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2017年06月30日16:05

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2308日目からのツヅキ・・・天目一箇神=唐傘一本足のお化け

 ↓↑   ↓↑ ↓↑
    で、婿養子として
    拒否された男は・・・「須佐之男」
     or
    「天之日矛=日桙=天日槍命
     天日桙命=海檜槍」で
    「阿加流比売=倭人・日本人←阿毎の姫?」
     にフラれた・・・比売(姫)は
     難波へ向い
     難波の比売碁曾(ひめごそ)社の祭神となった
 ↓↑   ↓↑ ↓↑         
    「新羅(前57年〜935年)
     朝鮮半島南東部にあった国」の皇子
    「新羅」=503年に正式国号
     新羅、高句麗、百済が鼎立
     7世紀中ごろ朝鮮半島統一
     内乱や飢饉で弱体化させ
    「高麗」に降伏し、滅亡した・・・
    高麗王朝
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
    高麗(918年〜1392年)
    918年
    王建(太祖)が建国
    936年に朝鮮半島の
    後三国を統一
    1392年の
    李氏朝鮮建国まで続いた
    首都は開京
    高麗の領土は
    朝鮮半島
    元山市や 鴨緑江まで
    高麗(Korea・Corée)の文物
    高麗青磁
    高麗八萬大蔵経
    等
    1234年
    銅活字の
    青銅製の活字が作られ
    1377年
    直指心体要節
    世界最古の
    金属活字での出版
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    弓裔(キュウエイ)
    後三国時代の群雄
    後高句麗の建国者
    姓は金→金王朝=清国=女真(女直)→鮮卑
           =燕王朝=渤海=満州=高句麗→高麗
 ↓↑ ↓↑  愛新覚羅
       (アイシンギョロ)
 ↓↑ ↓↑  アイシンカクラ・・・阿意晋掛句等?
    僧号は善宗
    隻眼で
    一目大王・・・天目一箇神=一目連神=一目一足
           天目山=元は木賊山(とくさやま)
               山梨県甲州市
               大和町木賊
               大和町田野
               にある峠の山
               天正十年三月十一日
              (1582年4月3日)
               武田勝頼の滅亡の地
               棲雲寺(栖雲寺)がある
              =浙江省北西部、安徽省との
               省境付近を南西〜北東方向に
               走る山地・東天目山と西天目山
               最高点は西天目山の竜王山
           唐傘小僧=傘(からかさ)の妖怪
           唐傘一本足のお化け
           江戸時代以後に登場・・・
           アメ(雨)の降らない時は閉じる
    の別称・・・・一ツ目小僧=唐傘の一目一足になる
           天目茶碗=中国宋代に浙江省
           天目山の禅院で使用され
           福建省建陽県水吉鎮の建窯などで
           造られた鉄質黒釉の茶碗
フォト

