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2020年01月27日08:30

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キリシタン紀行 森本季子ー26 聖母の騎士社

●大曾へ向かって

 中の浦教会を後に、道は若松瀬戸沿いに走っている。この瀬戸の美景については側聞はしていた。が、「一見にしかず」である。五島の風光明媚は、これまで度々描写してきた。だからと言って、若松瀬戸に言及しないのは神の賛美に欠けるような気がする。

 光り輝く瀬戸の水に浮かぶ島々、つのまた(海草の一種)のように形面白くあちこちに延びた岬、大小無数の入江!そのすべてが神の手に造られたままの姿を保って、山水の美を繰り広げている。このような天然の美をほしいままにしている島々が殉教の地であったのだ。当時、追い詰められたキリシタンはどの山にも海辺にも安全な隠れ場所を持たなかった。捕らえられて火責め、水責め、算木責めに遭い、或る者は死に、或る者は拷問の傷跡を身に残してようやく生き延びた。人間は時に途方もなく残酷になれるものだ。ふとアウシュビッツが思い出された。そんな回想を断ち切るように、

 「さっき行った中の浦教会の十字架が去年の台風で吹っ飛んで、私がそれを直したんですよ」

 私たちの運転手、堤田さんの声である。彼は中通島生え抜きの信者で、受洗は青砂ケ浦教会だが、現在は大曾に住んでいるという。

 「私の教会にも寄って下さいよ」
 という彼の言葉で、思い掛けず大曾教会に行くことになった。

 真手の浦教会を右手に見てしばらく行くと今里浦に出た。この浦にも遣唐使跡があり、その近くに平家塚と呼ばれているものがある。平家の落ち武者伝説が五島にまであったとは!追われる者への哀れさを誘う。(中略)

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