ダメな親や指導者には「作文」なるモノが単体で出来上がっているように見えるもののようですよね。あたかもお買い物のポイントが増えるように増やせるものだと錯覚することがあるみたいなのです。
「仕事がうまくなる」「給料が上がる」のと似ています。「作文がうまくなる」は。
全人格と人間総合力とが試される分野です。人格がダメなら作文はダメです。上達するはずがありません。煽り運転で有罪になったナニガシが、仮に文章テクニック的な修練をしたとして、人格はそのままに、裁判での陳述をいいものにしたと思えますか? 人格がダメなので正しい言葉を使おうが比喩がうまかろうがダメなものにしかならない。私はそう思います。
>「作文」の教え方がわからない
何をおっしゃるんですか! 作文こそ親の力が9割を占める分野ですよ。
テレビを見ていてもごはんを食べていても、人格は磨かれます。鈍くもできます。ぜひものの見方というものを伝授してやってほしいと願います。
ただし、本来の意味の上達ではなくて、骨格づくりや調整だったら、学校でも塾でもなんでも誰でも教えることはできます。めちゃくちゃな文章を書く子どもはたくさんいるので、めちゃくちゃではないというだけでよければ、万人に向上は可能です。わりと短期間で。
記事はどっちつかずですよね。
ほんとうに作文を上達させたいのならちょっと小手先の話が多すぎる。
かといって小手先の話をしたいにしては長期に渡って相当量の努力が必要なことに踏み込んでいる。
せめて分けて書かれていたのだったらよかったのに。と、英語で言うところの仮定法過去完了受動態で思うことですよー。
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■「作文力」は書く力よりも読む力。作文を上達させる3つの方法
(まぐまぐニュース! - 01月14日 19:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=5456255
算数などと違い「作文」の教え方がわからないという親御さんは多くいます。しかし、メルマガ『言葉の森 オンラインマガジン』では、作文を上達させる方法ははっきりしていると、3つの方法を教えてくれます。普通の勉強より時間もかかり、親の協力の仕方も少し違う3つの方法とはどんなものなのでしょうか。
作文力をつける第1、第2の方法
作文力をつけるのは、一般にかなり時間がかかります。算数や英語など、主に知識の勉強は、始めてからすぐに成果が上がり、3ヶ月も一生懸命やれば見違えるほどできるようになります。苦手だった科目が得意になるぐらいの大逆転の成果が出ることもあります。 ところが、作文の場合はそうではありません。上達することは、もちろん必ず上達しますが、普通の勉強よりもずっと時間がかかります。しかし、上達させる方法ははっきりしています。
第1は、事前の指導をしっかり行うことです。何をどのように書くかという指示をもとに、目標を持って書く練習をすることです。ただ漠然と作文を書いて、赤ペンの添削を受けただけでは、作文力はつきません。 例えば、学校から日記を書く宿題が出されたときも、ただその日にあったことを書くのではなく、たとえを入れて書くとか、会話を思い出して書くとか、「どうしてかというと」という理由がわかるように書くとかいう目標を決めて書く練習をするのです。
この事前の目標のひとつに、身近な人への取材というものがあります。作文に何かを書く場合、それと似た話を身近な両親に取材します。すると、そこで生まれる親子の対話の中で、題材力、語彙力、主題力がついてくるのです。
第2は、音読、暗唱、読書など、生活の中で自然にできる日本語の読み取りの練習をしていくことです。作文力の土台にあるのは、書く力よりもむしろ読む力です。
音読については、学校や塾でも取り上げられるようになってきましたが、やり方はまちまちです。音読に必要な文書は、やや難しい説明文的な文章にしていく必要があります。そして、2、3回読めばいいというのではなく、何度も繰り返して半ば暗唱できるぐらいまで読んでいくことが大切です。この音読の練習の延長に、暗唱があります。また、生活の中で、自然にできるのは読書です。日常生活の中で、毎日の習慣として無理なく行える勉強が、音読、暗唱、読書なのです。
