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ヴィクトール・ユゴーVictorHugoコミュの死刑囚最後の日(序文)2

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<前半>
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 昨年の9月の末ごろ、南方で、たぶんパミエでだったと思うが、その場所や日や囚人の名前は今はっきり覚えていない。しかし事実を否定する者があったら、それを探し出してみせてもよい。で、9月の末ごろ、1人の男が監獄のなかで、落ち着いてカルタをやってるところを呼ばれて、2時間後には死ななければならないことを告げられた。彼は全身ふるえあがった。なぜなら、もう6か月間も彼は放っておかれて、死を予期していなかった。彼はひげをそられ、髪を刈られ、縛りあげられ、懺悔ざんげをさせられた。それから4人の憲兵に護られ、群集のあいだを通って、刑場へ車で運ばれた。そこまでは何の奇もなかった。いつもそういうふうになされるのである。断頭台に着くと、死刑執行人は彼を司祭から受け取り、彼を奪い去り、彼を跳板の上にゆわえ、隠語を用いれば彼を竈に入れ、それから肉切り庖丁を放した。重い鉄の三角刃は落ちぐあいが悪く、溝縁の中にがたついて、ひどいことには、男を切っただけで殺すに至らなかった。男は恐ろしい叫び声をたてた。死刑執行人は狼狽して、また庖丁を引きあげて落とした。庖丁は2度科人とがにんの首を切ったが、まだそれを切断しなかった。科人はわめき、群集もわめいた。死刑執行人はまた庖丁を引きあげて、3度目に望みをかけた。だめだった。3度目の打撃は受刑人の首すじから3度血をほとばしらせたが、頭を切り落とさなかった。簡単に述べよう。肉切庖丁は5度引きあげられ落とされて、受刑人を5度切りつけた。受刑人は5度ともその打撃の下にわめき声をたて、宥恕ゆうじょを求めながら生きた頭をうち振った。群集は憤激して石を拾い、みじめな死刑執行人に正義の石を投じた。死刑執行人は断頭台の下に逃げだして、憲兵らの馬の後ろに隠れた。しかしそれだけではない。受刑人は断面台の上に一人きりになったのを見て、跳板の上に立ちあがり、なかば切られて肩に垂れている首を支えながら、血の流れる恐ろしい姿でそこにつっ立って、首を切り離してくれと弱い声で訴えた。群集は憐れみの念でいっぱいになって、いまにも憲兵の列をつき破って5度死刑を受けた不幸な男を助けにいこうとした。ちょうどそのまぎわに、死刑執行人の1人の助手が、20歳ばかりの青年だったか、断頭台の上にのぼって、縄をといてやるから向きを変えるようにと男に言い、男がそれを信じて言われるままの姿勢をしたのに乗じ、その死にかかってる男の背にとびついて、なんらかのある肉切り庖丁で、首の残りをようやくのことで切り離した。それは実際あったことである。実際見られたことである。本当だ。
 法律の条文によれば、一人の裁判官がその処刑には立ち会っていたはずである。1人の合図で彼はすべてをやめさせることができるのだった。しかるにこの裁判官は、1人の男が屠殺されてるあいだ、その馬車の奥で何をしていたのか。この殺害人懲罰者は、真昼間、眼前で、自分の馬の鼻先で、自分の馬車の扉口で、1人の男が殺害されているあいだ、何をしていたのか。
 そしてその裁判官は裁判に付せられなかった。その死刑執行人は裁判に付せられなかった。神に造られた一個の神聖な人命においてあらゆる掟おきてが残酷に破棄されたことについて、どの法廷も詮議せんぎをしたものはなかった。
 17世紀において、リシュリューやクリストフ・フーケが上に立っている刑法の野蛮時代において、ド・シャレー氏はナントのブーフェーの前で殺されたが、刑執行人の兵士は不器用にも、剣の一撃でせずに、樽屋の手斧で34回の打撃を与えた。(ラ・ポルトは22回と言ってるが、オーブリーは34回と言っている。ド・シャレー氏は20回まで叫び声をたてた。)その時でもそれは反則なものだとパリ裁判所の目に映じた。調査が行なわれ裁判がなされた。そしてたといリシュリューは罰せられなかったとはいえ、たといクリストフ・フーケは罰せられなかったとはいえ、兵士は罰せられた。むろんそれは不正ではあるが、しかし底には多少正義があった。
