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アコースインミラクルズ ACIMコミュの米国デモとか日本の放射能問題について

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<米国>NYデモに労組も…最大規模に拡大 裾野広がる

【ニューヨーク山科武司】米国で経済格差の拡大に抗議する若者たちの抗議行動は5日、ニューヨーク・マンハッタン南部で開かれたデモ行進や集会に有力労組や学生団体が加わり、大規模なデモに拡大した。米メディアによると、1万〜2万人が参加したとみられ、9月17日にウォール街付近でデモが始まって以来、最大規模。日を追うごとにデモ参加者は多様化し、運動の裾野が広がりつつある。

デモ隊は拠点とするマンハッタン南部のズコッティ公園(通称・自由広場)を出発し、周囲を警察官が警戒する中、約1キロ北の連邦ビル前までかねや太鼓を鳴らして「ウォール街を占拠せよ」などと訴えながら行進した。連邦ビル前での集会には運輸関係の労組や教職員組合など約15の労組、ホームレス支援団体など20以上の市民団体のメンバーも参加した。

腹部に「(米中央銀行制度である)連邦準備制度に終止符を」とペイントしたヘアドレッサーのプリンス・マーシャルさん(21)は「一部の人がもうけすぎる社会はおかしい」とまくし立てた。「5%の金持ちから、残りの95%に年6000億ドルを配ろう」と書かれたチラシを配っていたデビッド・カウフマンさん(75)は「今こそ団結して社会を変えなければ」と力説した。

5日付の大衆紙「デーリー・ニューズ」によると、デモ隊には全米各地から寄付金が届いている。

これまでに計6万5000ドル(約500万円)が集まり、これを元手に自前の新聞「オキュパイド(占拠された)・ウォールストリート・ジャーナル」の発行が可能となったという。

AP通信によると、ボストンなどでも大学で同調者が抗議集会を開いた。6日にはワシントンでもデモが予定されている。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1767209&media_id=2




「福島原発震災現状報告会イン・ニューヨーク」レポート

水曜日, 10月 5, 2011 - 2:37午後



9月23日、CRS に、4人のスペシャル・ゲストがお越しくださり、「福島原発震災現状報告会イン・ニューヨーク」が開催されました。日本のメディアでは決して公けにされない現状を伝えるために、はるばる米国にいらっしゃり、ワシントンDC 経由で国連に、そして帰国間際のわずかな時間に、CRS でお話してくださいました。

お一人は、京都よりアイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション)。79年のスリーマイル・アイランド原発事故以来「このままでは日本でも必ず事故が起きる」と確信し、反原発の活動をなさっていらっしゃった方です。お一人は、福島より佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク、元有機農業)。82年のチェルノブイリ原発事故以来「福島でも必ず同じことが起きる」と、その際の身の振り方、お子様方の疎開先をあらかじめ準備するほか、耕さずに作物を育てる農法で、7人のご家族を支えていらっしゃった方です。そしてもうお二人は北海道よりお越しの方々で、泉かおりさんと安斎由希子さん(泊原発を止めろ=Shut 泊)。「北海道の野菜も、残念ながら安全なものはありません」とおっしゃいます。

4人は、日本で放射線汚染問題に取り組む団体の代表者で、政府、自治体、電力会社、そして市民に、現状をごまかさずに直視すること、なんとか打開し、子どもたちを守り、安全な社会に一歩踏み出すことを訴えていらっしゃった方々です。そして4人は、「日本にいては、とても子どもたちを守れない。手をつなぎ共に歩むために米国に来ました」とおっしゃいました。

「全世界の人が、この日本の現状から学んで欲しいし、学ばざるを得ないということをわかって欲しい。放射能汚染は、世界中にばらまかれているのだから」。

「汚染された野菜が、東南アジアの子どもたちの支援物資や、ペットフードに使われている疑いもある今、ただちに阻止しなければならない」。

福島の佐藤幸子さんは、「地元を離れる人と残る人の間に、深い溝が生まれています」「共に支え合うはずの人々の心がそのように離れてしまったこと。それが、原発事故の、健康への影響の、まず第一に起こったことだと思います」とお話くださいました。

