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2020年03月12日07:31

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キリシタン紀行 森本季子ー65 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー29

 昼近い時刻になった。白衣の指導員たちが配給車から、かいがいしく食事を家毎に運んでいるのに出会った。皆福音の光のシスターとは顔見知りで、笑顔の挨拶を交わしていた。

 「ここには納骨堂もあるのですよ」
シスター川岡の言葉でそちらに向かった。納骨堂というものにこれほど厳粛な気持を持ったのは初めてである。ここに遺骨を置く人たちは、文字通り、涙の谷での生涯を終え、神のもとに帰っていったのである。
 納骨堂の前に立っていると、彼らの忍んだ長い苦しみの年月が胸に迫ってくる。思いなしか、このあたりを渡る風も鬼哭しゅうしゅうと響く。生前この人は幾度となく
神よ 深いふちから あなたに呼び
嘆き祈るわたしの声を 聞いてください  (詩編130)
 と祈ったことだろう。黙示録の一節がフト心に浮かんだ。

白い服をつけた・・・かれらは大きな患難をぬけ出た人々であ    る。子羊の血で自分たちの服を洗って白くしたのである。そのため  かれらは、神の玉座の前にいて、ひるも夜も、その神殿で神につかえる。・・・かれらはふたたび飢えることなく、渇くことなく、太陽にも熱風にも悩まされない。玉座のなかにおられる子羊は、かれらを牧して、命の水の泉につれていき、神はかれらの目から涙をすべて拭われる。(黙示録7の13〜17)
ここに遺骨を置く人びとこそ、その苦しい悲しい涙を神から拭っていただいたのだ。この涙の谷の玄義もそこではすべて明らかとなる。白い天衣に身を包み、光り輝く姿で神の賛美を歌っている和光園の帰天者・・・。そんな心象がまぶたのうちを通り過ぎていった。

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