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2016年07月08日16:29

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【動物愛護】感情をコントロールできない人間に動物愛護はできない

飼い主を最期の時まで信じながら、ガス室で死んでいく犬たちの現実
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=4082600


こういった「感情的な読み物」は、よく売れる。
その上、共感原理でそれが事実だと信じこむアホウがうじゃうじゃ増える。

もちろん、こういった「感情的なプロパガンダ」は、
愚民を動かすのにもっとも効果的な手段だから、
  *ヒトラーの情感たっぷりな演説もそういうことだ
PETAやANIMALRIGHTS系の『動物愛護業者』は、
ことさらにバカな兵隊を養うためにこの手を使いまくる。
毛皮反対キャンペーンの大ウソである「生剥伝説」がその典型だ。
彼らは、自ら中国で頼み込んで「生剥ドキュメンタリー」を作り、
それで「こんなに残酷だ!」と感情的に煽るのである。

まったく……女の書く本だなと。
女脳がほしいのは「共感性」だから、
客観的な事実や分析を欲してはいない。

簡単にいうと、

   「残酷だよね残酷だよね!可哀想だよね!」
   「やめなきゃいけないよね」
   「ペットショップのせいだよね」

と言い続けたいのであって、

   「いや、しかし、悪いのはペットショップじゃないぞ」
   「そもそも殺処分は悪じゃない」
   「じゃあお前は、毎日肉や魚を食ってなんとも思わないのか?」

という男脳にありがちな「共感を否定する態度」をとられると、
「そんなことを言っているんじゃない!!」とキレまくるのが一般的だ。
   *本当は、「そんなことを期待しているんじゃない」のだが……

愛誤に「女が多い」のは、女の脳の特徴である「共感原理」の影響が強いからだ。
もちろん、男にだって「共感性」に支配されたがる人間はいっぱいいて、
そういう奴らは最後には「理屈じゃない」と言い出す。
そう、「愛誤は理屈ではない」
だから、基本的にマトモな対話ができない。
アメリカ人と捕鯨問題を話すように。

     猫  犬  ブタ  蟹座



フォト


これは、かなり前に撮ったコビトカバ。

この写真を見て、こいつは何を考えていると思う?
わかるわけないよね。
イヌよりはちょいと賢いコビトカバ。
それでも、動物の表情筋ってそんなにないし、
感情的なものもほとんどが「快、不快」程度で、
それによって、
威嚇、怯え、興奮などの内面的な影響が、
表情というより「行為に現れる」に過ぎない。

もしあなたが、イヌの顔を見れば何がいいたのか細かくわかる!というのだとしたら、
ば〜〜かと言い切るでしょうね。
恐怖心や恐れ、興奮には典型的な表情の変化があって、これは誰にでもわかる。
(むしろ、わかると言っているやつほどその程度もわからなかったりする。
 きっと、テレパシーの人なんだろう。
 ジャックマイヨールも、イルカとはテレパシーで話していたうれしい顔
「エサがほしい」とかその程度ですら、表情以外の行動がなければわからないです。


>犬たちが、最期の時まで飼い主を信じていることは、
>掲載された多数の犬たちの写真を見ればよくわかる。
>その瞳はどれもまっすぐに澄み、曇りなく輝いている。
>疑うことを知らない瞳だ。

これ、普通にそこいらの家で「幸せに飼われているイヌ」の写真を持ってきて、
「殺処分直前の飼い主を待つイヌ」とキャプションをつければ、
あら不思議、そういう風に見えてきちゃうって話。

フォト

『アフリカから連れてこられたばかりで故郷を思うコビトカバ』

       *実際は動物園生まれ

どうよ?

見ているものをそのまま判断しているのではなく、
「自分の都合」「自分の思い」で見ているだけ。

>犬たちが、最期の時まで飼い主を信じていることは、
>掲載された多数の犬たちの写真を見ればよくわかる。
>その瞳はどれもまっすぐに澄み、曇りなく輝いている。
>疑うことを知らない瞳だ。

というのは、
「この犬たちは飼い主を信じている」
「この犬たちは、清らかである」
「この犬たちは、賢い」
などの『こうであって欲しい』という自分の意志が投影されて、
そう見えているだけにすぎない。

イヌはイヌである。

イヌの思考はあまり論理的ではないし、
特に、一時記憶はほとんど覚えていない。
だから、ちょっと前の事になるとその因果性を理解できなくなってしまう。
逆にその程度の脳だから、
社会性動物として「群の順位や仲間」は、はっきりと覚えるけどね。
だからといって、飼い主を慕っているかどうかは別。


ペットショップを叩く頭の悪い人、
愛護業者のプロパガンダを信じているバカは多いけど、
事実としては、
「殺処分とペットショップはあまり関係がない」

まず、イヌの殺処分が激減しているのは、
イヌの飼育管理が厳しくなっているからです。
仔犬が落ちていることも殆ど無いでしょ?
  *田舎にはいまだにイヌを放し飼いするアホウもたまにいるし、
   非登録の上、避妊去勢しないで飼う飼い主はけっこう多い。
ペットショップで売っている個体だって、ピンキリだけど、
今は、業者として処分できないので、
きちんとした高価なペットを売る傾向になっています。
それらで、殺処分されることはあまりないです。
ある程度きちんと飼われているし、
なによりワクチンや避妊去勢などがちゃんとしている。
仮に何かの事情で保健所に来たにせよ、
飼い主に戻るか、よほど高齢でもない限りどこかに貰われやすくなる。
  *ときどき、登録されているはずのイヌが迷子で捕獲されるのだけれど、
   なんで持ち主に戻らないのか不思議。
   あれって、警察がダメなのかね?遺失物届けは出ているのに。

