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2018年02月02日11:29

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三千世界一度に開く梅の花の【梅の花とは?】

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=492

丹波の片田舎綾部(漢部)で発祥した大本教から出された「世の立替」に関して、大本教神諭に【三千世界一度に開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ】が出されました。予告と言えます。

それを受けて、大本教の基本宣伝歌に【三千世界の梅の花 一度に開く神の教(のり) 開いて散りて実を結ぶ 月日と地(つち)の恩を知れ この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)ふ 神が表に現はれて善と悪とを立別ける この世を造りし神直日(かむなおひ) 心も広き大直日 ただ何事も人の世は直日に見直せ聞直せ 身の過ちは宣り直せ】と歌われました。

この「艮(ウシトラ)」は、大本教神諭に【牛虎】もあるぞよとありますように、牛頭虎パンツの【鬼が云う】で解るように【魂】論なのです。
また、綾部藩の藩主であった元鳥羽藩で熊野別当家筋の【九鬼神道】では、【宇志採羅真神】ともしたように、宇宙の意志は【ラ(羅)を採るラ神論】を指します。
この綾部九鬼藩では【鬼は内、福は外】と徹底していました。大本教で出された節分の煎り豆で【国常立尊を追いやった】の逆と言えます。為に綾部藩の総氏神社である若宮神社では、今日も【節分祭】は行われていません。

さらに「神直日」とか「大直日」とは、正邪の判断する神の働きで、お釈迦様が悟られた【人には良心と呼ばれる神が内在する】の「良心」の神としての働きを意味します。
ただ、その「良心神」とは、ほとんどの人が考える単に【良い心】のことではないのです。各自の【魂の核として存在する天帝の直霊たる分霊】の働きと言えます。それを説明する為に、大本教から「節分の煎り豆にも花が咲く」などが出されたと言えます。節分の煎り豆で「鬼が云う」の【魂】論だと気づかないようでは、世に出ておられる神々はどうなっていたのかと言いたいところです。

【身の過ちは宣り直せ】は、単に「良い心」で宜り直せではないのです
常に自己を「悔い改める」反省の良心神が要求されるのです。

せっかく、大本教の出口喜三郎師に「喜」ではなくて「鬼」と名乗れと言った神の言葉の意味が理解されていなかったとなります。


そうした中で、私が「?」をしていたのは、【梅の花】でした。梅の花が咲いて、散りて実を結べば種が出来ます。その種の中の核のことを【天神様】と言います。これは梅の菅原道真公から来ているのでしょうが、菅原道真公が「天の神」その方など天地がひっくり返ってもあり得ないことです。また、その種の核のことを【仁】とも言います。
しかし、種の中の「仁」は別に【梅の種】だけの話ではありません。あらゆる果実の種に対しても言えることなのです。人の魂の核にも天帝の分魂が宿っているです。本来の天の神でも無い「菅原道真公」を出したところで、「梅の花」の神意が読み取れません。大本教で言ったことは「三千世界に一度に開く梅の花」だからです。
一般的に考えれば「梅」で【宇目】であり、梅に母の字があることから【産め】とも読めます。万物を生み出した存在です。

改めて【梅】を調べましたところ
梅の字は【某】を意味したものであり、神意を謀るでした

そこには「梅の花」の言葉に何かしらの「謀り事」が隠されていることが読み取れます。


私は白馬に乗り頭には官軍の指揮官を意味する獅子頭の被り物を着けて、「○十」の旗を掲げた白狐達を引き連れていた存在を霊的に見ました。
ところが、数日前にその白馬に乗った獅子頭の被りを着けた方の横に、新たに栗毛の馬に乗って赤の獅子頭を被った官軍の指揮官が居て、その赤の獅子頭を被った官軍の指揮官は馬から下りて、私に【これが最後の浄化の為の祓い】と言ったのです。

最後の浄化の為の祓い?

