ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Dinah WashingtonコミュのDINAH WASHINGTON

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1924年8月29日〜1963年12月14日


アメリカ人ブルース、ジャズ、ゴスペル・シンガーであった
DINAH はとっても力強い声の持ち主。
感情をたっぷりと込めて歌う彼女の歌唱法は
多くのシンガー達の模範となりました。

本名は RUTH JONES、生まれは アラバマ州の TUSCALOOSA。
幼いころ家族がジャズの宝庫、シカゴへ移転したため
宿命だろうか、音楽と深い関わりを持つチャンスを得ました。

ピアノを弾いたり、教会の合唱団を指揮したり、
幼少から DINAH はとても積極的に活動していました。
青春時代も DuSable 高校で WALTER DYETT の
有名な音楽カリキュラムを受ける機会に恵まれました。

その後は DINAH WASHINGTON の芸名でデビュー、
クラブ演奏をする傍ら、
RUTH JONE の本名では、 SALLE MARTIN'S GOSPEL CHOIR で
ピアノを弾いて指導にあたり、同時に歌っておりました。

彼女の素晴らしい声、タイミングの良さ、
クリスタルのように透き通るきれいな発音は
どの曲に付けても彼女独自のスタイルとして引き立ち、
人々を魅了していきました。
それが、彼女が QUEEN OF THE BLUES として
多くの人々に讃えられた理由なのでしょう。

また、JAZZ、 BLUES、 R&B、 POP と
どの分野でも彼女は最高の録音を残しました。
しかしながら、彼女はゴスペルの録音だけは残しませんでした。
酒場の音楽を生業としてからは特に
神聖なる教会音楽とクラブ演奏を結び付けたくなかったのでしょう。
自分のレパートリーにゴスペルを入れなかったのは、
彼女のこだわり、そしてポリシーだったのです。

そして、1942年に LIONEL HAMPTON のバンドに参加。
DINAH WASHINGTON というステージ・ネームが
HAMPTON の提案によるものなのか、
GARRICK STAGE BAR のマネージャーが
彼女に与えたものなのかは定かではありません。

1943年、彼女は KEYNOTE RECORDS で 
EVIL GAL BLUES をリリース。
初のヒットを生み出しました。
1955年には R&B の分野において、数々のヒット曲を世に出し、
チャート入りを果たしました。
BABY, GET LOST、TROUBLE IN MIND、
YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS、
COLD, COLD HEARTなどが代表的です。
1958年、NEWPORT JAZZ FESTIVAL では
歴史に残るパフォーマンスを聴衆に披露しました。

1959年には WHAT A DIFF'RENCE A DAY MAKES が激売れ、
ベストR&B パフォーマンスで、グラミー賞を見事に獲得。
この曲は彼女の人生においては最大のヒットで、
ビルボードでは第8位をマーク。
ジャズやブルース評論家達からは
売れ線をねらいすぎると批判されたものの、
同タイトルのアルバムも商業的成功を収めました。

彼女の本来のブルース・ルーツから外れていると言われながらも
彼女はジャズやブルースに限らず多くのポピュラー・ソングを発表し、
一世風靡しました。

更に、1961年の SEPTEMBER IN THE RAIN はイギリスで35位、
アメリカで23位という人気を誇りました。
1961年、BROOK BENTON とのデュエット、
BABY (YOU'VE GOT WHAT IT TAKES) と
A ROCKIN' GOOD WAY (TO MESS AROUND AND FALL IN LOVE) は
ダブル・ベスト・テン入りを果たし、
THE PLATTERS との共演作、
SMOKE GETS IN YOUR EYES も非常に高い評価を得ました。

彼女をここまでのし上げたのは、やはり、彼女の歌唱力。
彼女のビート、言い回し、フレージングの上手さは、
当時の誰よりも遥かに勝り、他に類を作らなかった。
DINAH の歌とは正に鳥肌が立つような歌唱だったのだ。