 が、こちらには何物もない。7月革命の後に、穏良な風習と進歩との時代に、死刑に対して議会がひどく悲嘆した1年後に起こったことである。ところがその事実は全然看過された。パリの諸新聞はそれを一つの話柄として掲げた。誰も心を動かす者はなかった。高等事務執行者を陥れようとする者が故意に断頭台の機械を狂わしていた、ということが知られたばかりだった。死刑執行人の1人の助手が、主人から追い出されて、意趣ばらしにそういう悪事を謀はかったのだった。
 それは一つのいたずらにすぎなかった。が、先をつづけよう。
 ディジョンで、3か月前に、1人の女が刑場に引き出された。(女なのだ!)その時もまた、ギヨタン博士の肉切り庖丁は用をしそこなった。首はすっかりは切れなかった。すると死刑執行人の助手らは女の足につかまり、不幸な彼女のわめき声のあいだに、跳ねあがったりひっぱったりして、頭と体とをもぎ離してしまった。
 パリにおいては、秘密処刑の時代が再現した。7月革命後、人はもはやグレーヴの刑場で首を切ることをあえてしかねたし、恐れていたし、卑怯だったので、次のようなことがなされた。最近のこと、1人の男が、1人の死刑囚が、デザンドリューという名前の男だったと思うが、ビセートルの監獄で取りあげられた。彼は四方閉ざされ海老錠と閂がかけられている二輪車の一種の籠のなかに入れられた。そして前後に一人ずつ憲兵がつきそい、あまり音もたてず人だかりもせず、サン・ジャックのさびしい市門へ運ばれた。まだ十分明るくならないうち朝の八時にそこまで行くと、新しく組み立てられたばかりの断頭台が一つ立っていた。公衆としてはただ12、3人の子供らが、近くの小石の山の上に意外な機械のまわりに集まっていた。人々はいそいで男を籠馬車から引き出し、息をつくひまも与えず、ひそかに狡猾こうかつに見苦しくもその首を盗み切った。そしてそれが高等司法の公けのおごそかな行為と呼ばれる。いやしむべき愚弄である。
 法官らはいったい文明という言葉をどう解釈しているのか。われわれはいったいいかなる時代にあるのか。策略と瞞着とに堕した司法、方便に堕した法律、奇怪なるかな!
 死刑に処せられるということは、社会からそういうふうに陰険に取り扱われるからには、きわめて恐るべきことであるにちがいない。
 とはいえ実のところ、右の死刑執行は全然秘密にされたものでもなかった。その朝、例のとおり、パリの四つ辻で死刑決定の報道が呼売された。そういうものを売って暮らしている人があるらしい。嘘のようだが実際、1人の不運な男の罪悪や、その懲罰や、その責苦や、その臨終の苦悶などで、1つの商品が、1つの印刷物が作られて、1スーで売られている。血のなかにさびたその銅貨ほどいまわしいものが、他に何かあるだろうか。それを拾い取る者が誰かあるだろうか。
 事実はこれでもう十分だ。あまりあるほどである。すべてそれらは嫌悪すべきことではないか。死刑に左袒さたんすべき余地がどこにあるか。
 われわれはこの質問を真剣に提出する。返答を求めて提出する。饒舌じょうぜつな文学者へではなく、刑法学者へ提出する。われわれの知ってるところでは、死刑の妙味をまったく他の問題として逆説の主題とする人々がいる。また、死刑を攻撃する誰かれを憎むというだけで死刑に賛成する人々もいる。彼らにとってはそれはなかば文学的な事柄であり、個人的な事柄であり、固有名詞的な事柄である。それは羨望者であって、善良な法律家にも偉大な芸術家にもともに現われてくる。フィランジエリに対してはジョゼフ・グリッパのような者が常にいるとともに、ミケランジェロに対してはトレジアーニのような者が常におり、コルネイユに対してはスキュデリーのような者が常にいる。