4人のみなさんは、当日、CRS にいらっしゃる前に、ニューヨーク州アップステート、マンハッタンからわずか50キロ北に位置する、インディアン・ポイント原子力発電所まで足を運ばれました。「マンハッタンからこんなにも近い場所に、これほど安全性の低い原子炉があることの危険性を、どうか直視してください」と、アイリーン・美緒子・スミスさんは、声を強めて、わたしたちに教えてくださいました。

この会は、先月ドキュメンタリー・フィルム『10万年後の安全』を上映した際、講演をしてくださったペース大学の原子力問題の専門家であり、インディアン・ポイント原子炉の撤廃活動をリードしているメンバーのひとり、Chris Williams のコーディネートにより、実現しました。いくつかのアメリカのメディアほか、日本メディアでは、週刊NY生活、そしてフリーランス・ジャーナリストの津山恵子さんがいらしてくださいました。4人のみなさんは、ワシントンDC で、Thom Hartmann の番組で、そして国連で、さらにはGary Null 主催の会、その他でお話なさいましたが、わたしは、これではまだまだ足りないと感じています。原発事故の影響の第一が「心が離れたこと」であるということは、わたしたちがまず取り戻さなければならないのは「ひとつの心」です。誰もが、安全と平和を手放すまいとする思いによって、ひとつにならない限り、現状である分離と闘い、意見の押しつけ合い、利潤の追求、目先の安泰、といったものは、ますますそのひずみを大きくすることになり、それはさらなる驚愕の出来事となって暴かれるに違いありません。

今、自分たちがどれほどの脅威にさらされているかを知って怯えなければならないということではなく、その反対に、慌て怯える代わりに、無知であることをやめ、分離と依存と効率というドラマが作り出したものをそれぞれの立ち位置から眺めわたし、真に自分が求めているもの(それは同時に、真に自分に与えられているはずのものです)とは何か、真摯に受け止める機会がここにあると思うのです。なぜなら、それによって、わたしたちの心はつながるから。わたしの求めるものと、あなたの求めるものがまさに同じものだったとわかるからです。

分離の物語をストップし、心がつながるやさしさと安心に生き始めましょう。4人のみなさんの声に、よく耳を傾け、その声を広く分かち合っていくことが、入り口になると思います。

4人のみなさんの主宰団体のリンクと、みなさんの今回のアメリカ・ツアーでの映像のリンクを貼っておきますので、ぜひともご覧になってくださいますように。

最後になりましたが、精力的にツアーをしてくださった4人のみなさんに、心から拍手と感謝を送らせていただきます。わたしたちCRS の仲間は、あなたがたの声を決して無駄にしません。真の声は、無限に分かち合われるためにありますから。

by 香咲弥須子




NYデモのような現象は、一時的なものなのでしょうか、それともこれから世界中に広がっていくのでしょうか。

今の日本の経済状況を考えれば、これは決して、対岸の火事ではないはず。

原発関連については、以前もコミュにトピをたてましたが。

奇跡のコースを実践する者としては、このような現象に対して、どのように反応すればいいのでしょうか?

それは幻想だ、、、、実在ではない、、、 知らないことに、、、 見なかったことに、、、 ですか?

僕としては、NYデモを支持します。

たとえ、拙く子供っぽいことでも、未来の子供たちのために、新しい地球を渡してあげたいから、僕たちの手で新しい地球を作ること、作っていくことって大事なことだと思います。

なぜなら、ワンネスは政治や権力によって作られるものではなく、僕たち、ひとりひとりが思いを合わせていくことから始まるのだと思うから。

あなたは、どう思われますか?

コメント(29)

前にも出たかもしれないけど↓が参考になるのではないかと思います。

JACIM ワプニック博士のQ&A
人災について(講話)
http://www.jacim.com/acim/?p=2479
Pollyannaさんに、つぶやきのほうでアドバイスを頂いたので、ま、このトピはなかったことにしようかな。

まあ、そのアドバイスや光のそよ風さんのコメントをふまえて、僕は支持する姿勢を示してはおきますが。

人間の行動だから、このデモも不完全なところをつつけばいくらでもあると思う。

もしかしたら、8月2日にアメリカがデフォルトすると言われていたときに出回った、オバマを降ろして、ヒラリー・クリントン下のFRBの国有化による統制経済体制というシナリオにのっとって、誰かにあやつられたデモかもしれない。

