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2019年04月02日07:54

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令和の典拠。そもそも、そんなに拘らなきゃいけない話なのかな

https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5563474

確かに、後漢代に活躍した張衡による『帰田賦』の一節「仲春令月、時和気清」が、「令和」元号の「典拠の典拠」のようだ。
しかし、他から影響を受けた文化を敢えて排除せずに自らの内に取り込んで、なお発展させるというのは、まさしく日本の真骨頂ではなかったか。これは、隣の大国お得意のパクリ文化とは根本的に違う。
その意味で、この元号は、漢籍に直截に依拠した元号よりも、遙かに「日本的な」元号だったと言えないか。

しかしながら、そもそも、典拠を日本独自の文典に求めなければならぬ、という拘泥ぶりが私には余り理解できないことでもあった。
日本のどんな文典に典拠を求めようと、漢字を使う限りは、いずれは中国に辿り着いてしまうものではないのかとも思うし。

毛沢東以降の中共には、私とて嫌悪しかないが、いにしえの中国には、鼻持ちならない中華思想が常に歴史の原型を形作ってはいるが、それでも、多士済々、十分魅力的だ。
日本が範とすべき文化や、刮目すべき思想・理念はたくさんあったと思う。
重耳や晏嬰、諸葛亮など人品秀でた偉人も多くいたし、易経 、四書五経は日本人の価値感形成にも無縁ではなかろう。
実際、大正、昭和は易経 四書五経を典拠としているが、それの何がいけないかという気がする。
日本が内に取り込んで発展させれば、それはもう日本独自のものとして昇華せしめることになるのではないか、などと考えるのである。

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