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桂米朝コミュの【エピソード集】

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桂吉弥のマクラに登場する米朝。
米朝の家に呼ばれて酒を飲んだときの逸話。
「三枚起請。あの噺は・・・」と論じた後、ふと吉弥の顔をじっと見て「吉弥、おまはん、肥えたんとちがうか?」
「くしゃみ講釈、あの噺は・・・」と論じた後、ふたたび顔を見て「おまはん、ちょっと肥えたんとちがうか?」
「住吉駕籠、あの噺は・・・」とうとうと論じ、また顔を見て「おまはん、肥えたんとちがうか?」

水虫の薬をしみじみ眺め「水虫の薬か・・・」とつぶやいた後、目に差して「ぎゃあ〜」と咆哮した話は、小米朝さんがネタにしています。

コメント(35)

笑っていただけて幸いです。もうひとつ小米朝さんのマクラ。

「昨年、親爺が骨折しました。布団の上で骨折という、あまり例がない話でした。親爺は怪我をした瞬間、すでに布団に寝ていたのであります」

小米朝さんは国宝の失敗話という、ネタの宝庫を持っているわけで、ひとえに「国宝の御曹司」の「役得」!
>>2 パピヨン様

私はその若旦那のそのマクラばかり聞かされて、
代わりにしゃべれるくらい、丸暗記するハメに。
1回、2回やございません。最低10回ぐらいは聞いてる
と思います。

若旦那にはマクラに工夫希望。
みなさん、はじめまして。

余興先だったと思うんですが、楽屋で亡き吉潮さんがなかなか気に入らないのか頭を何度も何度も櫛でとかしては、崩しとかしては崩しするのを米朝師匠は新聞を読みながら横目でチラチラ見ていたのですが、あまりの吉潮さんのしつこさにとうとう「その頭どないしたいんじゃい!!」とキレたことがあったそうです。
みなさん、色々とご存じですね。
吉朝さんといえば、生前の吉朝さんとお話ししたことがあります。(もっとも死後にお話ししていたら、怖い)。阪急の十三駅でお見かけし、声をかけさせて頂き、武庫之荘で下車されるまで、お喋りしました。享年から逆算すると45歳前後でした。まさか数年後に他界されるとは想像もつかなかったですよ。
「桂米朝〜私の履歴書」が、日経で文庫になりました。エピソード満載。
《パピヨン

いい情報ありがとうございます。早速手に入れてみたいと思います。

自分は「味の招待席」だったかな?料理の紹介番組に出たことで行ける店が減ったと嘆いていた米朝師匠のエピソードが人柄をそのまま表していいるようで好きです。
「私の履歴書」には「目薬事件」も書いておられます。病院で洗浄してもらい、大事には至らなかったが、目の周りが腫れ上がった。その日、たまたま独演会で怪談をかけることになっていた。マクラで「怪談をやるまえに、こっちが化け物みたいになってしもうて」
「私の履歴書」近所では平積み販売しています(関西)。

終戦から入門当たりは、もう一つ興味が湧きませんでした。昭和の半ばあたりから、TV、ラジオの露出が増え始めた。「味の招待席」(米朝はビデオを見てナレーションを入れるだけ。ほんものを食したことは、一度もない)「ハイ土曜日です」の司会など。大阪フィルの指揮者も経験。「これはC調ではなく、B調(ベーチョウ)です」は、今も語りぐさに。

