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2016年05月30日11:31

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極私的感想?:5/26 レヴァイン/メト管 リング抜粋

ゴーキーとフィンケ(ボータの代打)が参加。

ヴァルハラの入場
ワルキューレの騎行
ジークフリート第3幕第3場(口づけの前、中弦の躊躇の前のホルンから(これで分かるか?))

休憩

夜明け(縄の断裂の瞬間から)とジークフリートの旅
ジークフリートの死、葬送行進曲
自己犠牲

というプロ。ジークフリートでここを採用してくれたのは大感謝(このコンサート後集結したマニア会では、非ワグ系は一様に辟易していたようだが…)。ジークフリートの死は対訳が印刷されていなかったので最後の最後に急遽挿入されたものなのだろう。こちらはむしろジークフリート第3幕第3場がある時点で入ってしかるべき。

サロネン・シェローのエレクトラにティーレマン/DOBの影・ダフネを引き合いにしたが、この演奏会についても「シュタイン/N響のパルジファルと同格」と言わざるを得ない。決して評価のインフレではない。自分の数々のワーグナー実演体験でも記念碑的公演の一つとなった。
御存じのとおりレヴァインは監督退任を表明。来シーズンはナブッコ、アルジェのイタリア女、イドメネオを振るが新演出ばらはキャンセル。そして来シーズン5月のメト管3公演は全てサロネン(!)が代打。7月のラヴィニア音楽祭で(音楽祭の)監督退任後初めて復帰し復活を振る予定のようだが、ほんとに振れるかどうか。ここ数か月での急速な病状の進展は観客席から遠目で見る素人の目にも明らか。この日も、今シーズンに入ってから残念ながら徐々に顕著になり出して来たアンサンブルの乱れというか迷いから逃れられず。
それでも、堂々たる輝かしさ、スケールの巨大さ、息の深さ・長さは今日がピーク。本当に若干の混濁(普通の実演公演では混濁とも思わないが、サロネンのあの完璧なエレクトラを演奏できるオケだと知っているため気づいてしまう程度)を含めつつ、ため息をつかざるを得ないほど輝かしく力強い、骨太のヴァルハラ。ティーレマンのようなデフォルメはなく、基本的にインテンポだが、四半世紀前の明るく大きいが軽さが消えない演奏とは(同じことをやっているのに)まるで違う印象の、地に足のガッチリついたワルキューレの騎行。
こういった前座を経て前半のハイライト。彼のジークフリートは初めて聞いた日から好きだった。この作品になると彼の緻密さが生きる。特に演出はしないが素直に不安そうなホルン、ためらうヴィオラ+チェロから、自然に欲求と意志が沸き起こり、決断の瞬間を経て、輝かしい光。
そしてゴーキーのブリュンヒルデ!自分の理解では、確か彼女は来シーズンのシカゴで舞台デビューの筈が先月だかのDCの代打で急遽デビュー前倒しだったはず。その程度の経験値。なのに、今までいいブリュンヒルでも悪いブリュンヒルでもそこそこ聞いてきた自分が身を乗り出して本気になる。
別に彼女は美声ではない。声は18型の舞台上のオケ(!!)を軽々突き抜けるくらいの馬力はあるが、自分の永遠のブリュンヒルデたるベーレンスの瑞々しさ等は、ない。ただ、彼女はきっと語学能力がずば抜けているのだろう、言葉を噛みしめる力が並外れて強い。エレクトラでもう十分味わったが、ジークフリート第3幕で解放ー不安ー決然のこの推移をここまで表現してくれたブリュンヒルデ、ベーレンスは(自分の中で)別格として、果たしていたかどうか。ブリュンヒルデがくどくど言ってジークフリートが”Ha!"の一言でぶった切る箇所(これで果たしてわかるか…)で不覚にも落涙。フィンケも流れに乗せられたのか最後の音をオクターブ高く(厳密にはドラマトゥルギー上不適切かもだが(笑))。満場の歓声の中固く抱き合う。そりゃこんな歌唱したら気分も乗るわな。
後半も、まずは巨大な夜明けと細やかな旅の描写を経て、ドラマ的にジークフリート第3幕との対で欠かしてはならないジークフリートの死(ここはフィンケは若干物足りず。まだ国際S級ではないな…)を経て、ホールが揺れるかのような強烈な葬送行進曲。この作品は指揮者により実に様々な解釈があるところで、一回目の強奏からスロットル全開のレヴァイン流を懐かしがると共に、ただならぬ気迫に彼の残された時間も僅かな事を感じとる。

そして最後の短調での活躍するジークフリートの動機の直前でグートルーネの最後の嘆きの終わり頃辺りに飛んで、いよいよ自己犠牲。テキストをちらちら見ていた(既に書いているとおり、自分はワーグナーの韻文は耳では理解できない。多分朗読で聞いても無理。)からかもだが、こんなに丁寧にブリュンヒルデの千々に乱れながら最後には収斂していく心境を丁寧に描写した歌唱は記憶にない。そして延焼、洪水、天上の炎上。ヴァルハラに届くローゲの炎の前にジークフリートの幻影が最後に立ちはだかり、それを断ち切る神々の黄昏の動機もゲネラルパウゼで断ち切られるあの瞬間、ここも指揮者により大幅に対処が異なる箇所で、彼は(彼にしては異例の、だからこそ際立つ)かなり長い間合いを取った後に、黄昏の動機の後半は殆ど聞き取れないくらい底に押しやって、たおやかに愛の救済を宣言する。終演、満場総立ち。レヴァインはおろか少なくとも首席チェロ奏者も涙を拭っていたのを目視。

既述のとおり、このコンビによるリングチクルスが自分のクラシック音楽なるものの事実上の初体験なので、若干の思い入れは入っているかもしれない。ただ事実として自分の感動の深さは最上級だったし、冷静に考えてもあのスケールのワーグナーを聞ける非日常的体験を他にどこで聞けるだろうか。レヴァインがこれを受けて引退を表明したとしても、自分としては(音楽自体が全く老いていないだけに)残念だが、理解する。

そして改めてゴーキー。シュタインのパルジファルではザルミネン、エルミング、シェーネが、ティーレマンの影ではヴァレイル、シュナウト、シェーネ、ヘンシェルがいた。今回は若きゴーキー。彼女のメトでのブリュンヒルデデビューには間に合わないが、いつかバイロイトで会える筈。





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