だけど、心にざわめきはなく、人は愚かにも間違えた選択繰り返しながらも、希望を失わず、生きてきたものなのだから、少しでも素晴らしい世界を、という思いに賛同したいと思います。
この変わり果てた 大地の空白に
言葉を失って 立ち尽くしていた

何から先に 手を付ければいい
絶望の中に 光を探す
どこかに神がいるなら
もう一度 新しい世界を
この地に拓かせてくれ

それでも未来へ 風は吹いている
頬に感じる 生命の息吹
それでも私は 強く生きていく
さぁ たったひとつ レンガを積むことから
始めようか?


記憶の傷口は かさぶたになって
痛みの中に やさしさを生むんだ

誰から先に 抱きしめればいい
温もりの中で 夢を語ろう
溢れた涙の分だけ
何かを 背負わせてほしいよ
傍観者にはならない

それでも未来へ 愛は続いている
人と人が求めあっている
それでも私は 一歩歩き出す
そこに忘れられた 希望を拾って
始めようか?

それでも未来へ 風は吹いている
瞳 閉じれば 感じるはずさ
確かに未来へ 風は吹いている
全て失って 途方に暮れても
確かに私は ここに存在する
前をふさいでる ガレキをどかして
今を生きる

もしも風が 止んでしまっても
風が消えた世界はないんだ
どんな時も呼吸をしているように
今日という日がそう つらい1日でも
できることを 始めようか?
>2
>だけど、心にざわめきはなく、人は愚かにも間違えた選択繰り返しながらも、希望を失わず、生きてきたものなのだから、少しでも素晴らしい世界を、という思いに賛同したいと思います。


かちゅみんさんに
いいねexclamation

>3
>今 この世界で やるべきことを行う。

サミュエルさんに
いいねexclamation

とても重要な問題に関するトピ立てとコメントありがとうございます。
私も自分の心をクリアにして、どう在りたいのか聖霊に尋ねてみます。
かちゅみんさん シェアしてくださってありがとうございます。

福島県在住の者です。
震災以降、日常がコースのワークの実践場であることを実感する毎日です。
いえ、別に地震が起きなくたってそうだったんでしょうが、
「聖霊にでも頼らないとやってらんなーい」なことがいろいろとあります。

文章の中に「原発事故の影響の第一が心が離れたことだ」とありますが、
本当にどこを切っても金太郎飴な分離のオンパレードを私は見ましたし
今も見続けています。
そして私が投影してる一番大きな矛盾と分離に見えるものの象徴
(と思い込んでいる)ものがそのレポートに参加された団体の
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」なのです。

この団体が主催した原発事故について考えるシンポジウムを聴講した際、
壇上の専門家は大声で「東京電力は加害者です!」と叫びました。

配られたパンフレットの中には福島県知事が任命した
福島県放射線健康リスク管理アドバイザー解任を要求する署名を募る
書面がありました。
この程度の被爆は影響がないという考えのアドバイザーを
やめさせないと子供の安全は守れない、という発想のようでした。

夏には政府官僚と会合を開き、子供たちに直接質問させました。
山本太郎氏も出席したこの会合、まともに質問に答えられず、
マイクを押し付けあう官僚の不誠実、という趣旨の報道が
なされていたかと記憶しています。

多くの方が、子供たちの命の輝きと親の深い愛情をここに見ているかと
思いますが、私はそれに目をふさいでしまっています。

この団体の行動理由は放射能に対する恐怖と怒りであり、
子供たちにも「あななたちは汚染されてしまったのだ、
この世界は理不尽で恐怖に満ちている、あの東電を官僚を政治家を
攻撃しなさい」と教えているように私には見えてしまっているのです。

