#コロナウイルス#医療#対策#マスク
マスクを作って思うのは、サージカルマスクは縫い目があってはその針の穴が致命傷です。外側に針目があってはいけない。
だからこれまでのマスク製品は不織布を熱で抑えて接着してあったのですね。
さて、縫わず不織布を布でくるむだけでは、やはり布と不織布の接点に隙間ができるのです。かろうじて個人の責任をもって自らが作り使うことが許される世界。
飛沫からエアロゾルになるウイルスは、想像するよりも浮遊し動き回り小さい。布目などスルスルと通り抜ける姿が見えるようです。
不織布は、接着芯として布に貼り付けて共に縫い、縫い目を出さないで作り上げるのが良いわけですが、どうしてもゴム通し穴の部分と空間を分けなければならないために、縫い目が作られてしまいます。これをパーツを分けて祭り縫いで仕上げればいいのかもしれない。。また、やり直し
やはり縫うこと自体が致命傷です。。
マスクも防護服も、研究しつくされた立派な人類のツールだった。。
この様に考えてみて思うことは、車も、防護服も、優れた製品の部品の一部を担ってきた中国は、もっと信頼してもいいものなのかもしれません。よく言われる餃子に段ポール等の不安は、個人の貧困がそうさせたものであるとしか思えない。もしも飢えていたら、私達もハンバーグを作るために小麦粉を入れたりパン粉の量を増やして家族の飢えを解消します。
神様に与えられた命と心を他者が奪い取ってしまってはならないと思います。私たちは自然のように互いに支え合いそれぞれが自由であって始めて生き生きと生命を慈しみ脈々と命を未来に育むのではないでしょうか?それぞれの精神と体はそれぞれのものなのです。やはり民主主義はこれまで人類の最善の社会の成り立ちに適していると思います。
神様は素晴らしいと思います。それぞれがいてバランスを取って一つとなるようにこの世界をお作りになられました。この大切なバランスを故意に激しく無謀に崩してはならないのではないでしょうか?
崩壊の偶然に出会わせた悲しみは、常にその場にあります。その場にいるための行動選択は悲しいかな存在するものだなあと感じます。大きな一つに内包するたったひと粒の針の穴に、誰が憎しみをぶつけるというのでしょう。それで最善の選択だったことでしょう。未来は改善のためにあるのかもしれません。
時の流れの中で翻弄されるのは、すべての分類分けの中のそれぞれの弱者です。
それぞれに弱者がいることには驚愕します。どな方法で解消したらこの問題は纏まるのでしょう?
もがけばもがくほど抵抗が増えてうまく行かない。時の流れに身をまかせ皆がすべての者が乗ることができたらいいのになあと思います。
祈るばかりです。
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