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2018年03月30日12:21

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【実写版ビデオ】 霊はこの世の物質界を通過する 霊界否定に走っては行けない

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=500

私はとある悪党と電話で話をした時、その悪党は【宗教は大嘘つきだ。悪いことをすれば地獄に墜ちると人類を脅迫しているが地獄など存在しない。人は死ねば終わりだから、悪をしなければ損をする。怖いのは神ではなくて警察だ】と言います。
この悪党。別に神の存在を否定しているのではないのです。その悪党曰く。【神は俺達人間がすることに口を出すな。人間が困って神頼みに行った時だけ、神は人間を救っていればいいのだ】と、神の存在は認めているのです。
ただ、その頭の中にあるのは人は死ねば終わりの存在であり。死後の世界における神仏と呼ばれる存在は人間とは別の物だと思っているのです。こうしたことは、日本仏教界の某宗派でも寺が公然とそうしたことを檀徒達に言っています。

この悪党、一家揃って私の家に「生き霊」として来ましたので、肉体は霊的なことを否定していてもかなり霊力がある方と見ていました。その娘と来たら、数百体もの黒龍神を従えているとんでもない存在。スピリチュアル標榜者の比ではありませんでした。
私はその娘に従うその黒龍軍団に襲われてとんでもない目に遭いました。しかし、その悪党の過去世が解った時、なるほどと解りました。
その悪党の愛人で、その息子の嫁となった女性。どの霊能者からも二度と来ないでくださいとピシャリとやられる。だが、飛び抜けた千里眼の持ち主。そこで私の最初の師匠の元に案内したところ、その師匠すらも逃げてしまいました。豊受姫のお代をしている師匠が逃げるのですから、これもとんでもない存在。世の中には神からも霊能者からも恐れられてしまう人もあるのだと知ったしだいです。

この悪党、神代と呼ばれる時代から存在していて悪をして来た元来は神霊。生まれ変わったどの時代においても悪党。宗教が語る地獄ではないのですが、一種の地獄界とこの世との往復の「輪廻転生」を幾度も続けていたことが見えて来ました。元が神代の時代の神としての悪党ですから、筋金入りと言えます。
逆に言えば、創造神は悪神であった者も消すことなく人間界に出していたとなります。ただ、悪神はこの世に人として出してもらっても、更生しないと本来の神の世界には帰れないなのです。そこには何故、天帝は悪神達の横行を許しているかです。為に、邪神界の存在もあるなのです。
なお、私が言う【天帝】とは、大本教霊界物語で書かれた地の神界の主宰神であった「国常立尊」様のことではありません。また、その後の地位を襲ったとされる木星の神である「盤古大神」でもありません。もっと上の宇宙を統括している神の段階です。

この世は【魂】の修業場、修行場ゆえに悪も許される
悪無き世界は、真の【天国界】のみ

今、キリスト教社会でもあるアメリカで日曜日に教会のミサに通って来る信徒は約3割程度だと言われています。表向きはキリスト教徒でも、信仰心を持たない人が増えて来ているです。それを言えば日本人の大多数は仏教徒ですが、葬式や法要の時だけの仏教徒が増えているのと同じことです。

これだけ科学が発展して来ますと、科学では【実証】が出来ない神とか霊魂とかを持ち出されても、そうした存在を頭から信じがたいが起きます。目には見えない世界は否定されてしまいます。

神と呼ばれる存在は霊であり
通常の人の目には見えません

通常、人の目には神や霊は見えないので、どうしても死後の世界に生きる自分という存在が感覚的に掴めません。

人が自分が死んでも霊界で生きることを体験できるのは、俗に【幽体離脱】をした時になります。幽体離脱は脳のいたずらでも夢でもないのです。霊的体験なのです。
自分の肉体から抜けて行く自分の幽体を意識(魂)がそれを見る。そして、そこに壁や天井があるのにそこを通過して行く幽体の自分。そして上空に引き上げられて、時には【雲】の上にも乗るも起きます。

幽体だと、人の子が雲に乗ってやって来るも体験もできます。

聖書に【人の子が雲に乗ってやって来る】がありますが、幽体であれば雲の上に乗って孫悟空の筋斗雲(きんとうん)のように雲を操縦して走らせるもあります。どうして私にそんなことが言えるのかと言いますと、私が修業に入った頃、私の前に出て来ておられたのは霊能者の調べでは日蓮聖人の御分霊たる家系五代前の先祖霊と日蓮聖人のお弟子であった二方の霊でした。
その日蓮聖人のお弟子であった二方の霊の付き添いの元で、私が幽体離脱をして天井を突き抜けて雲に乗せられる体験をしたのです。その時の私の感覚は天井にぶつかるでした。しかし、天井も抜けていったのです。
私自身はそれまで私の魂が神界に飛んで行くことはありましたが、幽体(霊体)が自分の肉体から抜けて行く様はそれまで体験していなかったのです。俗に言う幽霊とは、肉体を失って霊界に入ったけれども、死んだことが自覚出来ずにさ迷っている状態と言えます。 自己の魂(意識)を飛ばして、別の場所に行っているのとは違った状況と言えます。

無論、魂たる意識はスピリチュアルの方達も言われるように、宇宙の彼方からこの地球を見つめて、ズームインしてこの地球のどこかに降り立つなどもあります。霊の世界は何もこの地球だけを見つめて縛られているのではありません。自分はプレアデス星だとかシリウス星とかオリオン星出身だと言われても、あながち嘘でもありません。宇宙の彼方からこの地球に降り立った。だが、それが何時の頃だったのかが思い出せないだけなのです。過去の記憶なのです。
人類は猿の一種から進化したとするのが現代科学と言えますが、霊学は違います。魂がそうした動物体に入って猿の一種を今の人間にと進化させたとなります。為に、宇宙人が遺伝子操作をして今の人間を創り上げたなどの説ともなるわけです。そこに、【神=宇宙人説】も出ますが、それら宇宙人は霊人であって本来の神とは言えないのです。

