何ごとも、性格の悪さが、社会の変革を妨げています。
性格が悪いということと、
自分の利益を追求することとは違います。
自分の利益を飽くなく追い求める人は、人間関係を大切にしますし、先々の展望を持ちます。だから、付き合いやすいといえます。
私が彼にとって利用価値がないとしたら彼は付き合いませんし、向こうが接近したら、ある程度長期の関係を望んでいて、そこに理解や配慮があるからです。
ところが、性格が悪いとは…どういうことでしょう。
嫉妬心、攻撃欲、目先の楽をしたい…などが性格の悪さの原動力です。
『袁世凱之解剖』という、袁世凱を批判した本があります。そこに袁世凱の欠点として、「正しい人や才能がある人が嫌いです」という、身もふたもないことが書いてあります。
世界史の教科書の写真のような、スゴい迫力の、帝王になろうとした異人にしか、この心理がないかというと、普遍的にみられる心理だと思います。
「生意気だ」というアレです。
生意気というのは、身分差のようなものを前提としていますが、どうでしょうかね。
「勘違い」というのは、あります。バカ大学生のクセに、いっぱしの研究者のつもりになっているなど。傲慢もいます。
それらとは、根っこが違う心理だと思います。
たとえば、労働運動や社会運動など。
いいことを言うと、足を引っ張る者がいます。嫉妬を感じるからです。
看護師や保育士や叩き上げの刑事は、立派な人
しかし、医師や教師、官僚は悪人。
そう考える人が世間に多いのも、嫉妬心が原因です。
学歴も同じです。
私は学歴差別は、反対ですが、東大や京大の問題をみてください。詰め込みや暗記とは、まるで逆。ある科目の本質がわかる人は、「なんて簡単なんだ」と思う問題です。詰め込みが必要なのは、私立の××産業大学の方です。
また、自分と違うものは許せない…という心理があります。
女子高のスカートの丈も同じです。
スカートの丈と性非行は関係がないとは、専門家である先生が一番よく知っていると思います。非行少女の服装を正しても、頭の中身が変わらなければ無意味であるとも。
…今回の夫婦別姓の問題ですが、
あくまでも、選択制です。
一体、何の権利があって、同姓を他人に強制できるのでしょうか。。
しかし、他人の権利を擁護すると、「良いカッコしやがって…」という嫉妬の心理に駆られる輩が湧いて出るのですなあ。
しかも、明治までの日本は、別姓でした。
教養がないのは仕方がないとしても、これほどモノを知らないのに、偉そうに日本の伝統云々というのは、無知を通り越して、恥ずかしいというレベルです。。
それとも、自分と違うものは許せないという心理でしょうか。
■夫婦別姓訴訟で敗訴「何%の人が容認したら変わるのか」
(朝日新聞デジタル - 10月02日 19:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5811195
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