巻末の「年譜」も読み応えがあります。落語作家小佐田定雄氏が入れる「茶々」が、秀逸。
「壺算」のCDの解説を読んでいたら、こんな記述がありました。
==
もうかなり前になるが、この噺と似た手を使ってごまかした外国人が捕まった。そのとき新聞は「時そば詐欺」と書いたが、正しくは「壺算」詐欺である。
==
この事件の詳しい内容をご存じのかた、おられませんか?
すでにみなさんご存知かもしれませんが、ウチでは下記WEBにて、米朝はじめ一門の楽しいエピソードを楽しんでおります。
WEB版朝日新聞の関西版に米朝さんのコラム「米朝口まかせ」
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/beichou/index.html
WEB版日経新聞に米朝さんのお弟子さん米二さんのコラム「京の咄家桂米二でございます」
http://www.nikkei.co.jp/weekend/kat/
ほかにもありましたら、ぜひお教えくださいまし。
すでにご存じのとおり、ABCラジオでは、「日曜落語なみはや亭」に続いて「米朝よもやま話」が放送されています。先週のゲストは正司花江(かしまし娘)でした。今週は横山ノック。あの世からの放送・・・ではなく、漫画トリオの舞台録音を一席、15分ばかり流しました。米朝「タコ踊りは、ええかげんに、やめとけ、言うのに、子供が喜ぶもんやさかい、いつまでも、やりよったなあ」
米朝師匠ACCに出演、その広告が賞を獲っています。

アイバンク(桂米朝)
テーマ「福祉」、制作:1982年12月 博報堂東京、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ


新聞(全10・7・5段、全15タテ1/3) 桂米朝(落語家)がボランティアで出演した「アイバンクキャンペーン」。全国のアイバンクに登録申し込みが殺到し、事務局への投書、問い合わせも相次いだ。

'83ACC、秀作賞(テレビ部門)30秒
桂米朝が1本のマッチの明かりの中でアイバンクへの登録をストレートに呼び掛ける。マッチが消えると画面も消える。


'83ACC、グランプリ(ラジオ部門)20秒
'83ACC、タレント賞(ラジオ部門)
桂米朝


NA 桂米朝です。先日、アイバンクに角膜を登録しました。角膜の移植で目が見えるようになる人が、全国に17,000人もいてはります。しかし、私の目、たった1人分にしかなりません。
アイバンクに登録してください。公共広告機構からのお願いです。

ラジオ(20秒)

'83ACC、秀作賞(ラジオ部門)40秒
桂米朝






NA 桂米朝です。自分のからだでひと様のお役に立つものがあれば、みんな使うてもらおう。そう思うて先日アイバンクに登録しました。家内も一緒にです。何でも角膜の移植ですぐ目が見えるようになる人が、全国に17,000人もいてはるそうですな。私の角膜はそのうちのたった1人分ですが、世の中へのささやかなお返しやと思うております。米朝の目、はたしてどなたさんが継いでくれはりまっしゃろな。
あなたもアイバンクに登録してください。公共広告機構からのお願いです。

ラジオ(40秒)
>14
自己レスです。実際にあった事件。
男が店で350円の品物を買って5000円札を出した。
店員は、品物とお釣り4650円を渡した。
男は650円をポケットに入れ、残りの4000円に、財布からとりだした1000円札を加えて、5000円札に両替してくれと言った。
店員が先ほど受け取った5000円札を渡すと、男は、手元の1000円札5枚を加えて、10000円に両替してくれと言った。店員はうっかり10000円札を渡した・・・

お気づきのとおり「時そば」ではなく「壺算」です。すでに店のものになった5000円札を、あたかも客のもののように勘違いさせて、10000円をかすめ取ろうとしている。「壺算」で言うと、5000円札は、一荷入りの壺の代金「3円」に該当します。すでに店のものになった「3円」を店頭に置いているから、錯覚が起きました。「3円」は店のもの。客のものは返品する「一荷入りの壺」だけですから、決して足すことはできません。「大きいそろばん持ってきて」も、あきません。
「幻夢の邂逅」かんべむさし 遅ればせながら読みました。
三島由紀夫の本籍が加古川だったので、こんなすれ違いが生まれるのですね。
もしこの小説のように、三島が師匠の隣のベッドに入院していたら
三島事件はなかったかも。
高岳堂ブログより引用させて頂きます。


