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2018年07月16日16:50

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【死ぬ為の喧嘩戦闘さえ現在は楽しみの一種。】

屁理屈というのは
自分本位だとか、自分勝手だとか。
現実的もなくて、一般的もないもので

謎々だとか頓知とは知恵を絞った論客の話術としては上手な理屈になるんだ。

一休さんの理屈とは通る哲学や文学や雑学であるんだ。

一休さんは頓知術というのか処世術というか理屈的かつ知恵的な謎々問題であり知恵を絞れば、屁理屈でなくて処世話術であって相手の質問事項と自己の返答事項との利害一致が謎々だとか頓知であって非合理なものは全部屁理屈であり、相手を妥協させるのが頓知謎々である。

例えば、
〇〇がどうで
××を答えよ
とあり選択肢がない
場合では定まりのない返答としては、
哲学的と文学的として
合理的と道理的としては
屁理屈と謎解きとは違うものであり
屁理屈と大喜利とは違うもので
屁理屈とは学も教養もなく
自分の都合だけの
自分の返答なんて話にならない。

屁理屈を納得させたい場合。

頓知合戦での屁理屈VS屁理屈しかない。

そもそも頓知とは
屁理屈に対抗する返答なのである。

言い訳とは
言い逃れだ

正当性と
信憑性がないものが言い訳であってこそだ。

議題外れは
完全なる
屁理屈と言い訳であるんだけど?

一休さんの場合では
将軍側からの
頓知挑戦状の物語であって

【この橋(端)渡るべからず】とされてても
【渡るしかなくて】出した頓知返答こそが
【端(橋)じゃなくて中央線を歩いた】は
有名な屁理屈返しだ。

【絵の虎を捕まえてみせよ】が
頓知の屁理屈返しが
【捕まえるから絵の虎を出して下さい】だった。

屁理屈の挑戦状に勝つには
屁理屈返しが
知恵から絞り出されないとならないものだ。

一休さんは
知識や知恵は一流を超えた一流であるという訳だ。
一休さんは博識・博学であるのだからこその道理で
屁理屈返しの証明を易々軽々と屁理屈例題にするべきでないのだ。

それと一休さんは自分から屁理屈なんて言わない。

一休さんが
屁理屈に対応・適応
できるだけの知識・知恵がある。

禅問答
として
一問一答
という
合戦を
頓知でやっていたのが
屁理屈返しってだけなんだからな。

一休坊主は
一度も自分からは
屁理屈や禅問答や
頓知返答なんてしていないんだからな

屁理屈も立派な理屈こそが
正に詭弁・強弁であるんだ。

屁理屈が立派な理屈として通ったら
法律だったりとか
倫理だったりとか
必要がなくなってしまうし
世の中に凶悪で極悪なる者は
急増していって貧富の差がある
悪と善が誕生していく状態現象がある。

主水(もんど)さえも
大猿王さえも
心が貧しくて
病んでいるからこそにて
悪役にされてしまう奴らなんだよなあ?

世の中かわいそうな
バカアホは滅多に存在しなくて
バカアホとは
ゴミにもならない
糧にもならない
クズカスも数多であるんだ。

どうしようもない躾(しつけ)が
必要な奴は痛みという教育が必要不可欠であって

コンプレックスを
持っている奴は強いんだからな〜〜。

僕が空想の格闘技を
どうこうと大猿王は言うが 言論するよりも
証拠だとか証明であるんだ。

この福祉施設業界とは
利用者側にも
事業者側にも
戦場だからな
修羅場だからな。

マジで
大猿王が
作業仕事中の時間帯に
宇宙(そら)組に来たから何なの? って事であり

僕はミュート逃避でなくて
ミュート実験しただけであり
被験者とは
大猿王だけじゃないぞ?大猿王の場合では大猿王の解釈が変

ミュートしたけど逃避にされる訳か?
ミュート被験者とは大猿王だけじゃないぞ?

大猿王なんぞ
来ても
対談論破してやるし
対決勝利してやるけど?

大猿王が来たとされる証明写真を
スタッフに見せたら
開所以前あるいは
閉所以降であると推測されている。

写真をスタッフが鑑定する限りでは
出入口の引き戸の奥に
明かりがないという事である。

あと
うちの作業所は
知的障害の暴れん坊(トラブルメーカー)の集まりで

宇宙組は限度・極度の知的障害者の群衆なのに僕は暴動に走る障害者に対して 動じないし屈してない

今年四月頃からの新参者が一番狂暴であって暴動しに来ているだけにしか自分には思えない。

利用者側の中で一番あの新参者がちゃんと職務を果たせてない。


新参者の拳の打撃力はガラスを割り砕く程だが別に案じない

スタッフには言ってあるけれども新参者であれども利用者の誰であれども打撃戦が始まれば僕は知的障害あろうがなかろうが潰すので 中でも新参者には興味があるんだ。華奢な程度の身体能力で思いっきりパイプ机を薙ぎ倒したり、引きずり倒すからなあ〜〜。

一介の喧嘩師として ああいう自我が飛んで理性や知性でセルフコントロールできてない奴を叩き伏せてみたくて 血がたぎるんだよなあ?

僕を空想の格闘家と思うならかかって来いとマジ思うよ。

何を言論してもわからない連中には
証拠・証明として喧嘩戦闘するだけの話だ。
死ぬ為の喧嘩戦闘さえ現在は楽しみの一種。

死ぬ為に生きてた昔と、
生きる為に死なない今があるんだ。

喧嘩戦闘もできない、
あるいは
やった事がない奴が
僕に喧嘩腰で文句を言うなと思う。
礼儀作法さえ知らない法律や倫理さえ知らない。

熱血硬派な
喧嘩野郎に
喧嘩売る度胸と覚悟がある連中ならば 仮想現実の書き込みよりも社会現実の個人情報を晒して喧嘩戦闘しろよな。

僕の事を空想の格闘家という連中こそ
逆に誰かを殴った事もない
はっ倒した事もない
蹴り飛ばしたり、
蹴り踏み込んだ事が
ゼロな連中だろうな?

勝つのに鍛えるのは
筋肉などの身体能力じゃない。

まずは足腰強化だ。ダッシュだとか スライドだとか スキップだとか。つまりはボクシングスタイルは足腰が基盤となるし

中国武術ならば発声法と呼吸法が基盤となる。
中国武術ならば自律神経コントロールを覚えるべきだ。

僕の喧嘩殺法とは
ちゃんとした
科学と医学から
計算・計画が
立てられた技術であり
現実は物理現象を算出されており
精神は心理現象を読み解かれている訳なんだ。

物事すべて意味と価値があってこそで。 根拠に基づく状態現象によって自然の摂理があるんだよ。

余計な考えだとか
余計な悩みがある
人間達は誰も僕は倒せない。

地球救う為に体なら捨てている。

相手を負かすのに技なんて必要ない。

心ならば宇宙そのものが自分自身だ。

自分は
道具的言語学に基づいて
真剣に向き合って
話し合いしているのに
対して

相手は
遊具的言語学に基づいて
ユーモアだとか、アイロニーだとかって
ボケボケの態度姿勢にツッコミを入れる気になれないんだ。
ふざけた事しか
大猿王は言えない訳か?
真剣に話し合いを する気にもならないならば
最初から喧嘩腰だとか
茶化したりだとかするなって事だよ。 構ってちゃんを構える程にタイムリミット(時間制限)が不足しているんだよ。 時は金に変わる。時は力に変わる。
働いた分だけ 、鍛えた分だけ金と力と化しているんだよ。


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