彼女の結婚暦は7回、離婚暦は6回。恋人の数は沢山。
私生活では自分本位で傲慢な女性ではあったが、
人々はそんな彼女が逆に大好きでした。

彼女はダイエット錠剤とアルコールの飲みすぎで、
1963年39歳の若さでこの世を去りました。
DINAH は現在、イリノイ州は ALSIP の 
BURR OAK CEMETERY に葬られています。


コメント(2)

≪自分の日記から以前書いたものを拾ってきましたので、幾分とぎれとぎれですが・・・≫

私事ですが、好きな歌手は誰???と聞かれたら、
いつも、ビリー・ホリデー、エディット・ピアフー、美空ひばり
と答えるが・・・
DINAH WASHINGTON と BESSIE SMITH は全く別物。
比較になりません。

彼女の歌ものなら自分自身、半分以上は歌っていると思うけど・・・結構古いのがありますね。懐かしい!!!

Aretha Franklynも若い頃よりは、晩年のパワーの方を敬愛しますね。歌うために存在している人・・・その魂が素敵です。

特にYou Don't Know What Love Is は結構好きで昔は繰り返し、繰り返し歌っていました。

やはり、ビリー・ホリデーとダイナーが印象的。歌詞が悲しくて切なくて泣ける感じ・・・、メロディーはブルージー・・・懐かしのナンバーですね。

BACK WATER BLUES はニューオリンズの水害以来、時折練習しています。BESSIE も良かったけど、やはり DINAH が上手かったな・・・ 歌詞が結構泥臭くて好きなんです。 アーマ・トーマス様はまだ聴いておりませんので聴いてみたいです。


●【知人よりお勧めリンク】
"Our New Orleans2005"
http://wmg.jp/artist/compi/WPCR000012241.html
に収録されています。

名曲"Do You Know What It Means To Miss New Orleans"も聴けます。


このトピックを読ませていただき、
ダイナーの事を、よく知らずにいた自分を痛感しました。
そして、ダイナーの人生を、こんなにも分かりやすく紹介してくださったことに、
心から感謝しています。

ダイナーがゴスペルシンガーだった事は、知りませんでした。
ライナーノーツをしっかり読めば、書いてあったのかもしれないのですが、
ダイナ-の発声にゴスペルっぽさを感じながらも、ブルースシンガーであることに納得してました。
ゴスペルクワイアに参加していたということを知り、
彼女のゴスペルを聴いてみたかったと痛切に思いました。

私にとって、彼女の発声の安定感、声量の豊かさ、発音の美しさは、
憧れ以外の何者でもありませんでした。
もう、だいぶ前になりますが、
彼女の、Smoke gets in your eyes を必死に練習し、完全にコピーし、
無伴奏で歌った事があります。

歌い終わった後思ったのが、彼女のこの曲はまるでゴスペルみたいだ、ということでした。
彼女が、ゴスペルシンガーだった事を知った今、
彼女の歌唱法、声の響かせ方は、ゴスペルのソリストとして
ゴスペルコーラスの重厚さに決して負ける事の無い、
説得力のある歌唱だったのではないかと思いました。

神の前に捧げられる歌唱を体得していたダイナーが、
ジャズ、ブルース、というジャンルで、人生の歓喜や悲哀を歌い、
人々の心を癒していたと思う時、
彼女は、厚い信仰心のもと神の子として、あえてこのジャンルを選び、
広く人々の心に入っていったのではないかと思います。

思いを伝えたいから、
彼女は歌のフレージングに、心を砕いていたのでしょうね。
そして、たくさんの恋をした事も、
自己表現を追及するアーティストのさだめだったのではないでしょうか。

彼女の魂の歌を、彼女の残した思いの深さに触れるように、
安らかな気持ちで心ゆくまで、味わいたいと思いました。




ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Dinah Washington 更新情報

Dinah Washingtonのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング