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2018年08月19日12:25

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あの頃のモーターサイクル…

今や、レプリカを超えたハイパースポーツ全盛の時代!実用車など誰も見向きもしなくなってしまった。戦後、日本全土が焼け野原からの復興にかけ、国民全員が困窮した日々の生活からの脱却のために必死になって働いた!その中でモーターサイクルは人々の足となり力となって大活躍した時代があった。そんな時代背景を古い友人が語ってくれた。

(以下は、古い友人から送られた原稿を処理したものです。古き良き時代が偲ばれてくる文章です。ユックリとお読みください。)

交通法規が改正され警察で許可証をもらえば125ccまでのオートバイが乗れるようになった時代…。十指に余るほど数多くの125ccクラスのオートバイが売り出されていたから、当時中古車も多く存在し、新車の半値ほどでも買えるモノもあった。情熱だけは人一倍あるつもりでも財布の中身が人一倍軽い僕にとっては、フロントフォークの曲がったヤマグチを1万円で買うのがやっとのことだった。
 何しろ収入がひと月1万円くらいで下宿代を払うと残り僅かな生活費でやっとのこと生き延びている身だから、タクシーに追突した事故車を買って修理するしか方法がなかったから仕方ない。それでも身内にオートバイ屋がいて、事故車と言えども程度の良いモノやパーツが安く手に入れられたから、希薄な収入でもオートバイに乗ることができたのだ。この当時、17万円以上したベンリーのJCなど夢の又夢のような代物でもあった。
 正しくは、「山口モーターSP300」と言う125ccの実用車でも程度の良いモノは5万円くらいはしていたものだから、たとえ1万円の事故車でも手に入れられれば恵まれているほうで、その頃のツーリング仲間の多くは車体に仕事先の名前が書かれたモノばかりだった。自分が働いて手に入れた最初のオートバイが中古のポンコツだったからと言うわけでも無いだろうが、それ以来ポンコツのバイクとは一向に縁が切れていない。
 フロントフォークを新品に取り替えても追突した衝撃で狂った車体状況では、60km/h以上のスピードを出すとヨーイングを起こしひどく危険な代物になった。しかし、エンジンだけはすこぶる快調で、ヤマハのYA1に替えるまで山口の125には随分とお世話になった。
 この山口自転車で造ったオートバイには、ガスデンのエンジンが使用されていたが、富士自動車で製作されたこのエンジンは英国のビリヤースエンジンを手本にして開発されたモノで、低速トルク重視の設定がされていた。
 それは、言わば現代の軽トラックのような性格のオートバイだったが、当時の僕はそんなことも知らないものだから、スピードメーターの目盛りが80km/hまで示されているなら多分それくらいのスピードは出るのだろうとしか思っていなかった。右に曲がるクセのヤマグチで80km/h以上のスピードに挑戦していたのだから無謀としか言い用の無いものだった。
 エンジン:空冷2サイクル単気筒 排気量:121cc 最大出力:6hp/4,500rpm ミッション:3速 全長1980mm、全幅682mm、全高950mm、軸距1260mm、重量102kg…このロングストロークのエンジンを搭載したオートバイは、データーを見ただけでも現代のモノには到底比較にもならないひりょくであることが分かる。
 横浜郊外の畑の中に造られたばかりの直線道路で、夜明けに幾度かメーターに記されている80km/hに挑戦したことがある。空気抵抗を減らすために裸で乗ったり、フライングの姿勢でスロットルレバーを全開にしたが、どうしても70km/h以上のスピードが出ず…後は車体の重量を減らす以外に方法は無いと考え、余計なパーツを全て取り外している時に何気なく開いた自動車雑誌のページに、ヤマグチの125の最高速度が75km/h…と記されたカタログデーターが記載されていた。無駄な抵抗だったと気づくにはあまりにも遅かった!自分の考えの愚かさに気づいた日だった。この数日後に前輪のタイヤがパンクした。あの時に…愚かさのままに再度トライしていたなら今でも無事にいたかどうか分からない。今の様にヘルメットを着用するような時代ではなかったからだ。
 ホンダのベンリーとかヤマハのYA1などに比べると性能的には劣ってはいたが、丈夫なうえに価格が安く利用者の多いオートバイだった。いかにも実用車という雰囲気で、乗り馴れるにつれ気が引けるようになって行った。ラーメン代も惜しんで貯め込んだ金をつぎ込んでYA1を手に入れたら、意図も簡単に80km/hのスピードが出せ、正直な所…エンジンの差をしみじみと感じされられたものだった。
 ヤマグチに使われていたガスデンのエンジンは、SILK…とか他のオートバイにも使用されていた。そうしたオートバイに乗っていた仲間達もいつの間にかホンダやヤマハに乗り換えていた。荷物を運搬するために低速トルクを重視し、耐久性を求められて造られたヤマグチは実用車としては優れた性能を持っていた。スピードが遅い…と言う理由だけで見捨てられてしまうこととなったヤマグチだが、いくら乱暴に走り回っても最期まで一度の故障も無かった。
 あれから50年を過ぎた今でもヤマグチのオートバイは実働のままに残っているモノは多い。富士自動車から供給されたガスデンのエンジンを使用して、50ccから250ccツインまで様々なモデルを売り出し、また、ホダカ製の200ccエンジンを採用したヤマグチ800を造ったメーカーだが、ベストセラーはSP300を初めとする125ccモデルで、それはスーパー302型まで発展。地味ではあったがロングセラーのバイクでオールドファンには懐かしい存在として記憶に残っているはずだ。
 僕にとってヤマグチSPは、トコトコ走っていると…多分ホンダでおまけに付いていたのだろうが、赤いウインドブレーカーを着て追い抜いて行くライダーを唇を噛み締めて見送ったほろ苦い思い出のあるオートバイなのである。
 

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