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2019年04月27日19:40

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2ちゃんねる

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190427-00010000-bfj-sci&p=1

平成最後で、元管理人さんが何か話してる。
ひろゆきって人は特段凄い人だとはどの記事を見ても全く思わないけど
時流に乗った人だなとは毎回思う。で、責任を取らない人だなとも思う。

自分としては2chっていう遊び場所を作ってくれて、
それを無料で提供してくれたことへの感謝はあるし、
良くも悪くもネットの良い部分も悪い部分も勉強できたかなとも思う。

まぁ2chが無ければ、あめぞうなり、2編なり、したらばなりが台頭してて
それを使ってただけなんだろうから、さほどの感謝はしてないけれど。

2chを知ったのは1998年頃で大学のPC室で知ったから、
たぶん当時のネットユーザーの中では随分後発だったと思う。
当時はロビーって場所が活発で、今はtwitterで深爪って名前でやってる
電撃少女さんなんかのレスを楽しみに読んでた記憶。
ほとんどの固定ハンドルは雲散霧消してしまったんだろうけれど。

1998年〜2002年くらいの、自分が大学生だったころは
ネットって場所が恐ろしかった。自分の素性がバレてしまったら
どれだけ酷い事があるかわからない場所だった。
「もし自分の顔や名前がバレたら、家や親の会社や学校に
 ある事ない事誹謗中傷が舞い込んで、自分の人生は詰むかもしれない」
それくらいの事は当たり前のように思っていた。だから匿名で書き込んだ。

この匿名ってシステムと、ネットが怖い場所だという認識、利用者の少なさで
「日常生活と隔離された場所」としてのネットコミュニティがあった。
今からすると、あれはあの時期だけに存在した特別な空間だった。

自分の素性は隠したままで、けれど多くの人がどういう考え方を持っているのか
どういう意見を持っているのかを引き出して、それを楽しみたいと思ってた。
本当に自分が思っている事よりも過激な事を書いた方が反応が多かったり。

「今年の阪神をどう思う」と書くよりも「今年の阪神は史上最低の球団」くらいに
書いた方が憤る人も出てきたりして会話の母数が増えたりもする。
「同性愛についてどう思う」より「ホモは全員殺す」の方が会話の母数は増えた。
反応の多寡を楽しむ余裕が書く側にも、受ける側にもあった。
それは「日常生活と隔離された」って余裕が生んだものだったんだろうと思う。

けれどネットが発達して利用者が増えると、ネットは日常生活に近づいた。
当然の事だけれど、世間の常識に縛られるようにもなった。
「ホモは全員殺す」なんてのを具体的書いてしまえば犯罪予告で逮捕。
愉快犯であれ、意図的であれ、モラルに反する事を書く事も許されなくなった。

2002年くらいまでは警察にもログを渡さないみたいな方針だったと思うけど
そこらで2chは警察に協力的になった。あそこら辺で本当の匿名性は消えたし
「危険な遊び」はそこでやめておくべきだった。やめられなかった人は逮捕された。

深爪さんもツイートはちょいちょい見てるけど、やっぱり昔のような
ギラついたユーモアはあまり出して無くて、それでもあれだけのフォロワーを
楽しませてるわけで、本当に凄い人だなぁと思う。
池田小で宅間守が犯行をした後に、深爪さんが書いた、本当に酷い、
最低の言葉があったけれど、それでも未だにユーモアセンスも、
書き込まれたタイミングも含めて、あれが一番洗練されたギャグだとも思う。
ああいうのはもう、体験する事は出来ないんだろうな。

これはネットのありようが変わったって事で、仕方ない事だと思う。
facebookの登場で昔はあれほど恐れていた「本名と顔を出す」のが
当たり前になって来てすらいる。自分は未だにそれは拒否感が残っている。

2chに話を戻す。2chってのはユーザーは妙に運営を信用しているけれど
今に至ってもどういう運営なのかよくわからないところだ。
管理人はひろゆきさんで昔は「ひろゆきの個人サイト」って事になっていた。
一応のルールは存在している。けれど、あれはあくまで目安で。
不公平な事も多いサイトだった。

だから、どれだけ板が荒れても、削除人が動かないこともザラだった。
削除人自身が荒らしを行っていたなんて事もあったし、運営がIPを見ながら
利用者の書き込みを伝ってストーカーを働くなんて事もあった。
それは考えてみれば当たり前で、企業でもない、ヨソの目も入らない
ボランティアでやってる運営がマトモだと思うのがそもそも間違いなのだ。
そういう事に気付かせてくれたのも、これまた2chだったりする。
「嘘を嘘と見抜けない・・・」で始まる名言を残したひろゆきさんだけれど
結局はこの記事の後半にも出てくるように「嘘を嘘と見抜けずに」
他の会社に2chという母屋を取られてしまった。それもまた2chらしいとも思う。

電車男とか、のまネコ騒動だとかはまったく面白いとは思わなかった。
西鉄バスジャックはリアルタイムで本物のキチガイが出てきた緊迫感があったけど
電車男も、のまネコ騒動も完全に後ろにいるプロが透けて見えた。
電車男は電通とか新潮が全部準備してから始めた企画だったんだろうし。
のまネコもあれだけavexを2chユーザーは叩きながら、同時期にギコ猫を
韓国のゲーム会社に売ったりしてるわけで情報統制が半端なかった。
そういう2chとかブログとか「匿名臭いもの」を企業とか政治が利用する流れは
今にも続いていて、そういうのは自分はとても嫌いでウンザリもする。

特定企業の製品の悪口を書いて広告費を得るブログが露呈して、
「ステマ」って言葉は流行語にもなったけれど、ああいう動きは
ブログにも2chにも今は至る所に張り巡らされていて、
ネトウヨと呼ばれてる人の中にも、サヨクと呼ばれてる人の中にも、
双方に陰に生きるプロがいて、いろんな言葉を手繰ってるんだろうと思う。

インターネットで議論をするのが好きだった。
それはいろんな人の意見を知る事が出来るのが楽しかったし
自分の知らない意見であれば尚の事、興味深かった。
多い意見の中から自分の人生に取り入れるもの、入れないものを考えて
知らない価値観が生まれそうな言葉を投下するのが楽しかった。

だからネットで議論をする時に「論破」なんてものをするのが面白くなかった。
あくまでも自分も相手も「意見が変わり得る存在」であるからこそ
その時点での自分の価値観をぶつけ合って、知らない価値観を知って
互いを少しづつ認め合う部分が面白いんだと、自分は思う。

これは「最初から最後まで意見を変えられない」状態だと、出来ない。
仮に自分が特定宗教に所属していたり、企業に雇われていたり。
自分は絶対に保守だとか、革新だとか確定してしまっていると、出来ない。
ほんの少しでも相手を認める事が出来ない。論破するしかない。
相手の素性で揚げ足を取ったり、言葉の矛盾を突いたりするしかなくなる。

自分も相手も素性がわからない。かりそめの価値観と言葉だけが合って
それを交差させた結果、ほんの少し、新しい価値観を得て、認め合う。
そういうのが好きだった。まぁ、もうほとんど平成の遺物かもしれない。

2chが、というよりも、平成の最後にこれを書いておきたかった。
ネットに初めて触れてから20年。世の中も変わったなと思う。

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