    新羅の
    第47代憲安王
    或いは
    48代景文王(憲安王の婿)
    の側室の子・・・
 ↓↑ 901年
    自らを王を称し
    後高句麗を建国
    開城に遷都
    国号を高句麗とし
    904年
    国号を
    摩震(摩訶震旦の略)に改め
    年号を
    武泰と定めた
    905年
    鉄円(江原道鉄原郡)に遷都
    911年
    国号を
    泰封に改め
    年号を
    水徳万歳
    と定めた
    弓裔は自らを
    弥勒菩薩と自称
    918年
   「易姓革命」で
    侍中であり有力な部下であった
    王建に追放され、殺害された・・・
    王建(太祖)が
    高麗王朝を建国し
    936年に朝鮮半島の
    後三国を統一
 ↓↑     ↓↑ ↓↑                 
       「烏桓=烏丸=鴉満留←高句麗←金(満州)
        ↓↑
        女真(ジュルチン)←渤海国(靺鞨族)
            渤海滅亡後、遼王朝に服属
        ↓↑ 
       「三本足のカラス」?
       それでも
       案山子は「藁で束ねても男は男」→腐ってもタイ?
       ・・・寝言を云っている間にタイを喰って腹痛?
 ↓↑      ↓↑ ↓↑
       足=あし・たり・ソク=葦(蘆)・垂り・促(即)
         脚肢・多利・速則
       足=頭領・大王・天皇・盗賊の首領
         ・・・鎌足=金を兼ねる足(たり)?
 ↓↑      ↓↑ ↓↑
     「足=たらし=垂し・あし=阿史=阿毎」
      第六代孝安天皇
      日本-足-彦国押人
     (やまとたらしひこくにおしひと)
      第十二代景行天皇
      大-足-彦忍代別
     (おおたらしひこおしろわけ)
      第十三代成務天皇
      稚-足-彦
     (わかたらしひこ)
      第十四代仲哀天皇
      足-仲彦
     (たらしなかつひこ)
      ↓↑
      足羽山(あすわやま)の
      第二十六代継体天皇・・・足柄山の金太郎?
      男大迹王
     (をほどのおおきみ)
      ↓↑
      第三十四代舒明天皇
      息長-足-日広額
     (おきながたらしひひろぬか)
      第三十五代=三十七代
      皇極天皇=斉明天皇
      天豊財重日-足-姫
     (あめとよたからいかしひたらしひめ)
    ↓↑     ↓↑
    桓武天皇・・・桓=marking post
    ↓↑       たけしい・めぐる・うれえる
             カン・ガン
            =郵亭(宿場)のしるしとして
             宿場の周りにたてた木
             棺を墓穴に降ろすため四隅に立てる柱
          烏桓(呉音:ウガン・漢音:オカン
             拼音: Wūhuán)
            =紀元前1世紀〜紀元後3世紀
             中国北部(内モンゴル自治区)
             に存在し民族
    ↓↑      「烏丸」とも表記
    光仁天皇の第一皇子
    794年平安京に遷都
 ↓↑ 坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣
 で実務官僚
 山背国葛野郡宇太村
 を選んで
 平安遷都の建設を進言し
 延暦十二年(793年)
 造営大夫
 ↓↑
 備前国
 藤野郡(岡山県和気町)出身
 神護景雲三年(769年)七月頃
 宇佐の神官を兼ねていた
 大宰府の主神(かんつかさ)
 中 臣  習宜 阿曾麻呂
(なかとみのすげのあそまろ)
 が宇佐八幡神の神託として、
 天皇が寵愛を与えていた
 道鏡を皇位に就かせれば
 天下太平になると
 称徳天皇へ奏上
 道鏡はこれを信じ
 皇位に就くことを望む
 ↓↑
 称徳天皇は側近の尼僧
 和気広虫(法均尼)・・・和気の広い虫(むし)
             訳 のマダレのムの中のム?
 を召そうとしたが、
 虚弱な法均では
 長旅は堪えられぬため、
 弟の清麻呂を召し、
 姉に代わって
 宇佐八幡の神託を確認するよう、命じる
 清麻呂は天皇の勅使として八幡宮に参宮
 宝物を奉り宣命の文を読もうとした時
 神が禰宜の
  辛 嶋  勝  与曽女・・・・・よそ目=余所目
 (からしまのすぐりよそめ)
          よそ目=よそから見たところ・はたの見る目
              よそみ・余所目をはばかる
              よそのことのように見る
              傍観する
              第三者の目で観る・客観的な目
              第三者的視点・客観的視点
              世間の目・他者の目・他人の目
              他人の視線
 に託宣、
 宣命を訊くことを拒む・・拒む
 清麻呂は不審を抱き、
 改めて
 与曽女に
 宣命を訊くことを願い出て、
 与曽女が再び神に顕現を願うと、
 身の丈三丈、
 9mの僧形の大神が出現し
 大神は
 再度宣命を
 訊くことを拒むが・・・・拒む
 清麻呂は
 与曽女とともに
 大神の神託、・・・・・・拒まれたのだから
            「神託」は無かった?
 ↓↑
 「天の日継は必ず
  帝の氏を継がしめむ。
  無道の人(道鏡)は
  宜しく早く掃い除くべし」
 ↓↑
 を朝廷に持ち帰り
 称徳天皇へ報告
 (宇佐八幡宮神託事件
  神護景雲三年(769)九月二十五日)
 清麻呂の報告を聞いた
 称徳天皇は怒り、
 清麻呂を
 因幡員外介にいったん左遷
 さらに
  別 部  穢  麻呂
 (わけべ の きたなまろ)
 と改名させ
 大隅国(鹿児島県)に流刑
 神護景雲三年十月一日(769年11月7日)
 称徳天皇が詔を発し
 道鏡に皇位は継がせないと宣言し
 事件が決着した・・・?
 ↓↑
 神護景雲四年(770年)八月
 称徳天皇は崩御
 道鏡は失脚
 清麻呂は
 光仁天皇により
 従五位下に復位
 後、
 播磨・豊前の国司を歴任
 美作・備前両国の国造に任じられた
 延暦四年(785年)
 神崎川
 と
 淀川
 を直結させる工事
 平安京方面への物流路を確保し
 延暦七年(788年)
 23万人余を投じ
 上町台地を開削し
 大和川を直接
 大阪湾に流し
 水害を防ごうと
 工事を行ったが
 費用がかさんで失敗
 清麻呂は
 桓武朝で実務官僚として重用
 山背国葛野郡宇太村
 を選んで
 平安遷都の建設を進言
 延暦十二年(793年)
 自ら造営大夫として尽力
 延暦五年(786年)
 民部卿として
 民部大輔の
 菅野真道
 とともに庶政の刷新にあたった
 桓武天皇の勅命により
 天皇の母
 高野新笠・・・「高野の新笠」って名前か?
            新笠=立木斤竹立
         720年頃生〜延暦八年十二月二十八日
               (790年1月21日)
         父は高野乙継(和乙継)・・・和の乙の継ぎ
         母は大枝真妹(土師真妹)・・・大枝=大江
         ↓↑大江音人は備中権介・大枝本主の嫡男
         光仁天皇の宮人、後に夫人
         桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母
         桓武天皇の即位後、皇太夫人
         薨去後、贈皇太后、贈太皇太后
         諡号は
         天高知日之姫尊
 の出身氏族
 和氏の系譜を編纂・・・「和」氏の系譜とはナニ?→「倭」氏
 和氏譜として撰上
 子の広世・真綱
 らは、父の没後に
 官人として活躍
 広世は最澄を招聘し
 高雄(たかお)の
 法華会(ほっけえ)を開き、
 天皇へ最澄を斡旋して勅を蒙り、
 唐へ留学させ、
 五男・真綱と
 六男・仲世は
 高雄山で
 最澄と共に
 空海から密教の灌頂を受け
 仏法に帰依
 姉の
 和気広虫(法均尼)・・・和気清麻呂の姉
 は夫
 葛城戸主(かつらぎのへぬし)
 とともに、
 孤児救済事業・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・アメの降らない時も差す・・・parasol→葉等素留・・・ハライソ(paraiso)・・・
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