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2024年04月04日16:16

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いいか読むなよ。絶対読むなよ!読んでから文句つけたって反応しないからな。削除上等。という人でなし日記。

 あのさ、中年以降の人が同居している高齢者を殺すと、いろんな事情が明らかになる前に
「だから日本も安楽死認めろよ!」とつるりっと持っていく人多すぎない?
「安楽死を認めないからこういう例が後を絶たないんだ!」って。
この反応、もうお約束。
で、不思議なことに、障害を持つ子を育てている母親が切羽詰まって子供を殺すと、この「安楽死法案はよ!」というシュプレヒコールはあまり聞かない、ような気がする。
そりゃそうだよね。外国の例を見ればわかるけど、安楽死はあくまで「本人の意思で」決めるものだもの。
伝説の姥捨て山を合法として復活させればみんな幸せになれる、と言いたいんだろうけど、自ら死を望まない子供は山には捨てさせてもらえないんだよ。どんなに迷惑で邪魔でかわいくなくても。

重ねて言うけど、
海外で安楽死が認められてる国々は、あくまで「難治性の病気にかかり将来治る見込みがない」「生きることが耐えがたい苦痛を伴う」「あくまで本人の意向を最後の瞬間まで確かめて、薬剤の注入も本人が栓を外す」と決められている。
つまり「こんな金掛かる死にかけ老人いらん」という、家族の意向が混じらないように細心の注意を払ってるわけ。
ちなみにスイスに行って安楽死すると大体300万必要、渡航にも手続きにも肉親の協力が必要。
つまり彼ら彼女ら(家族ね)は、「死んでいいよ」と自ら認めたそのつらい記憶と、長年暮らした家族が自らの手で死を選ぶ瞬間を見、その記憶をずっと持ちながら生きて行くことになるんです。そしてそののちの遺体を持ち帰る義務、支払い手続き、届け出葬儀遺産相続の手続きお墓もろもろ、全部引き受けなきゃならない。人は結局、自分の手だけで天国に行くことはできないんです。

なんかさ。
日本での、「だから安楽死認めろよ!」という主張の陰には、どうもいらないものを捨てる権利を家族にくれよ!って要素が入ってる気がするんだけど。
たとえ安楽死法案が通っても、当人の意思がないとできないこと、って部分を飛ばしたがってない?
勿論それは無理。
ということは、日本で安楽死法案が通ったら、まだ意識のある老齢の家族に「ここまでお荷物になっても生きていたいか。安楽死したいと言え、どれだけ皆に迷惑をかけいるかわかるか」と圧力をかけることになりかねないよね。
だから本音では、「生きてる意味がないぐらい耄碌した老人は、家族親族の合意によって強制的に死なせてもいいことにする」という「日本風強制安楽死」を望んでいるんじゃないのかな。
そして、安楽死を連呼する人々が必ず言う言葉は
「自分がその身になったらどうかって?絶対安楽死を選ぶ。家族に迷惑をかけて寝たきりになってまでただ生きていたくはない!」という、「一応」潔い決意を語る人が多い。
父もそうでした。突然の肺炎で一晩で起き上がれなくなってしまった父は、救急搬送されて二か月、もう病原菌はないのに全身が衰えて立つこともできず、そのまま施設行きになりました。
入院して最初に確認されたこと、延命措置については、それこそ心マ、気管切開、中心静脈栄養まで「全部拒否する」と父は書面で回答していました。
でも、意識もはっきりしてるしボケもないので、施設で文芸春秋を読み、孫(私の息子です)と碁を打ち、TVでゴルフとお相撲を見るのが楽しみでした。
死にたい死なせてくれ、とは一言も言わなかった。
いよいよ食事ののみ込みが困難になり、胃ろうをつなぐことを提案された時は、私たち姉妹に
「わしは生きてもいいんじゃな」と申し訳なさそうに聞いてきたんです。
あれほど、みっともなく生きて家族に迷惑をかけるなら潔く云々、といっていたひとが。
でも「生きたい」という望みを確認して、わたしは正直嬉しかった。
一人では何もできない今の状態も、いっそあの世に行きたいと願うほどの地獄ではなかったのだなと。

言うほど見事に「死」を望まなかった、愚痴らなかった、でも寡黙になり口数の減っていった父の心中を思うと、
歳をとればひと思いの死を望むのが老人の正しい在り方だ、というか人は本来それを望むものだ、とはわたしには綺麗には言えない。
「わしは生きてていいんじゃな」が耳から離れないから。

ところで。

義母は92で施設に入った時、もし食事ができないほど弱ったらもう病院に連絡しないで、点滴もつながないで、自然に死なせてとお願いしていました。
そしてそこは看取りをしてくれるところだったので、食事ができなくなって一週間、何にもつながれず静かに死を迎えました。一人暮らしから施設に移ってひと月ぐらいでした。

今の病院も施設も、手続きを踏めば、患者をスパゲティ状態にしてまで生かそうとしません。次々新しい患者を受け入れなければもうからないからです。
癌にかかっても、治癒の可能性がもうないとなったら無駄な延命なんか勝手にしませんよ。それはそれで、緩和ケア病棟に移してくれて、あとは治療というより苦痛を取り去る処置をするだけです。意識は早めになくなりますが、それなりに静かな最後を迎えられます。

再度、言ってみます。
なんで、安楽死安楽死と要求するの?
日本で、死んでほしい人を殺していいという法案はまず成立しないと思いますよ。
それと「だってこんな世の中で長生きなんかしたくない」とお望みの方は、人里離れた山の中で、野生の獣のように食を絶ち、自然に帰るという方法もあると、言っちゃいけないことを付け加えておきます。自分の最後は、選べないようでいて選べるんですよ。畜生呼ばわりしてきた獣たちに倣えばいいんです。何もしなくてもただそのまま寝ていればあの世へ行ける。何の工夫もいりません。ただ、生きてる間に熊さんが現れて食べられてしまうと相当痛いし、一度人の味を覚えた熊は人を餌として狙うようになるので「熊のいない地域」を選びましょう。調べればわかります。

でもまあ、理想としては、できるだけ不摂生な生活して、それほどヨイヨイになるまで長生きせず寝てる間にポックリいけたら、が一番なんですけどね。

でも世界の葬式の中では、チベット当たりの「鳥葬」が一番理想的かな。「ちゃんとした鳥葬」の手続きについてなら、私の小説「青に染まる」の中盤に出てきます。ご参考にどうぞ。https://ncode.syosetu.com/n9006fc/
あっ宣伝じゃないよ! これホントに宣伝じゃないからね!



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