信仰薄きものにとってマントラは難しく感じていたが、
山崎弁栄聖者の念仏三昧に至るコツのひとつである霊恋が手助けになった。
恋人の名前を呼べば、
自然と容姿が脳裏に浮かび恋慕の情が強まるが如くする称名念仏。
瞑目しながら増長天のマントラを霊恋していると、
目前に青い光点が見えた瞬間、花のような甘いイイ匂いに包まれた。
「我、増長天と一体なり」
・・・・
山崎弁栄聖人は知っていても、
清沢満之という名前以外、殆ど知らないときに、
かって副住職を努めていた西方寺にお参りして、
百会がワサワサと感応し鳥肌が立った経験がある。
「阿弥陀様って本当に、存在するのか?」と。
浄土真宗には歎異抄を世に広めた清沢満之という
浄土真宗を光明主義という哲学に昇華させた革命者がいると、
西方寺にお参りした後に知った。
神道には、キリストの再来と謳われた黒住宗忠がいるように、
仏教にも、釈迦の再来と謳われた浄土宗光明主義の山崎弁栄がいる。
21歳で仏門に入り、24歳で三昧発得、その後も、
多くの人々を三昧発得に導いた弥陀合一の念仏聖者である。
(清沢満之と同年代の人だが偶然にも光明主義を提唱)
1883年生まれの肥田春充の時代背景や有名人を調べる過程で
20年ほど先に生まれた宗教的天才の両名の名は名前ぐらいは、
目にしてはいたが、最近まで念仏自体を迷信扱いし軽んじていた。
清水気功に対しても存在を知った当初は、龍使い等ら同様、
アンチ的感情を抱いていた。その程度からのスタート。
雷鳴による音霊法をメインにしていた時は、
百会のモソモソ感が強まった時、青い光点が見え始めたが、
最近は、百会のモソモソ感よりも早く青い光点が見えることも増えた。
光明主義によって光明を得ても病気、破産をしている信者さんの
例が出てくるが、心は弥陀の光明により外の事象に囚われず
安心を得て幸せを感じて感謝している人々の話として載せてある。
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