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水俣・和光大学展コミュの化学史学会

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6/17のプレイベント、化学史学会のシンポジウム。このコミュで参加された方も多いと思います。そういう意味では「報告」というのはふさわしくないので、まあ「メモ」として残したいと思います。忘れないうちに・・・
訂正、補足などよろしくお願いします。

なおシンポジウムでは3人の方の発言がありましたが、それぞれ直接リンクする内容でなかったこともあり、原田正純さんの発表に限定して書きます。

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「胎児性水俣病の教訓」というタイトルだったが、水俣病に限定された内容ではなく、むしろ「胎児に対する化学物質の影響」とでも言うべき内容。スライド・・・じゃなかった、パワーポイントの映像も豊富。ちょっと数値とかは読みにくかったですが。

・なぜ「水俣病」か・・・単なる「有機水銀中毒」ではない
 「水俣病」と言わずに「有機水銀中毒」にせよ、という主張がある。しかし、通常の有機水銀中毒が直接の曝露による「職業病」であるのに対し、水俣病は、いったん廃棄された有機水銀が食物連鎖を通じて濃縮され、それを食べた人が発病したという意味で特異であり、これまで人類が経験しなかった発症のメカニズムである。通常の中毒とは区別するべき。

・胎児への障害という特性
 受精卵が個体になっていくのはきわめてデリケートなしくみである。胎児期にすでに生殖器もつくられている。この生殖細胞に対して胎児期に影響があった場合、それは次の次の世代に出てくることになる。こうなると因果関係の証明も困難。

・胎盤を通しての発病・・・胎児性水俣病の衝撃
 水俣の現地調査での胎児性患者との出会い(これは最近どこでもお話しになるエピソードですね)。縁側で遊んでいたきょうだいの症状がそっくりで、二人とも水俣病だと思ったら、母親が違うという。兄は魚を食べているが弟は食べていない、生まれつきだ。水俣病は魚を食べてなるのだからこの子は水俣病でないと医者に言われた。聞けば近隣には同じような子がたくさんいるという。
 当時この事実には熊本大学でも複数の医師が注目しており、動物実験で確認しようとしていたが、なかなかうまくいっていなかった。それで自分はフィールドに戻って調査を続けた。(初期の胎児性患者の写真、ボロボロの家の様子、若かりし頃の原田さんの写った写真など)
 当時は胎盤を毒物が通過して胎児を障害することはないと考えられており、胎児性の実証は難しかった。結局、亡くなった患者の病理解剖で、有機水銀による障害があり胎児期のものと判断されたことで、ようやく胎児性水俣病の存在が示された。水銀による汚染をどうやって証明するか苦慮していたが、あるとき臍帯に思い当たった。保存されていた臍帯の水銀値を測定したところ、非常に高い値を示した。また、東大の白木によるアイソトープを用いた実験で、無機水銀は胎盤を通過しないが、メチル水銀は胎盤を通過し胎児に蓄積することも示された。(臍帯水銀値のグラフ、白木による実験の写真)
 胎児性水俣病患者の母親たちも症状はあるが概して軽く、本人は自覚していない場合も多い。母親が魚を食べたのだが、メチル水銀が胎児の方に行ってしまい、母親本人の症状は軽くなる。
 この胎児性水俣病は、胎盤を通しての汚染、障害という意味で、これもまた今まで経験されていない問題であった。

・新潟水俣病
 その後1965年に新潟水俣病が確認された。このときは「何で?!」と思った。同じ工程の工場がまだ稼働しているなどとは思ってもいなかった。新潟では早期に原因が究明され、住民の毛髪水銀の検査もされた。50ppmを超える人の中には妊娠中のケースもあり、県では出産しないように指導した。この結果新潟では認定された胎児性患者はひとりしかいない。このことを、成果というむきもあるが、このようなことで「成果」と言えるのか、と思う。