今、激増している殺処分されるネコは「ノラが繁殖して迷惑になっている」分だし、
イヌにおいても、「所有者がわからない」個体がほとんどです。

だから、殺処分をなくしたければ、
「ペットショップがーがーがー」なんてバカなこと言っていないで、

   1、イヌもネコも完全登録制
   2、個体識別コードを埋め込む
   3、放獣した場合は罰金
   4、ペット税

これで10年もすればほぼ完全になくなる。
あとは、ノラの餌やりは全てにおいて禁止。
  *野生動物にエサをやるのは、よほど保護しないといけない種以外は、
   悪いことしかありません。


それでも、ゼロにはならないけどね。
ついでにいっとくと、ドイツは殺処分ゼロとか完全な嘘ですよ。
ティアハイムでも普通に安楽死にしているし。
ヨーロッパのいわゆるペット先進国は、どの国でも日本より殺してます。
日本はそれを公的機関が、ちゃんとやっているだけ。

今年は、ツキノワグマの被害は大きくなっているけれど、
実際に、シカ、サル、イノシシなども激増していて、
駆除頭数はイヌネコの殺処分どころじゃありません。
それでも増えている。

ネズミが増えたら、困るでしょ?

仮にイヌネコが、そこらで増えていたらどうするのさ?
誰かがちゃんと飼えばいいけどね。
でも、普通に試算しても「きちんと生涯ゆとりを持って飼える家庭」以上の頭数が、
今飼われているんだよね。

そのことも含めて、

  「飼う側のハードルを高くする」

これが最もまともな、動物愛護の方法だと思うぞ。




   











◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

飼い主を最期の時まで信じながら、ガス室で死んでいく犬たちの現実
2016年07月08日 06:32 ダ・ヴィンチニュース

 本書を読みながら、何度も泣いた。涙ぐむのではなく、子どものように涙を流した。人を疑うことを知らない犬たちのまっすぐな瞳と、それをおもちゃのように扱い、ゴミのように捨てていく感情の壊れた人間たちのコントラストが凄まじく、激しく心を揺さぶられた。 ペットを飼うとは、どういうことか。ただかわいく、何となく側に置いて楽しむおもちゃだと思ってはいないか。自分の都合を中心に据えるのではなく、「ペットの幸せ」を優先して考えられているか。――そんな、当たり前なのに見落としがちな「ペットと人との関係」について、深くリアルにえぐった本が『犬たちをおくる日——この命、灰になるために生まれてきたんじゃない』(今西乃子/金の星社)だ。愛媛県動物愛護センターで働く職員の毎日の業務を中心に描きながら、その中でペットたちの命がどのように人間に扱われ、人はペットの命とどう向き合うべきかをまっすぐに読者に訴えかける本である。

 愛媛県動物愛護センター。県内の野犬や飼えなくなった犬・ネコ、保護された子犬、子猫などがここへ集められる。譲渡会により飼い主が見つからなかった命は、全てここで殺処分されることになる。獣医師の資格を持ちながら、殺すことを仕事にしなければならない職員。動物たちの最期がせめて安らかであるよう、黙々と収容室の床を磨き上げる職員。週に2回、殺処分のために処分機へ誘導された犬たちへ向けてガス注入ボタンを押し、その命が消える瞬間をモニターで見つめる。どんな作業も、ボタンひとつで終わる。

 飼育放棄をしてセンターにペットを連れて来る人間の理由はどれも勝手極まりない。世話ができない、しつけができない、飽きた、バカだから――。そして、これまで飼ってきた犬をゴミのように収容室へ放り込んでいく。ある親子は、一度捨てた犬と記念写真を撮るためだけにセンターへやって来て、悲しそうな犬に明るく手を振りながら帰っていく。犬たちは、それでも飼い主が再び自分を迎えに来てくれると信じている。ガス室で息絶えるその瞬間まで。

 犬たちが、最期の時まで飼い主を信じていることは、掲載された多数の犬たちの写真を見ればよくわかる。その瞳はどれもまっすぐに澄み、曇りなく輝いている。疑うことを知らない瞳だ。殺処分された犬たちの顔も、恨みに歪んだものではないという。それはまるで、最期の時まで信じることが苦しまない方法だと知っているかのようだ。本書には、殺処分されていく犬たちの様子も包み隠さずリアルに描写される。軽い気持ちで飼い、無責任に捨てていく人間の罪がどれだけ深いものかを思わずにはいられない。

 愛媛県動物愛護センターでは、捨てられるペットを減らすための啓発活動を県民に向けて行っている。センターの業務内容をオープンにし、譲渡会では殺処分される犬たちの様子をビデオで参加者へ見せる。また、ペットのしつけなどの相談に応じ、避妊・去勢手術の重要性を広めるなど、職員のさまざまな努力により、処分される犬の頭数は減少しつつあるという。

 ペットショップに並ぶ可愛い子犬や子猫達。あくまで表面的に、可愛いペットと暮らしてみませんか?という明るい空気で満たされている。しかし、ペットショップをこのひたすら明るい空気で満たすことは間違いだ。愛護センターが譲渡会でビデオを見せるように、飼えなくなったペットがどんな最期を迎えるのかを、人間は飼い始める前に知っていなくてはならない。必要とされない命がどう扱われるのか、よく理解してからでなければ、命を預かってはいけないのだ。

 ペットを飼うとはどういうことか。命を幸せにするとはどういうことか。――そんなことを、深く痛切に感じさせてくれる一冊である。

文=あおい
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