大阪大学落語研究部の「上方落語 第十四号」の「鑑賞」の文が興味深い。要約して引用する。

上方落語の中でも屈指の大ネタと言われ、演じる噺家にとっても難物である「立ちきれ」は、橘ノ圓都師自身、ちゃんと稽古はしてあっても「恐れ多うてようやらなんだ」そうだが、ある日の戎橋松竹、午前九時から正午までの間に開かれていた若手勉強会で、当時まだ新人だった桂米朝師がこの噺を演じた。
「米朝が『立ちきれ』を演った」と、楽屋にいた松鶴(五代目)、花橘、文團治ら先輩たちは大騒ぎ。
「新人に演られて、明治の咄し家が演らんとは面目ないやないか」というわけで、圓都師も演るようになったという。
「米朝が演らなんだら『立ちきれ』という咄は消えてますわ」と師は後に述懐している。

米朝師の、戦後の落語中興の祖、面目躍如のエピソードである。

話し変わって
昨日の産経新聞の書評欄で「噺家の 手ぬぐい」が紹介されてます。
残念ながら馬風会長の協会所属の噺家さんのみですが、個性が出ておもしろいです。
お奨めです。
馬楽さんのデザイン、すぐには何のデザインか解からないとおもいます。一度立ち読みでも。
写真は米朝師匠の手ぬぐい。
エピソードといえるのか判断に苦しむところなのですが、ほかに適当なトピックも見当たらなかったので
こちらでご報告させていただきます。


1月19日「としま寄席」にて柳家花緑氏の「天狗裁き」を聴きました。
そしたら、そのマクラの中に米朝師匠が登場!

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花緑氏が楽屋で出番待ちをしていると、傍らに米朝師匠がいらっしゃった。
しかしその米朝師匠、どういうわけか

   ミ○キーマウスのような、ねずみの耳のついたかぶりもの

を被っていらっしゃり、挙句


   「『ちゅー』って言うたらエエんやろ、

     『ちゅー』って言うたらエエんやろ」


と言いながら、両脇を男の人2人に固められて連れて行かれた
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・・・という夢を見た、というお話でした(w

自分はその光景をムチャムチャリアルに想像してしまい、腸よじるほど笑ったんですが、その日のお客さんたちにはどうもあんまりピンと来てない感じで、ちょっと残念でしたあせあせ

以上、しょーもないご報告で誠に失礼いたしましたあせあせ(飛び散る汗)
桂小米朝が米団治を継ぐ前の話。小米朝が桂南光に、酒の席で持ちかけた。
小米朝「にいさん、米朝の名前を継ぎませんか?」
南光「おまはん息子やろ、おまはんが継いだらええやろ」
小米朝「200万で売ります」。

その後、別の酒席で南光が米朝に「小米朝が、200万で買わへんかて、こんなこと言いますねん」。米朝曰く「なに、小米朝がそんなこと言うたか。どや、わしから100万で買わへんか?」。南光がマクラで喋っています(THE南光より)。
先日の京都での一門会の「よもやま噺」にて、吉弥さんの語ったエピソード。

吉朝一門は吉朝師匠の方針で米朝師匠のお宅に内弟子に入りますが、
米朝師匠から孫弟子たちへの稽古というのはなかったそうです。
が、吉弥さんの兄弟子/吉朝一門一番弟子にあたるあさ吉さんが
米朝師匠から直々に「軽業」の稽古をつけていただくことに。
吉弥さんはあさ吉さんの横で見ながら、いつか自分も…とドキドキ。
しかし吉弥さんに「軽業」の稽古のお声がかかることはなく、
弟弟子・よね吉さんが米朝師匠宅に内弟子入り。
何と二番弟子の吉弥さんをすっ飛ばして、よね吉さんが
米朝師匠直々に「軽業」を稽古していただくことに。

吉「師匠、あのとき何で私飛ばされたんですか?」
米「……横で見てたんやからできるやろ」

多分うっかり忘れてたんや…と誰もが思った、と思います。


あと、米朝師匠の師匠にあたります四代目桂米團治師匠のエピソードですが、
米團治師匠は酒が入ると浄瑠璃を語りたがる癖があったそうで、
聴いてくれる相手がいないときは餌をちょいちょい与えながら
猫を側に惹き付けておいて猫相手に語っていたそうです。