それはそのまま私自身が恐怖と怒りに満ちているからなんですよね・・。

震災後、いろんな選択を迫られました。
一番大事なものは何か、それは家族なのか、仕事なのか。
ここに住み続けるのか、離れるのか、
何を食べるのか、食べないのか。

本当に逐一ていねいに。日常生活のあらゆるもにおいて
それは本当にあなたにとって大事なものですか?と聞かれ続け
迷う間もなく答え続ける必要に迫られました。

そのとき、私は怒りや恐怖を行動理由にしない。
何も攻撃しないことを選択する。
そう決めました。
決めたつもりで、そんなような内容の日記を書きましたが。
99.9999%、普段は忘れてます。
覚えてたつもりでいても、こうしてこの文章を読んだだけで
あ、また忘れてた!と気がつきます。
恐れではなく、愛を選ぶことができたほんのわずかな体験を
延長していくことをねぇ・・やっていきたいけどさ。

ま、しつこくしつこく、繰り返していけたらなと思っています。

 ぴかぴか(新しい)「奇跡のコース」では、失敗してもいい、失敗を受け入れなさい、とは言っていません。そこを混乱しないよう注意しなければなりません。失敗は、訂正しなければならないのです。ぴかぴか(新しい)(香咲弥須子「聖なる関係2」より)



 それがどこで起こっているにしろ、どのような種類の問題にせよ、なにか「真実(愛/平和)以外のもの」を見ているとしたら、それは私たちが(真実を見ることを)失敗しているからです。

 私たちの失敗の積み重ねが、「問題」となって現れているのですから、一人一人がその責任を自覚して、訂正しないといけないと思います。

 どんな問題であれ、自分の人生に現れたということは、「自分には責任がない」ということは絶対にありえません。

 
 
 それを訂正するために、聖霊が与えてくれる気づき、機会、経験は人それぞれ違うと思いますが、それは必ず、今の自分自身にとってのギフトとなっているはずです。

 自分をもっと自由にしてくれる。
 もっと安心していいんだと教えてくれる。
 もっと人を信じていいんだと教えてくれる。
 本当に求めているものがなんだったのかを教えてくれる。
 すでに与えられているものに気づかせてくれる。

 そんなギフトになっているはずです。



 それを受け取ったら、必ず「しなければならないこと」は、なにか、あるはずです。
(もちろん、それもひとそれぞれ違うでしょうから、一概に「こういう時はこうするべきだ」なんてことは誰にも言えません。)

 
 それをすることが、コースの言う「行動(take action)」だと思います。
 (「行動」については「わたしは何も知らない(香咲弥須子)」を持っていらっしゃる方は秋子さん、冬子さんのエピソードを思い出してください。)



 サミュエルさんが紹介してくださった「行動する仏教」と同じように、「コース」でも「行動」はしなくてはいけません。
 




 これは、少し前にこのコミュの「つぶやきコーナー」で書いた「デモンストレーション」とも同じだと思います。

 「「気付きを得た」とか、「聖霊のメッセージを受け取った」ら、それで終わりではありません。「受け取った」ということをデモンストレーションして、この世界で実際に体験して、それでやっと、癒しのプロセスが終わります。」
 それは自分で自分に、「何を学んだのか」を教えてあげるプロセス。これをちゃんとやっていないと、受け取ったはずのものはシュワシュワと消えてしまいます。
 デモンストレートしようとすると、実はまだ恐れがあったことに気付いてしまうかもしれませんが、「その必要はないと学んだよね。」と、自分に教えてあげるために、ちゃんとやり遂げます。
 デモンストレーションして、きっちりと「受け取ったんだ」と自分に教えてあげたら、その時から「すでに受け取った自分」の人生が始まる。」
 

 「行動」が起こらない「気づき」は存在しないと私は思います。

 



ぴかぴか(新しい)それともうひとつぴかぴか(新しい)
 
 目にしている問題が大きなことに見える時、自分に授けられた「わたしに出来ること」がとても小さく思える場合もあるかも知れません。

 つい先日、わたしがそう感じた時、「神の教師」のエッセイのこの一文を思い出しました。


 「道は遠いと感じることもあります。けれども、それが何だというのでしょう? 自分が唯一の正しい道を歩いていることを理解しているなら、どれだけ進んだか、などということはどうでもいいのではないですか。」


 自分に出来ることがどれだけ小さく思えても、それが唯一の正しいアクションだとわかっているならば、何も心配せず、聖霊が与えてくれる機会を受け取り、真摯に向き合いたいと思います。
 