その方が着ている軍服とは、今で言うとお粗末な木綿のゴワゴワした黒地と言えます。薩長連合の官軍が着用していた軍服とは、生地としてはお粗末な物だったのですが、袴をはいていた徳川軍よりは行動力はズボンの方が遙かに勝れていたと思われます。
その赤の獅子頭を被った方と白の獅子頭を被った方の違いは、白の獅子頭を被った方は上物の陣羽織の着用ですが、赤の獅子頭を被った方は陣羽織を着用はしていませんでした。それは階級の違いと読み取れました。
私はその霊的スクリーンを見ていて、他に誰が居るのかと見渡すと、他に馬上姿の黒の獅子頭を被った方と青の獅子頭を被った方が見えます。白と赤と黒と青?。もしかすると、これは【五行】の意味であり、他に【黄色】の獅子頭を被った存在も居るのではないかと推察しました。

歌舞伎などの獅子頭の連獅子に秘められた意味は、
師たる獅子の父は、自分の子を険しい谷底に落とす。険しい谷底(この世の地獄)から自力で這い上がって来た子獅の子だけを我が子として認めるです。

だが、私はこれを中国の思想の【五行】に当てはめようとしているのではないのです。私自身が感じたのは、これは大本教神諭の【三千世界一度に開く梅の花】の梅の五弁を型としているのではないかです。

フォト



大本教の出口王仁三郎聖師は、【アオウエイ(アイウエオ)】の五母音によって宇宙は生育されたと述べておられます。
中国で語られた一つの物(太極)が【陰陽】に別れて、【火・水・木・金・土】の五つの元素から成り立つとするのが「五行思想」です。その五元素に色を配当したのが、火は赤(紅)、水は黒(玄)、木は青(緑)、金は白、土は黄の思想です。
されど、聖書に【初めに言葉は神と共にあった】とするように、大本教の出口王仁三郎聖師は宇宙はアオウエイ(アイウエオ)の言霊で生成されたと述べられたように、万物の創造は宇宙創造神の【音(言霊)】から成り立っています。中国の五行の概念には、その言霊が抜けていると言えます。

このアオウエイ(アイウエオ)の五大母音の各言霊と五色の配置は定かには解りませんが、「三千世界一度に開く梅の花」は、私達が見ている「梅の樹の花」とは関係が無かったのではないかです。
いくら梅の花を見ていても、【三千世界】とは結びつかなかったはずです。

中国の思想で説かれた【五行の元素論】であれば、「三千世界(全宇宙)」も意味として理解出来ます。

これは、 全宇宙(三千世界)に祓いが始まるとも言えます

ただ、それに対して悲観する必要は何もないのです。何故ならば、既に大本教の出口王仁三郎聖師は既に私達にあることを残してくれているからです。

それは【アオウエイ(アイウエオ)】の言霊を説いてくれているからです

しかし、【アオウエイ、アオウエイ】と唱えていれば、万事安泰などはあり得ません。アオウエイの言霊が自分の魂の汚れの祓いにつながり、自分の魂の力を強めるとしても、自分が邪悪であれば邪悪の力を強めます。魂の汚れを祓うことと自己の【魂を磨く】こととは別物と言えます。

天の祓いの力が強くなると、この世の自然現象が穏やかではなくて、当然に天変地異の作用も出て来ます。その自然の災害に善なる人も悪なる人も同じように巻き込まれてしまいます。
私は豊受姫から【貴方はその嵐の中を突破するだろうと】告げられましたが、実際には解りかねます。安穏としていて嵐を受けないなどあり得ないからです。その嵐がどれだけの期間続くのかさえ読めないからです。五年続くのか?。十年続くのか?。もっともっと続くのか?。

ただ、嵐が過ぎれば【みろくの世】が見えて来る

私は修業時代、この【アオウエイ】の言霊を唱えていて、聖書に記載される【初めに言葉は神と共にあった】を見ました。そこから、【神は言葉で示し申す】の漢字で言葉は仕組まれていることに気づいたのです。

それは単に【アオウエイ】と言うのはなくて、私がこれまでHPで開示して来た言霊発生方の上げ方からです。大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子の方を師匠とした孫弟子の方を、私が2番目の師匠として言霊の上げ方を教わったなのです。


アオウエイの言霊の発生練習は、神言会としてYouTubeにあげていますので、再度紹介します。
なお、その場面で鳴っている太鼓の音色は、故人の鈴木雄詞師によれば天から降りた【みろく太鼓】の叩き方とのことです。
この太鼓の音で、自分に降りかかっていた霊障が和らいだ方もいます。

https://www.youtube.com/watch?v=AwrVfk3ZyEY
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