ただ、個々の魂からすると、この地球に降りたって宇宙の元の星に帰れなくなって、この地球上で【輪廻転生】の輪の中に入ってしまったと言うべきなのです。そこに、この地球は【魂の刑務所】とか、【天人の苗床】等の説も起きます。
そこに起きて来るのが【かぐや姫】の物語で、この地球で立派に育って、元の世界に戻る時には元の世界に帰って行くなのです。
ですから、他家(竹)に育てられた【竹取物語】なのです。自分を育ててくれた養親と別れるのは辛いけれども、自分の本当の「故郷」に帰ることを許してくださいです。

私は子供の頃、夜空を見て泣きました。【肉体の父母はやさしくて、自分を愛してくれている。その恩は山より高く海より深い。されど、自分は夜空に輝く星のどこからかこの地球に降り立った。その星には自分の魂の親が居る。その親が居る星に帰りたい】と泣きました。
すると、私に霊声が臨んだのです。それは【旧約聖書の神】と称する声でした。無論、その真偽は確かめようもないことですが、その声は私が任務を遂行しなければ、元の故郷星に帰って来る必要がないでした。この地球という星で【輪廻転生】をしていればいいと突き放した言い方をされたのです。
私に与えられていたのは【片道キップ】の旅だったのです。私もその任務を遂行しなければ、元の星には帰れない身なのです。

人は何故に死後の世界(霊界)の存在を信じられないのか?
それは三次元という物質界の概念が邪魔をするからです。

霊的世界を取り上げたテレビ番組で、よく「オーブ」と呼ばれるものが飛んでいる映像が映し出されます。しかし、テレビで放映されているものは壁などの物質を通過している映像はあまり見られません。
また、スピリチュアルでは「オーブ」を写真に撮ると、まるで神を写したように思っている方達があります。
こうしたオーブ写真は写真家からすると、ゴミや埃や水滴の類いと判断されてしまいます。確かに、ゴミや埃や水滴も「オーブ」のように撮れるのです。多くの出回っているオーブ写真は、ゴミや埃や水滴がカメラのフラッシュ光の関係で写ったものです。また、光のゴーストが多いのです。ほとんどのものは霊的写真ではありません。

そもそも、「オーブ」とは何ですか?。

オーブ(orb)は英語で、球、球体。そして、十字架付きの宝珠のことなのです。ところが、日本語では「玉響(たまゆら)」と訳されていたりします。では、【玉響(たまゆら)】はどこから来た言葉かです。この「玉響」は万葉集にあるのですが、草などにつく「露」のことです。
明らかに、日本語の「玉響(たまゆら)」はオーブが何かを知らない人がつけた誤った誤訳です。霊能者の間ではその霊的球体は「思念」とか「残留思念」とする方が多いと見受けられます。

魂とは、【玉形の思惟】で「玉思惟」と私は言っておりますが、「思念」も思いなので玉形なのです。ただ、魂と思念では同じように見えていても違います。思念は「念」たるエネルギーなので、時間と共に風化します。だが、魂は風化はしません。半永遠に生きる生命体と言えます。また、人の玉思惟は人の心臓に宿りますので、心臓程度の大きさになります。神霊とは、人の魂よりも遙かに大きな玉なのです。

これから出すのは「オーブ」が飛んでいる映像で、これまでのテレビで放映されたオーブも飛んではいますが、それらと違って壁を通過して来ている映像です。
もし、これがゴミや埃や水滴の類いであれば、壁の通過は物理的に出来ないのです。この存在は霊物質だから壁を通過しているのです。

https://www.youtube.com/watch?v=b7y_ISOFuNY

霊的世界に関わる言葉として【憑依】があります。憑依とは、この世を去って幽霊となって現れて来るような霊がそのままに懸かるなどもありますが、その多くはオーブに見られるような霊物が日常的に人には懸かっているのです。非常に小さな存在で私達の目には見えませんから、もしも懸かられていてもそれが解らないとなります。
しかし、この映像を見てもそれはゴミやチリや水滴の様に漂っているのではなく、明らかに【意思】を持って、【高速】で飛んでいると解ります。すなちわ、本来のオーブは意思を持っているのです。

日本の神社で神主が【祓い串】で祓っているのは、こうしたオーブに見られるような霊的チリや埃のようなものに対してです。 こうした物資界の壁を越えて飛んで来る存在として、X線や何々線と言われる物はありますが、こうして「オーブ」も物質界を越えて存在していることが解ります。 皆さんが死後に渡る世界は三次元物質界の概念では理解不可能なのです。科学万能で見誤ってはいけないのです。

では、複数の一流の霊能者から「オーブ」写真と判定された写物を参考に出します。この手の写真は今日まで出回っている本当のオーブ写真と別に変わりはありません。
ここに写っているオーブ玉は神霊の玉そのものではないのです。思念の玉とされます。ただ、こうしたオーブ玉が見える時にはその近くに神霊が存在しているので、その神霊が何神かの調査がなされたのです。この写真に写る方の守護神の調査です。その調査による守護神名は、複数の一流霊能者の答えが一致していました。当然にゴミや埃や水滴の類いとは違うのです。

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