ゆぜさん

こんにちは。シェア、ありがとうございます。

ゆぜさんのコメントを何度も読んで、私も今また、自分の思いに責任を持ち続ける決意を新たにしました。


>99.9999%、普段は忘れてます。
覚えてたつもりでいても、こうしてこの文章を読んだだけであ、また忘れてた!と気がつきます。


私たちは忘れてばかりですが、でも多くの兄弟が居ます。

誰かが忘れている時は、他の誰かがちゃんと、思い出しています。

私ももっと思い出していられるように、心を改めたいと思います。
ふと、思い出したのですが・・、ずいぶん前に、ある方から聞いたお話です。

どこかの山の上で一人で世界平和を念じて座り続けてる方がいらっしゃるそうです。
その方に食べ物を届けたりする人たちが少しずつ増えていってるとか。
その場所にいくと癒されるのだそうです。

この世界の現実を変えるために、デモに参加してる人もいいなぁと思います。
でも、「奇蹟のコース」を学んでると、↑の山の上で一人念じておられる方みたいに
ただ祈る、たくさんの人が平和を祈るっていうのも、すごく大きな力になるのではと思います。
ぽりさん。

そのTake action とか、デモンストレートする、とかって部分で、ちょっと聞いてもいいですか?


ここんところ、こういう公?の場では、自分が思ったこととか書くの、怖いなぁ、って思って(元々苦手だったので)あんまり書いてなかったんですが、なぜか、かちゅさんがこのトピをあげたとき、「書いてみようかなぁ・・・」って思って、途中まで書いてて、でも、ぐずぐずしてたら、かちゅさんが自己完結されてたので(爆)「書かなくていいやぁ」と思って、やめてしまったんですが・・・

やっぱり、結局書くことになるのかしらん?(笑)


ええと。

その時も書こうとしたことで・・・

たとえば、ニュースとかで、見たくなくても、被災地で起こっている、理不尽なできごと、とか、見る機会がときどきあって・・・

そのたんびに、とりあえず、心乱される、わけですが。

でも、今は、「せっかくコースをお勉強してるんだから、実践しようっ。まずは自分の心を平和に・・・ハート達(複数ハート)」って思って、日々のワークで当てはめてみたりとか、瞑想してみたりとか、あと、つぶやきでは、「これ、最近ちょっと忘れてた!!」って書きましたが、

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27620093&comm_id=101572

を、一応、夏くらいからずーっとやってたり、とかしてて・・・


これ、ほんとにすごいなぁ、って思うんですがぴかぴか(新しい)

やってみると、特に今、なにをしてる、と言えるモノもないような、だらーんとした生活の自分のまわりでも、なんてたくさんのしあわせが転がってるのかしらん!?ぴかぴか(新しい)とかって感じることが多くなって来ました。

たとえば、外に出たらキンモクセイの香りがした〜、とかでも、自分の場合は、日本の秋の始まり、みたいなのが大好きだったのに、常夏の国に数年間暮らしてて「それなりに季節の変化はなくはない」とはいえ、やっぱり、日本に戻って来てみると、「日本の変化はやっぱステキだな〜・・・」と、実感できる機会が多くって(常夏の国に住む前はそんなことに気づいたことあんまりなかった!!!)そんなことですら、「嗅げて、しあわせ」とか思ってしまうんですが・・・(小さい・・・笑)

そゆときに、以前は、「それだけ」だったのを、夏にしずくさんに、上のトピの内容を教えてもらって、わたしもやってみよう、と思ってやるようになってから・・・

「ああ、キンモクセイのにおいを感じてしあわせ〜。そういう場所に今、居られて(=嗅げる環境に戻って来られて!?)秋を実感できるのって、しあわせなことなんだなあ・・・泣き顔ぴかぴか(新しい)」とか思えて来たりして。


そうすると(=そういう感じで、「しっかり実感=受け取る」ってことをすると)

「わたしには、『わたしがしあわせ』って感じられるもの、を、すでにいろいろホーリーさんから、贈られているんだなぁ・・・(受け取る気にさえなれば)」ってしみじみ感じられて・・・「すごくありがたい・・・ぴかぴか(新しい)」って思うものの、でも、その気持ちをどうしていいかわからず、でも、ただそれだけで終わってるのも、なんだか勿体ないような?気もしたりして。(貧乏性?)

