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2020年03月24日10:27

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キリシタン紀行 森本季子ー76 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー40

 彼は患者と自分の間に何の隔ても置かなかった。入所者の住居を気軽に訪問し、共にお茶を飲み談笑した。開けっ広げの明るさで笑いを振りまきながら彼らと対等の友人として付き合った。「私も和光園のもの」と彼は言っていた。人々は彼の説くキリストの愛を彼自身の中に見た。パトリック師は和光園と関係をもった三年余の間に入所者の半数以上が入信したと言われている。
 師が和光園の恩人として今も語られている事績の一つに、園内出産の問題がある。松原氏の記述によれば
 ハ氏病患者は結婚は認められる。然しそれには断種手術を受けることが前提とされる。若し妊娠しても本人の意思の如何にかかわらず胎児は陽の目を見ることなく消さなければならない。優生保護法によりこのことは何の抵抗もなく行われていた。現在もなお和光園以外の療養所ではその通り実施されている。パ神父は和光園でこの事を知るや敢然としてこれの廃止を訴えた。(中略)ハ氏病の患者の妊娠出産を認めないことは明らかな人権無視であり差別である。彼は鋭くこの矛盾を衝いた。そして患者達に神の摂理を説いて廻った。(中略)復帰後厚生省で園内誕生の子を保育所に引き取ることに強い難色を示した。そこでパ師は自らの資金でこれ等の子の養育をはじめた。

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