても嬉しいことです。

孫権は民間伝承でも民や身分の低い部下を大事にしたエピソードなども残っていて、そういう一般の人々に好かれた素敵な人だったんじゃないかなぁと(勝手に)思っています。
> はやせさん

孫権は生涯質素に過ごして衣服や宮殿なども必要最低限しか金をかけなくて、飢饉などが起こる度に救済措置を取っていて、それは晩年になっても変わらなかったので民衆には好かれていたのかもしれませんね。

正史でも孫権はだいぶ誉められていますよ。権って陳寿に呼び捨てされるのは仕方がないことだと思います。
 すみません、二宮事件の話もここでしていいですか?

 2カ月ほど前に「演義VS正史」トピに書き込んだことですが、孫権は正史の知識の普及によって評価がもっとも下がった一人ではないかという気がします。つまり三国志演義は二宮事件に言及していないからです。

演義VS正史
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18331289&comm_id=10336

 ここの90で長々と書いていますが、陸遜を憤死させてしまったことが孫権の印象を決定的に悪くしたように思われます。で、いま私が伺いたいのは「二宮事件における孫権と陸遜についてどう思いますか?」ということです。孫権が一方的に責められるべきなのか、それとも陸遜の側にも何らかの落度があったのか。皆さんの御意見をお聞かせいただければ幸いです。
> 凡さん

二宮の変の頃は魏では司馬懿率いる潁川名士の集団がどんどん力を付けていってる時期でした。
呉でも陸遜を筆頭とする呉の四姓など呉国内の土着勢力が権力をもっていました。
孫権は自分の死後に豪族達が政権を奪い取ることが怖かったのではないでしょうか?だから陸遜・顧譚・朱拠などを後継者争いの内紛に乗じて殺したのではと思います。

しかし、そうだとしても陸遜らが政権を奪い取ることは考えにくいですし、孫和を廃して孫亮を皇太子にしたのではまったく意味がないのでやはり孫権に非があると思います。
>ケルウィンさん
 お返事ありがとうございます。二宮事件自体が君主権の強化を狙って仕組まれたものだったとまでは思いませんが、孫権が事件のどさくさに紛れて豪族の領袖たちを始末しようとしたというのは大いに有り得る話ですよね。ですが最悪の結果になってしまったわけです。孫権という人は状況を的確に読んで柔軟に対処するのが非常にうまいと思うのですが、二宮事件の時は往事の冴えを失って意図が裏目に出たという感じがします。魏という強敵との対決を常に迫られている状況下で幼い孫亮を皇帝にすることの愚についても、ケルウィンさんに同感です。

 もし仮に陸遜が政権を奪取するとしたら、やはりクーデターでしょうか? 陸遜が司馬懿のようにクーデターを起こすことは有り得たのかと司馬懿トピの方で話題にしてみたのですが、「陸遜自身にその意図があったかどうか以前に、司馬懿と違って帝都を電撃的に制圧できないので無理」とR・Fさんから御教示がありました。
> 凡さん

俺も無理だと思います。

孫権は人事権も軍権もしっかりと握っているのでクーデターをしたってすぐ鎮圧されます。
陸遜がもし孫権死後まで生きていたら可能性はあることはあるんですが、それでもほぼ無理でしょうね
話を切るようで本当に申し訳ないのですが、
君主権力の話が出ましたし、どなたかにお聞きしたいので質問をさせて頂きます。

「呉は豪族連合的色合いが強い」
という話は有名ですが、
実際どういう意味かちょっと計りかねるんですよね…
名士や豪族の力が必要だったのは三国どこも同じ気がします。

呉に特殊な事情があったのか、それともこの話自体おかしなものなのか。

どなたかお詳しい方はいらっしゃるでしょうか。
孫権で印象深いのは「呉下の阿蒙」のエピソードですね〜。
演義では脇役ですが、実際の所は玄徳型の将の将たるリーダーだったのではないでしょうか。

学生のころ光栄の三国志を初めてプレイしたとき、なんであんなに武力高いのか納得行かなかった・・・
ああいうゲームって、すぐキャラの能力に文句言う人いるけど、なぜか代々の孫権の武力の高さはあまり問題にされないですよねw
> かずさん
そうですね。孫権も劉備も部下をうまく用いてます。
昔は高かったですが今は武力67で劉備より低いです。趣味虎狩りで戦にもよく出ていたんでこの位あってもいいのでは?

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