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2020年03月19日08:07

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キリシタン紀行 森本季子ー72 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー36

 この和光園と深いかかわりを持つことになるパトリック・フィン神父(トラピスト会)の来島は昭和26年。上陸の月日は不詳だがこの年の初め頃と思われる。彼はハンセン氏病者への奉仕を生涯の使命とした人である。
 両親はアイルランド人で、米国移住の途中、大西洋航行の船中で生まれたのがパトリック。聖パトリックは故国アイルランドの守護者である。後年、パトリック師は
 「私には決まった祖国はない。地球上に人間が線で囲んだ国家は祖国ではなく、私の祖国は地球そのものだ」(国立療養所奄美和光園・創立30周年誌「パトリック神父と和光園」松原若安)
 と言ったものだ。
 彼がハンセン氏病に深い関心を寄せるようになったのは、少年の日に読んだ「モロカイの聖者ダミアンの生涯」であった。その時、これほどの悲痛と苦悩に満ちた病気の実体を初めて知り、ダミアンの献身と奉仕の生涯に深く心を動かされた。またアッシジの聖フランシスコが病者を抱擁し介抱した話にも打たれた。パトリックはついに自分も将来あの人たちのために働かねばならない。これこそ神が自分に示された道、と確信するようになった。そのために司祭か修道者になろう、と決心し、十九歳でトラピスト修道会に入った。が、第二時世界大戦は二十一歳の彼を修道院から引き出した。兵役についた彼は物資輸送の任務中自動車事故により、二年間の闘病生活を強いられた。その病床生活中に、ハンセン氏病者に一生を捧げる最終的な覚悟をしたという。

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