正月にまさか載せる日が来るとは思わなかったが、これから年賀も掲載していちいちグジグジ言われるとムカつくのもあるので先に載せておく。
卑しさに溢れるクレーマーの演じる二度目の喜劇は、誰も見向きもしない。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978701468&owner_id=65933753&full=1
■横浜市「3・11の給食に赤飯」は不適切だったのか 被災者からは「子どもがかわいそう」「本意ではない」との声も
(AERA dot. - 03月17日 17:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6449389
昔のディズニーの「なんでもない日」(The Unbirthday Song(誕生日ではない日の歌))という一般教養を知らんやつといい、ただのバカなクレーマーを相手にする必要がないとなぜ学習しないのだろう。
まして、「被災者がどうの」というのは、己の卑しさしか現れないただの驕りでしかない。
いいか?わざわざクレームをつけてくるようなヤツは、無能ゆえにヒマを持て余していて、そのくせ無闇にプライドだけは高く、嫉妬深いクズのような人間だ。
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「忖度された被災者の意思」は不謹慎厨の「卑しさ」をそのままに表示することになる
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971654665&owner_id=65933753&full=1
そういうクレーマーには、わかりやすい外形的な特徴がある。
「首尾一貫性がない」。
例えば、イギリスの国家意思自体は、国益の最大化という意味では首尾一貫している。
彼らは、「こんなことをしたら、かわいそうな被災者等が喜ぶかも知れない」と思って、走り回っている為に、動線には法則性がない。
何故ならば、彼らが「対象」と呼んでいるものは、彼らひとりひとりの頭の中に像を結んだ「幻想」でしかないから、となる。
「不謹慎厨が『被災者』だと思っているもの」こそが、不謹慎厨たちにとっての「被災者」でしかない。
「被災者」が直接こちらに「指示」を出しているなら、その指示は権威付けされ、どの施策も首尾一貫する。
対照的に、不謹慎厨にとっての「被災者の欲望と推定されているもの」は誰によっても権威付けされない。
なぜなら、「言挙げされていない」欲望に焦点化しているのだから。
「いや、殿、その先はおっしゃいますな。
何、こちらはちゃんと飲み込んでおります。
ま、どうぞここは、この三太夫にお任せください」
これがその本懐といってもいい。
「みなまで言わずと」的制止のあとに「殿の意思」として推定されるのは、多くの場合、「三太夫の抑圧された欲望」である。
三太夫は「私が殿の立場だったら、きっとこう考えるだろう」ということを推定する。
彼は、相手の欲望を読み取っていると思っている当のそのときに、「自分の欲望」を語る。
「せこい」やつが対象の意思を想定すると、対象は「せこい性格」を持ったものとして観念される。
不謹慎厨が「被災者の意思だと思っているもの」は、それぞれの
「もし自分が被災者だったら、へこへこへつらってくる人間に向かって何を要求するか?」
という自問への答えの部分でしかない。
ここまで、「そういうこと」と書いてきたのは言わずもがな「忖度」となる。
即ち「忖度された被災者の意思」は不謹慎厨の「卑しさ」をそのままに表示することになる。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/45064722.html
8月9日にディズニーの公式ツイッターに次のようなメッセージが更新された。
「なんでもない日おめでとう。」
これは、かの有名な児童文学である「不思議の国のアリス」のワンシーンに登場する「The Unbirthday Song(誕生日ではない日の歌)」の話だ。はっきり言って、多少の教養があれば、かなり誰でも知ってるレベルの話であり、「美女と野獣」の「Beauty and the Beast」や「オズの魔法使いの「Over The Rainbow」、「サウンドオブミュージック」の「ドレミの歌」などと同様に、「不思議の国のアリス」の中では、もっとも有名な楽曲の一つである。
不思議の国に迷い込んだアリスがいかれた帽子屋と三角うさぎのパーティーに遭遇するシーン。彼らは
「誕生日だけを祝うのなら、1年で1日しか祝えないじゃないか」
「誕生日以外の日だっておめでたい1日なんだ」
と言ってパーティーをしているのである。
もともと、言葉遊びや、矛盾した表現を多用している「不思議の国のアリス」の中でも、「誕生日以外だって特別な1日だ」という表現は共感を呼び、
「The Unbirthday Song」=『誕生日ではない日の歌』
はとても人気のある、明るいナンバーの一つなのだ。
ディズニージャパンは『誕生日でない日』という歌をより分かり易く表現するために「なんでもない1日」と意訳し、「みなさんが『なんでもない1日』と思っている日常の毎日が、実はとても素敵な1日なんです」と歌っているのだ。
私は、その意訳がとても気に入っている。逆説的で原作の「不思議の国のアリス」の意味もしっかりと組みこめていると考えるからだ。
しかし、その「意訳」にかみついたのがネット上の、教養1つないバカどもである。
「今日は8月9日だぞ!長崎に原爆が投下された日だぁ!」
「アメリカでやれ!日本は被爆国なんだぞ!」
「『何でもない』日とはなんだぁぁぁぁぁ!」
私はこういう連中を「バカ」と、そう呼ぶのだ。
・ディズニー社はかの有名な「不思議の国のアリス」の中のワンシーンを、しかも最低レベルの知識があれば知っているレベルの「歌のタイトル」をツイートしただけである。原爆と全く関係のない話だ。
・しかも、歌の原題は「The Unbirthday Song」である。「誕生日ではない日の歌」である。原爆と一体何の関係があるんだ?
日本のディズニー社の訳が意訳で「なんでもない1日」としたのは、「誕生日のような特別でもない1日1日だって、あなたにとってはきっと特別な1日なのです」と伝えたいからである。素晴らしいメッセージだと思う。その「真意」を汲み取りもせず、深く考えもせず、調べもせず、汗もかかず、努力もせずに
表面上だけの言葉を取りあげて「不適切だ!」と抗議しまくる連中のことを、日本語では
バカ
と表現するのだ。
「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。」
カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』
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