 われわれが言葉をかけるのは、そういう者へではなくて、本来の法律家へであり、弁証論者へであり、理論家へであり、死刑のために、その美と善の恩恵とのために、死刑に賛成する人々へである。
 ところで彼らは多くの理由をあげる。
 裁判し処刑する側の人々は、死刑を必要だと言う。第一に、なぜかなれば、社会共同体からすでにその害となりなお将来害となりうる一員を除くことは大事なことだと。――しかし、もしそれだけのことであったら、終身懲役で十分だろう。死が何の役にたつか。監獄では脱走の恐れがあるというならば、巡警をなおよくすればよい。鉄格子の強さでは不安心だというならば、どうして他に動物園などを設けておくのか。
 看守で十分なところには、死刑執行人の要はない。
 けれども、社会は復讐しなければならない。社会は罰しなければならない、と次に彼らは言う。――しかし、どちらもそうではない。復讐は個人のことであり、罰は神のことである。
 社会は両者の中間にある。懲罰は社会より以上であり、復讐は社会より以下である。それほど偉大なこともそれほど微小なことも社会にはふさわしくない。社会は「復讐するために罰する」ことをしてはいけない。改善するために矯正することをなすべきである。刑法学者の慣用の文句をそう変えれば、われわれも了解し同意する。
 第3の最後の理由、実例論が残っている。すなわち、実例を見せてやらなければならないと。罪人がいかなる目にあうかを示して、同様な心をおこす人々を恐れさせなければならないと。――これが多少調子の差はあるけれど、フランスの500の検事局の論告が千篇一律に用いるほとんどそのままの文句である。ところで、われわれは実例をまず否定する。刑罰を示して所期の効果を生ずるというのを否定する。刑罰を示すことは、民衆を訓育するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、その感受性を滅ぼし、したがってその徳操を滅ぼす。例証はたくさんあって、いちいちあげていたならば推理のじゃまとなるほどである。でもここにその無数のうちの一つを、最近の事実であるから持ち出してみよう。今これを書いている日からわずか10日前のことである。謝肉祭最終日の3月5日のことである。サン・ポルで、ルイ・カミュという放火犯人の死刑執行のすぐ後に、仮面行列の一群がやってきて、まだ血煙を立てている断頭台のまわりで踊ったのである。実例を示すがいい。謝肉祭最終日は諸君の鼻先で笑っている。
 もし諸君が、経験にもかんがみず、実例という古めかしい理論に固執するならば、16世紀をとりもどすがいい。本当に畏怖すべきものとなって、多様の刑罰をとりもどし、ファリナッキをとりもどし、審裁刑吏らをとりもどし、首吊台、裂刑車、火刑台、吊刑台、耳切りの刑、四つ裂きの刑、生埋めの穴、生煮の釜、などをとりもどすがいい。千客万来の店として、たえず新しい肉を備えている死刑執行人のいまわしい肉店を、パリのあらゆる四つ辻にとりもどすがいい。モンフォーコンの刑場を、その16本の石の柱と、あらあらしい平段と、骸骨のあなぐらと、梁と、鉤かぎと、鎖と、死体串と、点々と烏がとまってる白堊の本堂と、首吊柱の分堂とをともにとりもどし、北東の風でタンプル大通り一帯にさっと広がる、その屍しかばねの臭気をとりもどすがいい。パリの死刑執行人のあの大きな小屋を、同じ強さと不朽の形のままで、とりもどすがいい。よきかな! それこそ大いなる実例である。よく腑に落ちる死刑である。多少規模のある刑罰様式である。それこそ嫌悪すべきものである。が、しかし怖るべきものである。
 あるいはまた、イギリスのようにするがいい。商業国たるイギリスでは、ドーヴァーの海岸で密輸入者を一人捕えると、それを実例として首吊りにし、実例として首吊台にさらしておく。しかし天気の不順のために死体がいたむことがあるので、瀝青れきせいを塗った布で死体を注意深く包んで、たびたび手入れをしないでよいようにする。倹約の国なるかな、首を吊られた死体に瀝青を塗るとは!
