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福祉計画作成処コミュのスウェーデンから見た日本の福祉

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スウェーデンからみた日本の福祉



スウェーデン ナッカ市
デイセンターEKO、前施設長 大滝 昌之



 今からちょうど11年前の1991年秋に、私は日本の知的障害者の親の会の全国大会にスウェーデンから招聘された2名の講師とともに通訳として出席した。 大会のテーマは「地域福祉」であったが、分科会として行われたシンポジウムにおいて、スウェーデンでは国による保険事業と県自治体による医療の他、いわゆる福祉サービスは市町村単位のコミューンが行うということがシステム化されているという福祉の在り方が説明され、またスウェーデンでは新しい法律によってあと数年で障害者の住む入所施設が全て閉鎖されるということが初めて日本の福祉関係者に伝えられた。
 シンポジウムには、施設型の福祉から地域型の福祉へ移行するにあたって、施設の新しい役割を検討したり、また後を絶たない「親亡き後」の不安を解消するために更なる施設の充実を望む多くの人が参加していたが、スウェーデンからの報告に会場は一瞬ざわめきが起こり、施設推進を唱えていたシンポジスは、「今そういうことを聞くと、非常にショックを感じる」と言ったまま、暫く言葉が続かなかったものである。

 それから11年が経ち、スウェーデンでは障害を持つ人の入所施設は1999年に全廃され、現在はグループホームや在宅でのケアが行われているが、日本では地域型福祉が言われてから久しいとはいえ、まだ入所施設の建設は行われ、また入所する障害を持つ人の数は年々増えている。確かに、ここ15年〜20年の間には、ノーマライゼーション、自己決定、本人の意思尊重、権利擁護など、スウェーデンの福祉理念から伝わってきた言葉は日本でもあちこちで聞かれるようになった。 また、小規模の作業所の数も増え、各地で生活支援事業がはじまり、現在日本では、平成15年に予定されている社会福祉構造改革の実施を目の前にして、様々な動きが急速に進んでいる。高齢者福祉のゴールドプランや介護保険制度、障害者福祉での障害者プランなど、これらの新しい福祉政策の基本目標の根底には、誰もが地域で共に生きる社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念と、人権尊重に基づいて人間的復権を目指す「リハビリテーション」という二つの理念があるのだが、これらの新しい福祉の理念や新しい言葉というものが、どれほど現実の福祉世界に活かされているだろうか? 

現状を見てみると、全国の自治体の福祉サービスの整備状況は非常に遅れているばかりでなく、自治体によっては、そのサービスの内容や状況に大きな格差が生じていることが分かる。
さらに、今までの施設型福祉から地域型福祉への移行を目指している障害者福祉を見ても、その姿勢とは裏腹に入所型施設に住む障害を持つ人の数は年々増加しているし、「親亡き後の不安」から、未だに入所施設の設置を求める声が多いのが現状である。
また、ノーマライゼーションやリハビリテーションなどの理念自体も、まだ日本の社会に浸透しているとは言い難い。それは、例えば介護疲れによる悲劇や幼児虐待が日常的に繰り返され、障害者の人権問題や社会復帰の機能の欠如などでも見られるように、社会にはまだまだ「誰もが共生できる条件」が揃ってはいないというのが現状である。

 ここで、ノーマライゼーションの理念が早くから社会政策に取り入れられたスウェーデンの状況を見てみると、確かにスウェーデンは日本とは様々な意味で違った国ではありながら、戦後の社会の動きは、地方から都市への人口移動と地方の過疎化、それに伴う核家族化、高齢者社会と小子化問題など、今まで日本が辿ってきた社会状況と同じような経過を既に体験していることが分かる。この事は日本とスウェーデンに限らず、先進国では社会や経済の動きは同じような経過を辿り、またその将来図を共有しているのである。逆の見方をすれば、スウェーデンという国は、単に福祉先進国ということだけではなく、これら先進国の社会の変化を先取りしているという意味で、日本の社会の将来像やそれに向けた福祉政策に一つの方向性を示しているとも言えるのではないだろうか。 

 これらの状況の中でスウェーデンと日本での福祉を比較した場合、幾つかの相違点が挙げられるが、その一つが法制度である。スウェーデンでは、高齢者を含めた一般市民が受ける事が出来るサービスの種類を明記した「社会サービス法」、さらに機能障害者が受ける事の出来るサービスを明記した「LSS法」があるが、日本では全国に共通する福祉サービスを規定した法律は見当たらない。福祉のサービスはそれぞれの地方自治体に委ねるというのが、そもそも社会福祉構造改革の趣旨の一つでもある。それによって福祉サービスの内容や支援費の算定も地方自治体に任されるものの国全体での規定がないために、サービスの内容や質、量というものは地域によって格差が生じてくる。

