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2019年08月24日11:29

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8/23 ペトレンコ/BPh ルル組曲、ベト9

Berliner Philharmoniker
Kirill Petrenko Dirigent
Marlis Petersen Sopran
Elisabeth Kulman Mezzosopran
Benjamin Bruns Tenor
Kwangchul Youn Bass
Rundfunkchor Berlin Chor
Gijs Leenaars Chor-Einstudierung
Konzert zur Saisoneröffnung in Zusammenarbeit mit der Deutschen Bank
Alban Berg
Symphonische Stücke aus der Oper Lulu
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 9 d-Moll op. 125 mit dem Schlusschor über Schillers Ode »An die Freude«
Elisabeth Kulman Mezzosopran, Benjamin Bruns Tenor, Kwangchul Youn Bass, Rundfunkchor BerlinChor, Gijs Leenaars Chor-Einstudierung

来年のメモリアルイヤーを踏まえると、新音楽監督の門出がベト9というのは避けられぬ流れなのだろう。その分を前半で自己主張する、得意演目を持ってくる、というのは分かる。が、なぜルル組曲?自らの指揮者としての出自(ピアニストとしてはオムスク→フォアアルベルクだが指揮はウィーン音大だったはず)へのオマージュか。
実際、申し分のない出来だった。最初は若干上滑りしていたような印象だが、第一曲の中盤からはいつもの確かな掌握力。ここでは「静」のペトレンコ。パートを削ぎ落した末に見えてくる予想外の明滅。美しい。そして静か。珍しい16型(後半はいつもどおり14型だったので、作品の性質上なのかも)だが、ルル殺害の場を含めて耳をつんざくような音は無し。ひたすら繊細で、そして官能的。これくらい、とまではいかずとも、これに迫るくらいしっかりしたオケがあるオペラハウスでこの精度のルルを聴きたい。となるとメトかウィーン(新演出/新校訂に限る)位しかもはや残っていないわけだが…
ペーターゼンは、ちょっと時期を逸したか。悪いという気は無いが、ハンブルク他でこれを歌っていた頃の光はもはやないなあ、流石に。てかなんで2019/20になって彼女がアーティスト・イン・レジデンス。

後半は、途中まではドツボにはまる。これを軽いだの薄いだの煩いだの怒り出す人もいるだろうが、はまったときのペトレンコは、あらゆる反論を「素晴らしいから、別にそんなこといいじゃん」と黙らせる問答無用の説得力がある。F1に熱狂する人はこういう美的なスリルに囚われてるのか。第二楽章までは完全に彼のペースに呪縛。
しかし今日は残念ながら第三楽章でスピンアウト。説得力に、細部までの掌握力に、作品に内在するパルスに曖昧さが見えた瞬間、魔術がはがれていって、猪突猛進っぷりやせせこましさが鼻につく。といっても悪いとまでいうレベルではなく、あくまで一定水準を満たしたうえで、なのだが。第四楽章も挽回するほどの彫りの深さには至らず。

ただ、後半(の後半)は若干失速気味だったが、収穫は彼が最後まで彼のスタイルを守り通したこと。2002年の前任者就任時は、TV中継で見たマラ5はこれぞラトル!な熱くて鋭い切れ味だったが、その直後の演奏旅行でのブル9には、下手に「べるりんふぃるの監督」という枠に自らはまっていこうとする窮屈さを感じていた。その後彼がバーミンガム時代の魅力を失って「普通のスター指揮者」になっていったのはご存じのとおり。(もちろんAかBかの議論ではなく、実態はその両方だったのだろうが、「何でも振るスター指揮者」が「ハイドン以前とマーラー以後がストライクゾーンの天才」を駆逐していっているという印象はずっと持っていた)初日のペトレンコを見る限りその心配はなさそう。

次のベルリン来訪は年末のガーシュイン+バーンスタインプロ。おいおい大丈夫かというプログラミングだが、それに続いてベートーベン(P3)+スーク(アスラエル)。スークはあまり好みではないが、こういう攻めの姿勢は好きだ。



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