・アメリカの事例
 メチル水銀で消毒した種麦を安く買った一家。食べるなと注意書きはあったが一家は英語が読めなかった。ただ直接食べたのではなく、ブタのエサにした。そのブタを屠殺して食べたところ、こどもたちが重症のメチル水銀中毒になった。母親は妊娠していて、重度の胎児性のこどもが生まれたが、やはり母親自身の症状は軽い。
 この母親は、「自分がこどもたちの世話をできるように、神様が自分だけは元気にしてくれた」と語っていた。

・カネミ油症
 米ぬか油に混入したPCBにより、皮膚や肝臓障害などが起きた。やはり胎児への影響が出た。「黒い赤ちゃん」と呼ばれる。この場合も妊娠を中絶する人が多かったが、五島列島の一部ではクリスチャンが多く中絶を行わなかったので、かなりの数の「黒い赤ちゃん」が生まれている。事件発生後3年くらいたっても「黒い赤ちゃん」は生まれている。これは有機塩素化合物が排泄されにくいためで、胎児を通して排泄しているという結果になっている。
 なお後に油症の原因はPCBそのものよりもPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)やPCDD(ポリ塩化ダイオキシン)にあると考えられるようになっている。

・ベトナム
 ベトナム戦争中に米軍がくまなく「枯葉剤」を散布した地域が多い。この中にダイオキシン類が含まれていた。ダイオキシンとの因果関係の証明は難しいが、先天異常は非常に多い(写真 結合体双生児標本、ベトくんドクくん手術前→手術後、四肢障害のこどもたち)。救いなのは、この子たちが村の中でふつうに遊び暮らしていること。

・フィリピン
 返還された米軍基地(クラーク基地)の跡地に、ピナツポ火山噴火の時に難民を集めた。難民たちはそこで井戸を掘って水を使っていた。ここでも多様な先天異常の発生。もともとここからベトナムに枯葉剤を撒く飛行機も出ていた。土壌・地下水の汚染がひどい。「汚染」というより捨てていった状態。基地の中は治外法権で全く規制不能。沖縄の基地も返還されたとしても危ないのではないか。

・まとめ
 長い進化の歴史の中で、胎児を保護するものとしての胎盤はできあがってきた。しかし、この50〜100年の産業化によって生み出された化学物質は、こうした胎盤の保護機能をすりぬけてしまう。
 これによって胎児の育つ環境が汚染され、胎児が傷つけられているのはたいへんな問題。しかし、このことを、「こういう子どもが生まれてしまうから環境を守らなければ」という方向に持っていってしまうのはまた問題。この子たち自身は「いてはならないもの」ではない。
 (写真・ユージン・スミスの風呂場の母子像)この子が水銀を吸ってくれたから自分も他の子どもたちも元気だった、この子は宝子だ、と母親は言い、家族みんなで慈しみ育てた。

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以上ごく簡単なまとめです。
資料として配付された「化学史研究」の抄録がたぶん最首研にあるのではと思います。

コメント(4)

終了後の原田さんのお話で印象に残ったこと。

*ベトナムの枯葉剤被害について
 疫学の連中は「コントロールをとれ」と言うが、いちばん散布量の多かったところは住民が皆死んでしまい、他所から移住してきた人ばかり。時間が経って移動が進んでいるのでコントロールなどとれない。

*胎児性患者について
 胎児性に関しては、成人患者で言うような軽症型について、自分たちも含めて誰も注目してこなかった。初期の典型的な重症患者だけが胎児性と認定されてそのまま。このことは胎児性患者にとっての苛立ちの理由にもなっている。
 そういう流れで、胎児性患者の「未認定問題」はない。そのことは実は非常に大きな問題だ。

とくに後者は重かったです。「問題」として浮上していない、いちばん大きな問題。
計12名も参加したんだ。

>学会後の最首塾(最首悟さんを囲んでの勉強会)と懇親会について

最首さんは早く帰ったんじゃなかったの?

どっちにしてもカード類紛失で走り回っていたので、
出ることはかないませんでしたが。


>れれれさん
報告ありがとうございます。それと、2万円の借金もありがとう
ございます。

                    竹村洋介@浮浪思想家

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