 けれどもそれはまだ多少理屈に合う。実例論に対するもっとも人情的な理解のしかたである。
 しかし諸君は郭外の大通りのもっとも寂しい片隅で一人の憐れな男の首をみじめにも断ち切る時、一つの実例を示すものだとまじめに考えているのか。グレーヴの刑場で真昼間なら、まだよい。しかしサン・ジャック市門で、朝の8時に! そこを誰が通るか。そこに誰が行くか。そこで一人の男が殺されていることを誰が知るか。そこに一つの実例を示されていることを誰が気づくか。誰にむかっての実例ぞ。明らかに大通りの樹木にむかってであろう。
 諸君にはわからないのか、諸君の公けの処刑はこそこそとなされていることが。諸君は自ら身を隠していることが。諸君は自分の仕事を恐れ恥じてることが。この告知の後は正理を知るべしを諸君は滑稽こっけいに口ごもっていることが。諸君は内心動揺し困却し心配し、自分が正当だとは信じかね、万般の疑惑にとらえられ何をなしてるかもよくわからないでただ旧慣にしたがって首を切っているということが、諸君にはわからないのか。諸君の先人らが、古い議員らが、あれほど平然たる良心をもって果たしていた血の使命について、諸君は少なくともその道徳的および社会的感情を失ってしまっているということを心の底に感じないのか。先人たちよりもしばしば諸君は、家に帰って夜の安眠ができないのか。諸君以前にも極刑を指令した人々がある。しかし彼らは法と正と善とのうちに自負するところがあった。ジュヴネル・デ・ジュルサンは自ら審判者だと信じ、エリー・ド・トレットは自ら審判者だと信じ、ローバルドモンやラ・レーニーやラフマスなどでさえ、みな自ら審判者だと思っていた。が、諸君は心底において、自分は殺害者ではないという確信さえもたない。
 諸君はグレーヴの刑場を去ってサン・ジャック市門におもむき、群集を避けて寂寞せきばくの地を選び、白昼よりも薄明の頃を好んでいる。もはや確固たる信念でことをなしてはいない。諸君は隠れひそんでいる、と私はあえて言う。
 死刑に賛成のあらゆる理由は、かくのごとく破れてしまう。検事局のあらゆる論法は、かくのごとく無に帰してしまう。それらのあらゆる論告のはしくれは、かくのごとく一掃されて灰燼かいじんになる。すべてのへりくつは論理の鎧袖一触がいしゅういっしょくで解決される。
 法官らが、社会を保護するという名目のもとに、重罪公訴を保証するという名目のもとに、実例を示すという名目のもとに、ねこなで声で懇願しながら、陪審者たり人間たるわれわれにむかって罪人の首を求めにくることが、もはやないようにしたいものである。すべてそれらの名目は、美辞麗句であり空太鼓からだいこであり空言そらごとである。そのふくらみは針でひと突きすれば縮んでしまう。その描かぶりの饒舌じょうぜつの下にあるものは、冷酷、残忍、野蛮、職務熱心を示そうとの欲望、俸給を得るの必要、などばかりである。不徳官吏ども、口をつぐむがいい。裁判官のもの静かな足の下に死刑執行人の爪がのぞいている。
 非道な検事はいったいどういうものであるかと考える時、人はなかなか冷静ではいられない。それは他人を死刑台に送ることによって生活している人間である。本官の刑場用達人である。そのうえ、文章や文学にうぬぼれをもってる一個の紳士で、弁舌が巧みであり、あるいは弁舌が巧みだと自ら思っており、死を結論する前にラテン語の詩を1、2行必要に応じて暗唱し、効果を与えることにつとめ、他人の生命が賭けられてる事柄に、みじめなるかな、自分の自負心だけを問題とし、特別な模範を、およびもつかない典型を、その古典ともいうべき人物をもっていて、某詩人がラシーヌを目ざしあるいはボアローを目ざすように、ベラールとかマルシャンジとかいう目標をもっている。弁論では断頭台のほうをねらい、それが彼の役目であり本職である。彼の論告は彼の文学的作品であって、彼はそれに比喩の花を咲かせ、引照の香りをつけ、聴衆を感心させ婦人を喜ばせるものとなさなければならない。