よくわかんないので、ホーリースピリットに「これを、世界とか、地震のところとか・・・なんか、よくわかんないけど、そゆ必要なとこで、本来の目的のために、どうかホーリーさん、使ってください!!」とかってやってるんですが・・・(でも、場所とかそういうことすら具体的に「わたし」が考えるのも、違うような気もして、「なんか、どっか!!」みたいな感じになっちゃってはいますが・・汗)

これって、Take action してる、ってことになるんだろうか・・?!

って思ったり。

なんか、もっと、しっかりと「受け取りました!!」って受け取って、返せる方法???(具体的なことなどは、ないとは思うのですが・・・)ってあるのかなぁと思って、ちょっと聞いてみたくなりました。


長くってごめんなさいーーーーーーー!!!
わーい(嬉しい顔)Pollyannaさんのおっしゃる、

”「行動」が起こらない「気づき」は存在しないと私は思います。 ”

・・・というシンプルな一言は、全くその通りだと思います。

ある人は想いや思考は行動よりも大事だと言い、
ある人は想いや思考などよりも行動が大事だと言いますが、
僕は常に上記の一言が真実だと思います。
ウインク
ちーぼーさま。

その、「なんか、どっか!」の、「どっか」は、よ〜く周りを見わたしてみれば、結構身近にあるのではないでしょうか。

「真実を思い出す助けになってくれる兄弟(ちーぼーさん)」を必要としている人は、きっといると思います。


それに、その「思い」を今まで以上に込めて出来ることも、きっといっぱいあると思います。
(例えばそれはすごく日常的な、普段すでにしていることかもしれません。)




「アクション」は、「優しい気持ち」「幸せな気持ち」「感謝の気持ち」と共に出来ることも多いけど、ちょっと怖くて、勇気がいることも多いですね。

例えば「どうせ言っても分かってくれない」と思ってコミュニケーションを取ることから逃げていた相手に、相手を信じて自分から向き合ってみようとするとか。


でも、この「ちょっぴり勇気のいるアクション」にきちんと向き合っていれば、悪いこと(と思うようなこと)があまり起こらなくなりますよ。

悪いことって、大概「アクションしないで逃げて来たことに無理矢理対面させられるできごと」ですから。
アポ太さん。
ありがとうございます。

もう、正直言ってこんなこと書いちゃうと、どんどん自分の中でごまかしが効かなくなっちゃって、いい意味で追い詰められる気分です。

書いて、シェアしてしまうとすごく、ふだんの自分を振り返らされますね。

もうアクションから逃げられないではないか!!
ぽりさん。

> 例えば「どうせ言っても分かってくれない」と思ってコミュニケーションを取ることから逃げていた相手に、相手を信じて自分から向き合ってみようとするとか。


あぁ、それ・・・
めっちゃ、来てる!!!
で、怖いけど、勇気出す、みたいなのを、今、繰り返してるところでっす!!!
(でもって、トピに自分が思ったことを書くってのも、ひさしぶりで、ちょと怖かった・・・)

そういうことかぁ・・
(すでに、やってたみたい・・・チューリップヨカッタ!!!って、そうか、だから、「わたし」にはわからなくっても、ホーリーさんにしっかりつながってれば、ちゃんと出来ている、ということなのかな・・・)

ありがとでっす!!!ぴかぴか(新しい)
追記。

というか、では、じゃぁ、「あぁ・・・しあわせ・・・ありがたい・・・」とかって思ってる時、なんか、それを一人で感じてるのは、勿体ないような気がしてしまうけれど、そんなことを思ってないで、ただ、しっかりと感じ切っていればいいのかしらん・・・?!



・・・っていうか、「あ!感じ切ってないのかも!!」と、思いました!!!


そ、そうだったのか・・・!!!目


なんか、一人でそんな気分になっているのが、悪いような気がしてしまう、という罪悪感があったかも・・・と、今、ふと、思いました。

もっとしっかり、

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27620093&comm_id=101572

と、やろうと思います。
(あぁ、やっぱり、勇気を出してみると、こうやっていろいと、つながって来たりするんですね〜・・・目がハート
しずくさま。

夏にしずくちゃんに、

りんごホーリースピリットからのギフトを受け取った時、「ありがとうコレ好きです!」と感謝して受け取っていい。


と言うことを教わったあと、しっかり、しっかりそれをやっていたつもりだったけれども、やっぱりヌケがあったみたい・・・!!!です。



さくらんぼ楽しかったことに感謝して「私がこれからも、もっと抵抗無く受け入れられるように助けて下さい。」とホーリースピリットにお願いすればいい!


