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2015年09月16日16:38

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沖縄の枯れ葉剤 深刻な汚染 否定する米

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日本政府は戦後から今まで国民を犠牲にしてアメリカに服従してきました。
70年経って更にその関係を強固なものにしようとしています。
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「枯れ葉剤が存在したことを示す多数の証拠にもかかわらず、国防総省は沖縄に枯れ葉剤はなかったとしている。
日本政府も何の異議を申し立てることもなく、否定を続ける米側の立場を受け入れている。」

11日の道新「各自核論」
ジャーナリスト ジョン•ミッチェルさん
「沖縄の枯れ葉剤 深刻な汚染 否定する米」

1961年8月10日、枯れ葉剤が初めて戦時下の沖縄に配備された。
それからの10年間、米国は自分たちの敵が潜むジャングルを根こそぎにし、敵の食糧を絶つために、7600万リットル以上もの枯れ葉剤を東南アジアにまき散らした。

米政府は当時、これらの枯れ葉剤が人間には無害だと主張した。しかし、実際は猛毒のダイオキシンが含まれていた。

いまも数百万人のベトナム人が枯れ葉剤の被害に苦しみ、貯蔵されていた旧米軍基地の一部は危険なほどに汚染されたままだ。

ベトナム戦争の時代、沖縄は米軍にとって重要な補給拠点だった。
そして最近になってようやく、米軍の枯れ葉剤作戦でも沖縄が重要な役割を担っていた事実に光が当たるようになった。

軍部の記録によると、約520万リットルの枯れ葉剤「エージェント•オレンジ」が、72年まで沖縄に貯蔵されていた。

沖縄の米軍基地に当時駐留した元米兵らは、滑走路やフェンスの周辺に生い茂った雑草を除去しようと、エージェント•オレンジを散布したと証言している。

彼らは現在、ダイオキシンに触れたことが原因とみられる症状に苦しんでいる。多くの場合、彼らの子どもまでもが病気だ。

2013年、沖縄の建設現場作業員が、かつて米軍嘉手納基地だった場所を掘り返したところ、数十のさびたドラム缶が見つかった。
多くのドラム缶には枯れ葉剤メーカーの名前が刻まれ、枯れ葉剤の主原料がわずかながら残っていた。

掘削の作業は今も続いている。ドラム缶の数は118となり、6月に周辺のたまり水が環境基準の数千倍も汚染されていることが判明した。

枯れ葉剤が存在したことを示す多数の証拠にもかかわらず、国防総省は沖縄に枯れ葉剤はなかったとしている。
日本政府も何の異議を申し立てることもなく、否定を続ける米側の立場を受け入れている。

米軍が引き起こす環境汚染への「服従」は、今に始まったことではない。
例えば日米地位協定は、基地で起きた環境汚染を取り除く責任を米軍に負わせていない。
その財政負担も日本の納税者が負っている。

ダイオキシンだけが問題なのではない。米軍基地の跡地から、ヒ素や鉛、ポリ塩化ビフェニール(PCB)が漏れ出しているのだ。

今後数年間、ベトナム戦争時の最重要拠点だったキャンプ•キンザー(浦添市)など米軍基地が返還されるに伴い、こうした類いの汚染が新たに見つかるだろう。

多くの沖縄県民は、跡地の再開発が、地元経済の押し上げにつながるとの強い期待を抱いている。

しかし、日米地位協定が公正なものに改定されなければ、跡地再開発の恩恵は何年もやってこないかもしれない。
ベトナム戦争の負の遺産が、地元住民や元米兵、汚染エリアに住む住民にまとわりつき続けるであろう。

■安保法案、最終盤でも違憲指摘 「裁判所では通らない」
(朝日新聞デジタル - 09月16日 08:26)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3618387
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