彼は優雅な口調とか凝こった趣味とか精練された文体などという、田舎にとってはまだごく新しいくだらないものをたくさん持っている。彼はドリーユ一派の悲壮詩人らとほとんど同じほど適宜な言葉をきらう。彼が事物をその本来の名前で呼ぶ気づかいはない。ばかなこと! むき出しにすればいやになるような観念をすべて、彼はすっかり付加形容の言葉で仮装させる。サンソン氏をも見栄みばえよくする。肉切り庖丁を紗の布で包む。跳ね板に色をぼかす。赤い籠を婉曲な言いかたでごまかす。それが何のことだかもうわからないほどになる。穏やかな上品なものとなる。彼が夜分書斎で、6週間後には一つの死刑台を建てさせるべき長広舌をゆっくりとできるかぎり推敲しているところを、想像してみるがいい。法典のもっとも痛ましい箇条に一被告の頭をはめこもうとして汗水流している彼を、眼前に描きだしてみるがいい。粗製の法律で一人のみじめな男の首を鋸挽のこぎりびきしている彼を、眼前に描きだしてみるがいい。寓意や提喩の泥のなかに二、三の有毒な文体を煮こんで、それから一人の男の死を一生懸命にしぼりだし煎じだそうとしている彼に、目を止めてみるがいい。彼がその論告を書いている一方には、そのテーブルの下に、影のなかに、彼の足もとに、たぶん死刑執行人がうずくまっていることだろう。そして彼はときどきペンを休めて、主人が自分の犬に言うように、死刑執行人に言うだろう、
「静かに、静かにしておれ、いまに骨をしゃぶらしてやるよ。」
 しかるに、私的生活ではこの法官も、ペール・ラシェーズのあらゆる墓碑の銘にあるように、正直な男で、よい父で、よい子で、よい夫で、よい友であることができる。
 法律がそれらの悲しむべき職務を廃する日の近からんことを、希望しようではないか。われわれの文明の空気だけでも、時がたてば死刑を磨滅してしまうはずである
 死刑の弁護者らは死刑がどんなものであるかをよく考えてみなかったのではないか、と思われることがよくある。社会が自分で与えもしなかったものを取り去ることについて僭有せんゆうしているその無法な権利を、取り返しのつかない刑罰のうちでももっとも取り返しのつかないその刑罰を、たといどんな犯罪であろうともその犯罪と、少しく比較計量してみるがよい。
 2つのことのうちまず第1のことから言おう。
 諸君がやっつけるその男は、この世に家族も親戚も朋輩ももたない者であることもあろう。その場合には彼は、なんらの教育も訓育も、精神上の世話も心情上の世話も受けたことがない。しかるに諸君は、そのみじめな孤児をいかなる権利で殺すのか。幼年時代に幹も支柱もなくて地面をはいまわったからといって彼を罰するのか。孤立のまま捨てておかれたのを無法にも彼のせいだとするのか。彼の不幸を彼の罪悪とするのか。彼は自分がどういうことをしてるかを誰からも教えられはしなかった。彼はなにも知らない。彼の罪はその運命にあって、彼にはない。諸君は一人の無辜むこの者をやっつけるのである。
 またその男が家族をもっていることもあろう。その場合に諸君は、彼の首を切ることが彼だけしか傷つけないと思うのか。彼の父や母や子供たちは血を出さないと思うのか。そうではない。彼を殺すことによって諸君は彼の全家族の首を切る。この場合にもやはり諸君は無辜の人々をやっつけるのである。
 拙劣な盲目の刑罰よ、どちらに向いても無辜の者をやっつける。
 その男を、家族をもってるその罪人を、保管してみるがいい。彼は監獄のなかで家族のためになお働くことができるだろう。しかし墓の下からではどうして家族を生かすことができよう。その小さな男の子たちが、その小さな女の子たちが父親を奪われてどうなってゆくか、言い換えればパンを奪われてどうなってゆくか、それを考えておののかないでいられるか。諸君はその子供たちをめざして、男のほうは徒刑場に、女のほうは魔窟に、15年もたったら備えつけるつもりででもいるのか。おお、憐れな無辜の者たちよ!
