【回答】
民衆からは喝采を浴びた一方,儒学者の間では彼らの行動は論議を呼んだ.
室鳩巣は,「敵讐とは共に天を戴かず」とする道徳に適ったものだとして,大石らの行動を「義」とした.
林羅山を始祖とする林家の儒者も,基本的にはこれと同じ見方だった.
例えば林鳳岡は「義士」達が主君の讐を討つのは儒教的道義に適うとした.
これに対し,山崎闇斎に学んだ佐藤直方は,事件は一方的な浅野の軽挙から起こったものであり,吉良義央を浅野側の讐敵と考えることはできないと論じた.
そして,双方の喧嘩から事が始まったという世間一般の見方が,そもそも誤りであるとした.
太宰春台も,吉良を浅野の讐敵と見なすこと自体が不当であるとし,大石らが讐敵と見なすべき相手を強いて挙げるなら,それは「当を過ぎて」浅野に切腹を命じた幕府がそれに相当すると述べた.
そして,大石らは城を背に,「当を過ぎ」た処分を課した幕府を一戦を交えて死ぬべきだった,とした.
荻生徂徠は幕府への献策書『徂徠擬律書』において,あくまでも「統治に責任を負う者は,どう考えるべきか」という視点から問題を論じ,まず「義」と「法」とを区別すべきだとした.
そして,「法」の立場から見れば,大石らの「義」も,せんじ詰めれば自分達だけの狭い「義」であり,狭い「義」のために「法」の問題を曖昧にすることは,統治の責任を放棄することになってしまうと論じた.
また,徂徠は『四十七士の事を論ず』においては,吉良を「君の仇」と考えるのは誤りだとし,浅野は吉良に一方的に仕掛けたものであって,吉良と浅野の喧嘩であるとの見方も誤りとした.
よって大石らの行為は「君の邪志」を継いだだけだと論じた.
幕閣の中でも助命論,切腹論,磔獄門論などが噴出し,評定衆に至っては,
・赤穂浪士は忠義の士であるからいずれ赦免すべき
・吉良家臣の中で戦わなかった者を斬罪にすべき
・実父の危機に対して何もしなかった上杉綱憲は,領地を召し上げて改易にすべき
という意見書を出している.
この事件で一番割を食ったのは,もしかすると上杉家だったのかもしれない.
【参考ページ】
田尻祐一郎『荻生徂徠』(明徳出版社,2008),p.24-35
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/167/
http://1950rekisi.blog.so-net.ne.jp/2014-07-06-6
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/32943/20141016191950588753/Fukuyama-ChutoKyoiku-KenkyuKiyo_47_103.pdf
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