第3は、作文をほかの人の前で発表する機会を作ることです。子供たちは、無機的なテストの点数で成長するのではなく、人間との関わりの中で成長していきます。小学校低学年のうちは、親や先生の励ましによって、小学校中学年からは友達との関わりの中で、作文の勉強に対する意欲を持ち続けていくようになります。だから、子供の作文を見たり聞いたりする機会があったら、親は必ずいいところを見て励ましてあげることが必要なのです。 作文力の本質は思考力です。小学生の間は、まだ「正しい書き方を身につける」という表記の練習が中心になりますが、そういう段階はすぐに終わります。中学生、高校生になると、上手な作文を書くためには、深く考える力が必要になります。だから、作文力の土台は、難しい文章を読み取る力になります。そのためには、小学生の間から読書に力を入れていく必要があります。
そして、読書力は、ただ何でも読めば身につくというものではありません。本人が好きなものを読むのが基本ですが、そこに、語彙と文章のレベルも考慮する必要があります。 作文力も同じです。ただ何でも書けば身につくというものではありません。やはり、それなりに努力する目標が必要です。そして、そういう目標があった方が、子供たちは作文に意欲的に取り組むようになるのです。
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(超耳)
>第3は、作文をほかの人の前で発表する機会を作ることです。
悪い方法じゃないんですけど、ハードル高すぎないですか?
大人の何割が、いや何パーセントが、もとい何パーミルが、人の前で作文を発表する機会をふんだんに持っていると言えるでしょう。大人でもスピーチだけは苦手でできれば逃げ出したいと考える人が大多数じゃないでしょうか。人の前で発表するのがさほど苦ではないという人にほとんど出会ったことがありません。
「手紙(電子メール・SNSでの交流含む)」と「日記」で十分に代替になりませんか?
私個人の体験では、その2つがたいへん勉強になりました。手紙も書いた書いた! SNSでも書いた書いた! 日記も書いた書いた!
>「どうしてかというと」という理由がわかるように書く
ここ重要ですよね。親御さんたちがうっかり間違えて言うじゃないですか、「学校でよく覚えてきなさい」と。「記憶に残すことが学びである」という誤解を与えますよね。
記憶ないし知識が最低限あるというのは前提でさ。根拠を示して意見を言うところからが学びの本分ですよね。仕事でいえば「仕事を覚える」のは前提で、覚えたことを実地で使うところが仕事の本分であるわけで。学びも似ています。作文はものすごく仕事に似ていますよね。
細かいところは放っておいて。
最後に「なぜ作文を書くのか?」という点に触れておこうと思います。
テストで必要だからとか、入試に課されるからとか、当人の言い分としてはやりたくないけど渋々やることなのかもしれません。
けれど作文を書いて読ませるという行為そのものを見たときに、当人がイヤイヤ書いたとか書けと強制されたとかは意味を持ちません。読み手には関わりがないことだからです。
どんなに幼い子どもでも。学びの途中の未熟な子どもや大人でも。勉強をサボり倒した成れの果てのダメ大人でも。やはり作文するからには「なぜ作文を書くのか?」という部分は譲らないものを持ってほしいと強く思います。
すべからく「自分が気づいた人間や社会の真実があり、他者に伝えようと思うから」であるべきだと私は考えます。
究極の作文である短歌や俳句にもそれは共通していると思います。
全宇宙で私だけが気づいたことがある。この気づきを伝えたい。残したい。そう思うから書くんですよね。
>「作文」の教え方がわからない
仕事が上手にできる子を作る要領ですよ! その観点で生活していれば作文なんか生きているあいだじゅう、生まれ続けるものなんです。道端の石ころを見てすら。
SNSでいいんで、子どもも大人も、作文したらいいですよー。
「なぜ作文を書くのか?」という点さえ譲らないなら、きっと上達もするし、読む価値がある作文になるんですよ。きっとね。
(その点を満たしていない作文が多いって? 子どもも大人も? うん、そうですよね! 読む価値ないですよね!)
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