 植民地では、死刑の判決で一人の奴隷が殺される時、その奴隷の所有者へ千フランの賠償金が出される。ああ諸君は主人の損害をあがなって、家族へはなんらの賠償もしない。この場合にもまた諸君は、本当の所有者から一人の男を奪ってるのではないか。彼は奴隷が主人に対するのよりもはるかに神聖な名目で、その父親の所有物であり、妻の財産であり、子供たちのものであるではないか。
 われわれはすでに諸君の法律を殺害だと認定した。そしてここにまた窃盗だと認定する。
 もう一つのことを言おう。その男の魂、それを考えてみるがいい。その魂がどういう状態にあるか、諸君は知っているか。諸君はあえてそれをかく軽率に追いはらおうとするのか。昔は少なくとも、ある信仰が民衆のなかに流布していた。最期のまぎわに、空中に漂っている宗教的息吹がもっともかたくなな者をもやわらげることができた。受刑人はまた同時に悔悛者だった。社会が彼に一つの世界を閉ざす時、宗教は彼に他の世界を開いてくれた。どの魂も神を覚えた。死刑台は天の国境にすぎなかった。しかし、民衆の多くが信仰を失っている今日、諸君は死刑台の上にいかなる希望をおいてくれているか。昔はおそらく諸大陸を発見したろうが今は港に朽ちている古船のように、あらゆる宗教はかびに腐食されている。今は小さな子供たちも神をあざけっている。いかなる権利で諸君は、受刑人の薄暗い魂を、ヴォルテールやピゴー・ルブランがこしらえあげたままの魂を、諸君自身も信じかねている何物かのなかに投げこむのか。諸君はそれらの魂を監獄の教誨師きょうかいしに引きわたす。それはむろん立派な老人ではあろうが、しかし自ら信仰をもっているか、そして人に信仰をもたせうるか。彼はその崇高な仕事を一つの賦役として機械的にやってはしないか。囚人馬車のなかで死刑執行人と相並んでるその好々爺こうこうやを、一個の司祭だと諸君はいうのか。魂をも才能をも十分そなえた一著述家がわれわれより前にこう言っている、懺悔聴聞者を追い払った後もまだ死刑執行者を残しておくのはいまわしいことである。
 頭のなかでしか推理しないある傲慢な人々が言うように、これはもとより「感情的な理由」にすぎない。しかしわれわれの見るところでは、このほうがさらに立派な理由である。われわれはたいてい理性上の理由よりも感情上の理由を取りたい。そのうえ両者は常に支持しあうものである。それを忘れてはいけない。『犯罪論』は『法の精神』の上に接木つぎきされたものである。モンテスキューはベッカリアを生んだ。
 理性はわれわれに味方し、感情はわれわれに味方し、経験もまたわれわれに味方する。死刑が廃止されている模範的な国家では、重罪の数は年ごとに漸減している。よく考えてみるがいい。
 けれどもわれわれは、議会があれほど夢中になって唱え出したように、死刑を今ただちに突然に完全に廃してしまいたいというのではない。いな、われわれは、あらゆる試みと注意と研究とをもって慎重にやりたいのである。もとよりわれわれの望むところは、単に死刑の廃止ばかりではなく、徹頭徹尾、閂から肉切り庖丁に至るまで、あらゆる形における刑罰の完全な改訂である。そしてそういう仕事が立派に仕上げられるためには、時間は必要な要素の一つである。なおわれわれはこの問題については、実行できると思っている一つのまとまった考えを、他のところで詳述するつもりでいる。けれども、貨幣贋造や放火や加重情状付窃盗などの件に対する部分的な死刑廃止とは引き離して、今からただちに求めたいことは、あらゆる重大な事件において裁判長が陪審員らにむかって、「被告は情熱によって行動したかまたは私欲によって行動したか」という問いをかけることにし、「被告は情熱によって行動した」と陪審員らが答える場合には、死刑に処することのないようにしたい。そうすれば少なくとも、いまわしいある種の処刑ははぶけるだろう。ユルバックやドバケルなどは助かっただろう。オセロのごとき人物を断頭台にのぼらせることはなくなるだろう。

コメント(1)

