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2019年07月19日21:46

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【気功備忘録】念仏、念神、称名念仏


念仏に興味をもったのは阿弥陀経切っ掛けだったと思う。


当時、易陣風水にハマっており、方位の吉凶と実際の場所の
息をしやすい場所、息苦しい場所の比較を事あるごとに調べ、
明堂の取る位置の勉強をしており、場の改善法を模索中だった。


映画館と斎場はツバが飲み込めなくなるほど息苦しくなり、
風水の吉凶は、巒頭、方位の両方とも人体に影響するのを、
感じ取れるほど弱体化しているときだった。


長男が自殺し、しょうがなく住職になった次男坊が
阿弥陀経を唱えると場が、どんよりと淀み、
カメラのシャッターが切れなくなったり、
黒い靄がまとわりついたりとオカルト好きといっても、
窒息感が強くなり辟易していたのだが、


別のお寺の30代のお坊さんが唱える阿弥陀経は、
暗く重い場の空気を、明るく軽い空気に変えること
を感じ取った時は、青天の霹靂だった。



清水気功を通して奇跡をいくつか体験したが、
信仰心、畏敬の念の薄さをも自覚した。

神仏とのチューニングとして、
「山崎弁栄 弥陀合一の念仏」を題材にしてみた。


基本は、清水気功の三位一体のマントラ行。


三昧仏を前にして見仏を宣言。
縮小したEgボールを眉間に入れ、喉を震わせ、
三位一体で瞑目して眉間に響きを集める。

喉を震わせる練習として、
うがいの要領でハミングでマントラ。

ハミングの響きを手のひらや眉間などに移動練習。



百会のモワモワ感のあと、
眉間にブルーの発光、見えるも眉間のEgボールとズレる。


【初日の感想】
浄土宗の円具教光明主義の念仏は、
片思いから結婚に至るかのごとく、
目前にいる神に恋慕することで感応して、
内なる光を強く大きくして心を宇宙いっぱいに広げていく。

音霊法(雷音)と比べると集中力が必要となり、
信仰心薄きものは山崎弁栄の神仏を愛念する恋愛感情にて、
楽しむ心で、恋人の名を呼ぶ感情で・・・というのが、
止観から入我我入に入りやすいのかもと感じる。




【1ヶ月後の感想】
見仏は、まだ直感映像のレベルだが、
眠気の状態をキープして念仏していると目を閉じてるのか、
開けてるのか分からなくなるほど光を感じる時がある。

あれ?無意識に目を開けてたかな?と目を開けてみると暗闇、
ということがある。

【追記】

脳内で光を見るのみの場合なら、見仏を意識せず百会に響かせる方がよい。
普礼真言→三位一体のマントラ。念仏。念神。

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