 さらに、スウェーデンでは「保健・医療法」によって、医療やリハビリテーションは県自治体、福祉サービスは各市町村単位であるコミューンと責任が明確にされている。これによって、例えば何処かの施設で問題が起きる場合、それが公営であろうと民営であろうと、責任はコミューンが負わなければならない。それに比べて日本では、その責任の所在がはっきりしない場合が多く、例えば施設に通う車椅子使用の障害者が鉄道の踏切事故にでも遭遇した場合、その責任は鉄道会社にあるのかあるいは施設にあるのか、もしくは自治体にあるのかあるいは本人を含めた家族がその責任を負うのかが曖昧である。
 また、福祉のサービスが法律に照らして適当であるか否かの判断は、スウェーデンの場合社会庁が監査を行うが、日本にはサービスの評価を行う監査の仕組みがない。日本でも例えば県の監査が行われるが、その場合は県からの補助金の使い道を監査するもので、サービスの質については不問にされる場合が殆どである。スウェーデンではこの他に、オンブズマン制度などによる権利の擁護が法制化しているが、権利擁護に関しても日本はまだ確立されてはいない。

 法制度の中にはこれらの他にもいろいろ違いがあるが、社会生活上での根本的な違いは、日本にはまだ「家族の扶養義務制度」が民法第887条で制定されていることであろう。先進国では個人単位の社会制度を基本とし、制度というものも社会と個人の関係で構成されて整備されているのに対して、日本では未だに制度上は家族と社会の関係が中心である。
 スウェーデンなどの福祉先進国でも、昔は家族のことは家族が面倒をみるという形態はあったが、社会が近代化されるにつれて、個人というものが社会の中でより尊重されるようになった。
 欧米の先進国では、家族の基本は夫婦と子どもであり、親は子どもが成人するまでは養育・扶養の責任はあるが、子どもが成人すれば扶養義務はない。また、子どもが年老いた親を扶養する責任もない。つまり、成人すると誰もが一人の人間として責任を持つということであり、何かの理由で独自の力では生活に不自由な場合、それに対する援助や保護は社会とその個人との関係によって成り立っている。

一方で日本は、社会が近代化へと進み先進国と言われるようになりながらも、制度的には依然として農耕社会的な家族制度を維持し続けており、民法にある扶養義務制度によって、障害者や高齢者、あるいは自力で生活することの困難な人の生活支援は、一義的には家族がその扶養の責任を負うことになっている。家族の扶養義務の範囲についても民法では3親等と非常に広くなっており、3親等の中で誰も扶養する人がいないことを自ら証明しないと生活保護が受けられない。
 つまり、法律上では個人としての最低水準の生活保障を、生活保護制度が個人としては担えないような状況になっているのである。

福祉の充実ということは、つまりは安心して暮らせる生活ということでもあるが、この日本の古い生活慣習を今も受け継いでいる家族の扶養義務制度は、いつになっても「親なき後の不安」が解消されない悩みに繋がることでもある。
 「親亡き後の不安」は、結局は「親である自分がいなければ、誰が子どもの面倒を見るのか?」ということへの不安である。この「子どもの面倒を見るのは、親である」という考え方は、子どもが自力で生活をすることが出来ない、文字通り子どものうちは当然である。
 しかし日本では、昔ながらの家族制度の中で、子どもが成人しても子どもは子どもであり、それが何かの理由で自立生活を送れない場合には、一生涯その面倒を見ることは親として当然のことであり、一生子どもの犠牲になることも善とされて来た。またそれは、家族制度の名の下に、いわゆる「日本人の美徳」ともされて来た。

 社会の最小単位が家族であるならば、家族の一員それぞれが助け合うということは、これまた当然のことであり、また人間の生活というものは、その意味では世界中共通しているとも言える。
 しかし、農耕社会のように家族の連携から成り立っていた社会から発展した近代社会の中では、親も子どももそれぞれが個人として生きてゆく上で、生活の支援に関して家族が互いに扶養する義務が制度化されていると、お互いを縛り付ける状況さえ生み出してしまう。