 それにまた、誤解のないようにしてほしいことには、この死刑の問題は日に日に成熟している。やがては社会全体がわれわれと同様にそれを解決するだろう。
 もっとも頑迷な刑法学者らにも留意してもらいたいことには、一世紀このかた死刑は漸次減退している。死刑はほとんど穏和になっている。それは老衰のきざしであり、衰弱のきざしであり、やがて死滅するしるしである。責め道具はなくなった。刑車はなくなった。首吊柱はなくなった。ふしぎなことではあるが、断頭台そのものも一つの進歩である。
 断頭台創案者ギヨタン氏は仁者である。
 実際、恐ろしい歯をそなえて、ファリナッキやヴーグランを、ドランクルやイザーク・ロアゼルを、オペードやマショーをむさぼり食う、恐ろしい正義の神テミスも、健康が衰えてき、痩やせ細っている。もう死にかけている。
 はやすでにグレーヴの刑場もそれをきらっている。名誉を回復しようとしている。この古い吸血婆たるグレーヴは、七月革命の折には品行をつつしんだ。それ以来彼女はよい生活を望み、最後のみごとな行いを涜けがすまいとしている。三世紀前からあらゆる死刑台に身を売った彼女も、羞恥心を覚えて以前の商売を恥じている。いやしい名前をなくしたいと思っている。死刑執行人をこばみ、敷石を洗っている。
 現在では、死刑はもうパリの外に出ている。しかるに、ここに言っておきたいことには、パリから出ることは文明から出ることである。
 あらゆる兆候はわれわれに味方する。あの忌いむべき機械、なおよくいえば、ギヨタンにとってはちょうどピグマリオンに対するガラテアのようなものであるあの木と鉄との怪物も、落胆し渋面しているようである。ある点から見れば、上に述べた恐ろしい処刑も喜ばしいきざしである。断頭台は躊躇ちゅうちょしている。切りそこなうまでになっている。死刑の古い機械は全部調子が狂っている。
 けがらわしいその機械はフランスから立ち去るだろう。われわれはそれを期待する。もしよろしくば、われわれのきびしい打撃を受けて、足をひきずりながら立ち去るだろう。
 そして他の土地へ行って、ある野蛮な民衆のところへ行って、優遇を求めるがよい。トルコへでもない。トルコは文明の風に浴している。未開の民へでもない。彼らでさえそれをきらっている。(タヒチ島の州会は最近死刑を廃した。)それよりなお数段文明の階段をくだって、スペインかロシアへでも行くがよい。
 過去の社会の殿堂は、司祭と国王と死刑執行人との三つの柱に支えられていた。しかるに、すでに長い以前に一つの声が言った、神々は去れりと。最近他のもう一つの声が起こって叫んだ。国王らは去れりと。いまや第三の声が起こって言うべき時である。死刑執行人は去れりと。
 かくて旧社会は一塊一塊と崩れてしまうだろう。かくて天意は過去の崩壊を完成してしまうだろう。
 神々を愛惜した人々にむかっては、唯一の神がとどまっている、と言うことができた。国王らを愛惜してる人々にむかっては、祖国が残っている、と言うことができる。死刑執行人を愛惜するだろう人々にむかっては、何も言うべきものはない。
 秩序は死刑執行人とともになくなりはしないだろう。なくなるなどと思ってはいけない。未来の社会の穹窿きゅうりゅうは、その醜い要石がなくても崩れはしないだろう。文明というものはあいついで起こる一連の変更にほかならない。いま人が直面しようとするのは、刑罰の変更にである。キリストの穏和な掟は、ついに法典にもはいりこみ、法典を貫いて光り輝くだろう。罪悪は一つの病気と見られるだろう。そしてその病気には、医者があって裁判官のかわりとなり、病院があって徒刑場のかわりとなるだろう。自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火とが当てられたところに香料と油とが塗られるだろう。憤怒をもって処置されたその病苦は慈愛をもって処置されるだろう。それは単純な崇高なことだろう。磔刑台のかわりに据えられた十字架。それだけのことである。
  一八三二年三月十五日

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