「三日後にその猫が死んでしもうたんや」

米朝一門にリアル「寝床」エピソードがあったなんて…
87年でしたか、M・ジャクソンが来日した時に小文枝、春団治、米朝の三師匠で大阪球場にライブを見にいったそうですが、なかなかでてこないマイケルに、もともといらちの米朝師匠「そもそも昔はM・ジャクソンなんておらなんだ。」いらいらしながら独り言。いざライブが始まって一番のってたのが人間国宝だそうです。

半分パペポのネタなんですが。あの三人がM・ジャクソン。あの当時の年齢を考えても精神的に若いんですねぇ。
パペポのネタの最後は小文枝師匠が、マイケルに「名人賞あげてんか。」と叫んだいうものだったです。
26>杉作K太郎様
豪華面子ですねー!
イライラ→ノリノリの米朝師匠、爆笑しちゃいました。

恥ずかしながら「パペポ」を観たことがなかったので、
動画サイトでいくつか見つけたのを後でゆっくり観ようと思います。
また聞きなんですが、松鶴師匠がおっしゃていたらしい
「儂や春団治は楽屋でヒロポン打っとったけど、米朝はリンゴ食うとった」
というのがかわいらしくて好きです。
鶴瓶さんの話から

酔っ払った松鶴師匠のお供で深夜に米朝師匠のお宅を訪問

 「なんやこんな遅うにがまん顔・・・しゃぁないなウッシッシ」

米朝師匠がウィスキーの瓶を持ち出して朝まで飲んだそうです。
桂ざこばが松方弘樹の映画に出演した。打ち上げでべろべろに酔ったざこばは、鍋に飛び込み、背中に大やけどを負った。医者にいけばよいものを、そのままにしておいたので、痕が残ってしまった。隠していたが、何かの拍子に米朝に見られてしまった。

米朝「ざこば、その傷は、なんや?入れ墨でも彫っとったんか」
ざこば(ノリで)「へえ、入れ墨、彫っとったんを、消したんです」
米朝「何と、彫っとったんや?」
ざこば「米朝、いのち、と」

米朝が、ひとこと。「何で消したんや?」

これも桂南光のマクラでした。
ひげドラムさんの書かれたお話、私が聞いたのでは六代目のお供は月亭可朝で、米朝が下げてきたのは日本酒の一升瓶だったかな…
まぁ、似たようなエピソードが沢山あるのかもしれませんね。
ざこばさんがまだ朝丸時代にマクラでこんなことを仰ってました。
『この前○○(名前は失念致しました)の内弟子が終了いたしまして、その祝いの御馳走ということでエビを食わしたりましてん・・・』
『内弟子終了祝いには、絶対に海老を食わしたると前々から決めてましてん・・・』
『私が米朝師匠のとこで内弟子が終わった時、祝いやてゆうて何食べさせてもろた思います?海老なんかとちゃいまっせ、ザリガニでしてん・・・』

ネタだとは思いますが・・・
何の文献だったか?何処で聞いたのか?ちょっと忘れましたが、2006年に亡くなられた藤岡琢也さんは米朝師匠と同じ姫路市の出身です。

藤岡さんがまだ小学校の低学年の時、遠足の際、先輩の米朝さんに手を繋いで貰ったことがあったのですが、藤岡さんはそれが誰であったのか?晩年まで知らなかったそうです。
高石ともや、目標は桂米朝
    朝日新聞 2019年12月6日

ギター一本、司会者もなしで初めてコンサートを開いたのも、前身のサンケイホール。米朝は新春の独演会を恒例としており、年忘れコンサートを始めた際、同ホールの社長から「このホールの1年は米朝で始まって、お前で終わる。ただの音楽会じゃダメなんだ」と言われたという。

 落語好きで、米朝とは長年交流があった。「米朝師匠は80歳を過ぎても、本当に格好良かったんですよ」。ただ、「愛宕山」を披露した年、楽屋で2人きりになると「ともやん、かんざしが揺れん」とこぼした。本来なら腰の動きで揺らすかんざしに見立てる小拍子が動かず、手を使って揺らした、という。「このホールはごまかしきかんな」。そう話した米朝の言葉をよく覚えている。

 

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