確かにカサブランカの経営には、いいかげんな面がありましたが、ドナが移籍したのは、二ール・ボガードがクビになったのが原因です。カサブランカとの契約時、ボガードが会社を辞める場合は、ドナも辞めて良い特約事項があったのです。裁判になったのは、親会社のポリグラム(現ユニバーサル)が、二枚組みのベストをオリジナル・アルバムとは認めなかったため、ゲフィン(ワーナー)移籍後に、もう一枚「SHE WORKS HATRD FOR THE MONEY」をポリグラム傘下のマーキュリーから発売したわけです。
カサブランカの経営自体は、いいかげんでしたので、ドナへのギャラに誤魔化しがあっても可笑しくはありません。ただ、二ール・ボガードとドナとの関係は悪くなかったです。彼が良い人だったかは分かりませんが、アメリカで売り出してくれた点に、ドナは恩義を感じていたようです。「I'M A RAINBOW」は、カサブランカではなく、ゲフィンから出る予定だったアルバムです。ゲフィン(ワーナー)の作品は全てユニバーサルが買い取ったので、現在は一社に纏まっています。
「I'M A RAINBOW」は、「WANDERER」の次に録音したアルバムですから、まるまるゲフィンの作品ですよ。
2社というのは、ゲフィンとマーキュリーのことですか?↑にも書きましたが、裁判に負けて、カサブランカ時代に、もう一枚分アルバムを出す義務を果たしていないことになってしまったので、しかたなく「SHE WORKS HARD FOR THE MONEY」を録音し、ポリグラムのマーキュリーから発売したのです。日本ではポリスターからカサブランカのレーべルで発売されましたね。当時カサブランカはポリグラムの単なるレーベルの1つに成り下がってましたので、ポリグラムとしては、どのレーベルで出すかは重要な問題ではなかったのです。ゲフィン(ワーナー)に所属したままマーキュリーから特例で一枚アルバムを出したのですから、「2社のレコード会社に所属した」という表現は正しくないと思います。かつては、ポリグラムとワーナーから、それぞれベスト盤が出てましたが、現在は、ユニバーサル(ポリグラム)がゲフィン(ワーナー)時代の音源を買い取ったので、基本的にユニバーサルからしかベスト盤は出ていません。ヒット曲が満遍なく入ってるベスト盤となると、2枚組みか3枚組みのものをお奨めします。活動期間が長くヒットの多いドナですから、一枚ものでは入りきりません。
ジョン・レノンと共に、鳴り物入りでゲフィンに移籍したわけですが、世界的にゲフィンのレーベルで発売になったのは最初のアルバムだけで、その後の作品では、アメリカではゲフィンでしたが、日本やヨーロッパではゲフィンの親会社ワーナーのレーベルが使われていました。これには、サイモン&ガーファンクルによる復活コンサートのライヴ盤発売が関わっていたのです。当時、ポール・サイモンはワーナーで、アート・ガーファンクルはCBSでしたから、売り上げを折半するために、国によって発売をワーナーかCBSに分ける必要がありました。そこで、そのライヴ盤をゲフィンから発売し、ゲフィンの配給を北米以外ではワーナーからCBSに移すことで解決したのです。では、なぜドナの配給が日本やヨーロッパでCBSに移らなかったのでしょうか?それは、ドナの移籍に際し、各国のワーナー・グループが支払いを分担することで、莫大な契約金を賄っていたからです。つまりドナは、ワーナーと国際契約を交わした、実質ワーナーのアーティストであり、ゲフィンのレーベル使用は、お飾りに過ぎなかったわけです。その後、しばらくはゲフィンとワーナーを使い分けした状態が続きましたが、1987年の「ALL SYSTEMS GO」からは、アメリカでもゲフィンではなく、同じワーナー系のアトランティックからの発売に変わります。しかし、ドナが移籍したとかの話題にはなりませんでした。それもそのはず、同じワーナー・グループ内でのレーベル移動に過ぎなかったからです。ゲフィンは、その頃ワーナーともCBSとも別れ、MCA(現ユニバーサル)の傘下に入りましたから、ドナは、アメリカでもゲフィンと完全に切れてしまったわけです。ヨーロッパと日本では、WEA のレーベルが使われましたが、これも同じワーナー・グループ内でのことですから、特段の意味はありません。ゲフィン/ワーナー時代の音源は、その後ポリグラム(現ユニバーサル)に完全移行し、現在に至っています。
>>[12] ドナとゲフィン・レコード(又はデヴィッド・ゲフィン氏)は「相性が合わなかった」のだと思います。「I'm A Rainbow」も蹴っ飛ばしお蔵入りさせ、「She Works Hard For The Money」は最初はゲフィンにオファーしたのに、ゲフィン氏が蹴っ飛ばし、あっさりマーキュリーに持って行かれ大ヒット。
「Another Place And Time」もゲフィン氏が蹴っ飛ばし、それと同時にゲフィンとの契約を解除。既にヨーロッパでは流行り始めていたので、急いでアメリカで発売する為に新たに契約したのがアトランティックでした。
つまりはゲフィン・レコードは80年代に大ヒットした2つのアルバムやそのシングルをオファーがあったのにも関わらずに、自ら逃した事になります。
皮肉なのが、「Another Place And Time」当時、同じプロデューサー・チームであるストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたカイリー・ミノーグのアルバムがゲフィンからリリースされていた事です。
そして「I'm A Rainbow」について。このアルバムは元々は70年代のアルバムの様に曲と曲が繋がっているアルバムだったという話もあります。そして当時お蔵入りしてしまったのはとても残念ですが、ただ制作側の(又はドナ本人の)やる気があまり感じられないというのも正直否定は出来ません。
事実ドナ本人がこのアルバムの制作に意欲があまり無かった様で、レコーディングをドタキャンする事もしょっちゅうあったと、当時制作に関わっていたハロルド・ファルターマイヤー氏が去年のインタビューで告白しています。いずれ「オリジナル・ヴァージョンの」このアルバム、聴いてみたいですね!