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初期のScritti Polittiコミュの雑誌記事など

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「複眼的な視野をもて スクリッティ・ポリッティの音楽性を語る」(署名、出典の記載なし)
ロックマガジン第31号(1980年5月1日発行)

"4 'A SIDES'" を出した頃のおそらくイギリスの音楽雑誌に載った記事の翻訳。"Confidence" すら当初そのわかりやすさがとまどわれたことがうかがえる内容になっています。

"2nd PEEL SESSION" の曲が、番組用に録音されたものではなく、失敗に終わったレコーディングセッションから救出されたものであることが語られています。

同誌はラフトレードレコード特集。写真ページに掲載されているスクリッティ・ポリッティの面々は4人。右端に写るは、オリジナルメンバーのサイモン氏なのでしょうか。

ロバート・ワイアットやハットフィールド・アンド・ザ・ノースについても触れられています。リチャード・トンプソンやファミリーも引き合いに出されています。どれも好きなバンドですが、ファミリーのロジャー・チャップマンとグリーンでは声のキャラクターがちがいすぎるような?!

ニール Nial がレインコーツのファンだったことがうかがえる記述もあります。

コメント(8)

「ゴスペルっぽいコーラスとの掛け合いが鳥肌を立たせる ソングズ・トゥ・リメンバー」(ピーター・バラカン)
『ぼくの愛するロック名盤240』(講談社、1998年11月)

"SONGS TO REMEMBER" のラフトレードジャパン盤のキャッチコピーを書いていたピーター・バラカン氏の音楽がらみの年代記と(入手可能な)アルバムガイドをかねた書き下ろし文庫本に収録。
音楽は聴いてナンボのもんというポリシーからか、紹介文は短く、きっかけ程度のものにとどめられています。

ここではバラカン氏の奥さんが留学先のロンドンで、発売前の "SONGS TO REMEMBER" のテープを入手し、パラカン氏に聴かせたことが記されています。

バラカンさんは最近もNHK-FMの番組で、"Faithless" をかけていたそうです。ジョン・ピール追悼小特集の日で、わたしか出したメールが読まれたそうですが、その日は朝早く起きることができず、聞き逃してしまいました。そのメールで「ジョン・ピールの名を知るきっかけはスクリッティ・ポリッティのシングル盤でした」というようなことを書いたので、あるいはそれにからめた選曲だったかもしれず、聞き逃したことを悔やんでいます。
「複眼的な視野をもて スクリッティ・ポリッティの音楽性を語る」は、Scritti Politti Workshopに掲載されている下記の記事の翻訳でした。
Turn of the Scrits
by Dave McCullough
December 8th,1979 Sounds
http://www.aggressiveart.org/aof_files/interviews/aof_interview_p1-8.htm
「SCRITTI POLITTI / A Red Beat From Beautiful Chaos」
(雑誌『DOLL』'81年、インタビュアー:高野裕子)
というのを押し入れの奥から発見しました。ロンドンのカムデン・タウンという所にあったグリーンの自宅でのインタビューのようです。「クラッシュのような音だった」という結成当初の頃の話や、リーズのアートカレッジで一緒だったDelta 5やGang of Fourなどが話題にのぼっています。ちょうどアルバムを制作中の時期で、インタビューの結びでは、ワイアットと一緒にギグを行うために説得していると語っています。

「DOLL」には、翌'82年の頭にも高野さんのインタビューが掲載されていました。こちらはアルバム発表後ということで、ソウルやファンクへと急速にはまっていったグリーンの心中に迫っているほか、「F Gangs」と名乗っていた最初期の時代についても語っています。「すごく楽しかった」とか...。

ロックマガジン第31号のラフトレ特集は家にもありました。
それにしてもこの号、あまり写真などが出ることのなかったMetal Boysの写真がでかでかと載ってたり、Swell Mapsに5頁も割いてたり、Mayo Thompsonの歌詞の日本語訳が載ってたり、Kleenexのインタビューが載ってたりと、到れり尽くせりですね。

他に記事が出てそうな雑誌というと、ZIG ZAG、Fool's Mateあたりでしょうか。

P.バラカンといえば、ずいぶん前に「ロンドン発 ピーター・バラカン」でも「Faithless」をかけていました。よっぽど好きなんでしょうね。ちなみに、同番組でワイアットの"Yesterday Man"を初めて聴いた時のことは鮮明に覚えています。物凄く感動しました。
「ワイアット氏の前進」
雑誌「フールズ・メイト」17号(1981年7月)

という短信にも、「スクリッティ・ポリッティのメンバーの話によると、ワイアット氏はスクリッティと一緒にギグをやることになるかもしれないとか。」と伝えられています。
発売記念ライヴのようなものを計画していたのでしょうか。実現して、なおかつ録音を残してくれていたらと残念に思います。

F.Gangsって、字の並びをどこかで見たような記憶が。思い違いかもしれませんが・・・

"Yesterday Man" はよいですね。これも、"At Last I Am Free" と同じく、ワイアット版のあとで、オリジナルを聴いて、これがああなるとはと驚きました。クリス・アンドリュースのオリジナルはオリジナルで好きですが。
F Gangsについては、日本で1stがCD化された時のライナーノーツで言及されていた筈です。

Wyattは「彼等の目指すものが何なのかよく分からないが、音楽に対する姿勢には誠実さを感じる」と何かのインタビューで語っていたと思います。結局、Raincoatsとのライブを最後にステージアクトからは身を引いてしまうわけですね。せめてこの、Raincoatsとのライブが聴いてみたいです。

Chris Andrewsの"Yesterday Man"も「ロンドン発〜」でバラカン氏が聴かせてくれました。エアチェックしたテープを聴いて狂喜したのを覚えてます。太陽の下のカンツォーネみたいなサビがマイナー調になっているWyattバージョンは、屈託のないポップスに対する純真な愛と技術的な確信が入り交じっていて見事だと思います。Chicの"At Last I Am Free"のカバーも同様に、曲と詩の深い地層の水だけを汲んできて結晶化させたような美しさがありますね。「EPs」の日本盤に載っている歌詞は間違いだらけで最悪ですが。
UNCUTチェックしてませんでした。"Early"に絡めてのインタビューでしょうか。
(何度目かの)復活(祝)にわく中、ひっそりと地味に、こんなところに「初期のスクリッティ・ポリッティ」が。

MSN-Mainichi INTERRACTIVE
贋作系表紙美術館
第146回 東京事変とスクリッティ・ポリッティ
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/music/gansaku/archive/news/2006/20060209org00m200048000c.html

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