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2007年05月04日19:20

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吾れ等人生六十から

本日、なくなったおじいちゃんの顔を見に、そしてお通夜・告別式のために高知入りしました。

先程、今回来れなかった家内と、娘たちに携帯のテレビ電話で
おじいちゃんの素晴らしい顔を見てもらいました。
気丈に泣くまいと思ってたんですが、電話しているうちに・・・・。
やっぱり悲しいです。。。。。(泣)


写真&以下の文面ですが、これは高知のおじいちゃんの家の冷蔵庫に、昔から張り出されていた文面です。

生前のおばあちゃんから、この文を教えて貰い、うちの当時小学校入りたての娘一号も、今でもこの文面を覚えている、素敵な文です。

おじいちゃん達の影響もあり、僕自身、「肉体は現世に宿る為の仮の器」、「あらゆる病気は本来存在せず、自分の精神が引き起こすものである」「肉体が滅んでも精神はちゃんと生きている」んだってのが僕の中に確固として存在しています。

この考え自体、おばあちゃんが講師もしていた「成長の家」の教えのひとつでもあるんですが、それに通ずる感じもして僕も凄くいい言葉だと思う文面です。(どなたの言葉なのかは分からないのですが)

以下がその文面です。


一. 吾れ等人生六十から 心も身体も元気です
  七十で迎えに来たならば 只今お留守と云いなさい

二. 吾れ等人生六十から 何時もニコニコ人のため
  八十で迎えに来たならば まだまだ早いと云いなさい

三. 吾れ等人生六十から 心明るく朗らかに
  九十で迎えに来たならば そんなに急(せ)くなと
              云いなさい 

四. 吾ら人生六十から 何時も感謝で暮します
  百で迎えに来たならば 頃みて行くよと云いなさい
  頃みて行くよと云いましょう



おばあちゃんは80代後半で、そしておじいちゃんは90台半ばにして天国に迎えられました。
僕ら生きている人間にとっては、長寿と見られる事なんでしょうが、きっとこの文面からいくと、まだまだ早いよ〜って感じなんだと思います。

僕ら夫婦は結婚前から、二人とも200歳までは生きるんだって、冗談で話してたりしてたんですが、まんざら不可能な事じゃないんだとも思います。
すべては気持ちの持ちようなんですから。


高知の家の思い出として・・・、
おじいちゃん、おばあちゃんの思い出として

皆様にこの言葉を送ります。
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