 現代は、それぞれの状況をもつ個人が、お互いの存在を認めながら共存する共生社会、つまりそれぞれ自立した個人が、お互いを尊重しながら生きて行くノーマライゼーションを理念とした社会作りを目指しているはずである。 生活における自立というものは、それが家族であろうとも、特定の人に依存することや特定の人の犠牲にならずに、自分自身の生活を送ることが出来るということでもある。いわゆる家族の介護疲れによる悲劇や、大人の権限とされて来た児童への体罰などが繰り返されないようにするためにも、福祉社会を考える上で個人の尊厳というものへの認識を新たにする必要がある。支援費制度の施行を前にして、日本の福祉の根底にある「家族の扶養義務制度」を見直し、改めて何を以て支援とするか考える必要があるのではないだろうか。

 さて、制度についての違いをいろいろ述べたが、制度を作り出すのは個人の集まる社会であり、個人というものの考え方や価値観も文化によっていろいろ違ってくる。
 「神の下では何人も平等」であるキリスト教文化では、個人というものは厳然として存在するものであるが、「色即是空」の仏教文化では、個人は勿論、万物の存在そのものがイルージョンである。つまり個人が自己主張をすることは「控え目」にしなければならない。「無我無心」を是とする仏教文化では、自己主張とは「エゴイズム」に繋がると考えるし、「最後の審判」の時に、生きている時にはどんな人間であっても罪を悔い改めると天国に行けるキリスト教では、自己主張は生きている証でもある。長い間仏教文化の影響を受けた日本では、自分とは「周りがあっての私」になるし、キリスト教文化では、周りとは「それぞれ異なる個人の集まり」となる。
 自己主張をすることは「美徳ではない」日本、おまけに儒教と言う家長崇拝精神の影響も受けて、農耕文化の産物でもある「縦割りの社会」での日本の中で自己主張や自己決定という概念が浸透するには、それなりの時間が必要なのかも知れない。

ともあれ、現代のスウェーデン福祉と日本の福祉を比べる場合、個人と周りとの関係の中で、それを繋ぐ矢印の方向は全く正反対である。日本の場合は、「周りが、その人の事を考えてあげる」というように、矢印の方向は周りから本人に向っているが、スウェーデンの場合は、「本人がそう望むから、こちらとしては、こう対応する」というように、矢印の方向が逆になる。具体的には、福祉でのサービスは周りが本人にあてがうのではなく、本人の意思と申請がなければ、誰もサービスを受けられないという事でも示されるのである。そのために、本人の意思を尊重するという事が生かされると同時に、本人としても自分の権利を主張して行かなければならない。
 「周りが、その人の事を考えてあげる」型の福祉は、ともすれば「救済精神」に基づいた福祉になる。弱者救済という精神から成り立つ福祉は、言葉を変えるならば「可哀相な人を助ける福祉」ということである。「可哀相だから助ける」というのは、ある意味では「持てる者と持たざる者」という関係に分かれる事であると同時に、助けるという事は助ける者の心情の如何に拘わってくる事にもなる。つまり、可哀相だと思わなければ助けないという事も成り立ち、あるいは「今までは助ける事が出来たけど、今は助ける事が出来ない」という状況も有り得るということである。そうなると、援助を必要とする立場の人は、「助けてくれる人がいる間は助かる」という事で、
そこに援助の継続性に保証はなくなってしまう。

それに比べ平等精神による援助は、その意味も「助けること」から「支援すること」、つまりその人が不足しているものへの補充であり、また必要とするものへの援助というものは、その人が他の人と同じ条件にあるためにその人が当然受けるべきものであり、またその姿勢はその人なりの行き方や姿を支えるということである。スウェーデンにおけるノーマライゼーションの定義でもある「社会的に不利な条件にある人の生活条件を、社会的に不利な条件にない人の生活条件に、出来るだけ近づけること」というのは、つまりその平等精神に則った福祉ということなのである。

 こうして「あれから11年」を見つめてその後の日本とスウェーデンを考えると、いわゆる「スウェーデン的」でないものへの疑問や批判的な見方をして仕舞いがちになるが、当然、個人というものの考え方の違いや文化の違いも考えなくてはならない。それに、どちらが良いかという比較をしても、価値観が違えば「良し悪し」では語られないこともある。ただ、お互いに共通する理念や言葉を使う時には、理念や言葉がそれぞれの地域でどう活かされているかを考えることも必要である。その上で、そのためにお互いの交流が有意義であることは、勿論言うまでもない。

月刊誌「自治フォーラム」12月号、vol.519 編集:地方自治研究資料センター、協力:自治体大学、出版:第一法規出版会社
http://www.clubeko.com/nihonnofukushi.htm

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