と言うところがっ!!!


だから、いつも、「しあわせだ・・・ありがたい・・・」って思った後、なんだか、そのままにしておくと、落ち着かないと言うか、そんな気分になっていたのだなぁ、と思いました。


受け取る方が、ちょいと苦手なのに、今、なぜか、ガッツリ受け取ることを、やらされてて(愛のホーリー計画!!!)なかなか、うまくできないなぁ、と思っていたけれど、これから、



さくらんぼ楽しかったことに感謝して「私がこれからも、もっと抵抗無く受け入れられるように助けて下さい。」とホーリースピリットにお願いすればいい!


というのも、あわせて(続けて)やろうと思います!!!

ありがとう!!!


わたしの方こそ、いつも、ほんとうに、たっくさん、いろんなことを教えてもらって、ありがたいです!!!
しずくんが書いてくれた「安心した気持ち」「嬉しい気持ち」「正直でいいんだ!」なんて、そっくりそのまま、返したいくらいです。いや、もう、返します!!!笑。

ほんとうにありがとーーーーーーーーーーー!!!ハート達(複数ハート)ぴかぴか(新しい)
ちーぼーさま。
 >めっちゃ、来てる!!!
 >で、怖いけど、勇気出す、みたいなのを、今、繰り返してるところでっす!!!

 そうそう!!まさにそれ!です。

 「怖いけど、勇気出す」にきちんと向き合っているとき、ちーぼーさんは世界の癒しに大きく貢献しています。

 そこで自分が起こす「行動」がどんなに個人的な、ちいさな範囲のことに思えても、その影響は自分が感知できないくらい大きく、世界に響いています。


 それが、私たちが本当はいつも「したい」と思っている「お返し」じゃないかしら?と思います。

 で、この「お返し」ってすると逆に、自分がまた受け取っちゃうんですよね揺れるハート

 
サミュエルさん

実は私もマザーの「何をするかではでなく、どのような思いでそれをするのかが大切です。」と言う言葉を思い出していたところです。
今日は岡山の県北の山の上まで法事に出かけてきました、そこはお爺さんの
お里なんですけど・・そこで生活することはほんとに大変な苦労があるみたい
でした。みんな優しくたくましく、素敵な人たちばかりでした。

昔、誰から聞いたのかも忘れたんですけど、
江戸時代にその村が飢饉にあって、ある人がお江戸まで一人で免税を申し立てに、
死を覚悟して・・・歩いて出かけたそうです。その人は無事に帰ってきて、
願いは聞き届けられ、みんなは飢え死にせずにすんだそうです。

行動も必要なときはすべきだし、その思いが御心にかなえば奇蹟は起こるのだ
ろうと思いました。
サミュエルさん

じつは先々週、もう30年近く前に亡くなった、祖父の書や絵などを見せて
もらいに叔母の家に行った時、祖父のお里に一度行ってみたいと話したのです。

そうしたら、先週、叔母から連絡があり、長い間交流が途絶えていた祖父のお里から
法要があると電話があった、一緒に行きましょうということになったのです。

子どもの頃に聞いた、26↑の江戸時代の話は帰って来てから突然思いだしたので
すが・・・サミュエルさんのコメントのおかげで、忘れられないエピソードになりました。

ありがとうございます。


>この世界の悲劇が
>何から 起きているのかを 理解し

>この世界の敵を 赦す

>その上で 行動するならば


これは、私の知りたかったことなんです。(論理的でない私はまだ明確につかめてませんが)

私の知りたかったことが(それも気づいてなかったですが)、
私の一連の行動を経て(それも無意識でしたが)、
サミュエルさんから答えがやってきた。

「もしかしたら・・・全幅の信頼(これも何なのかまだ分かっていません)が大切なのかも?!」と、
今、感じています。

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