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2007年04月22日16:47

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靉光展

私は、アナタに会わねばいけないのです。

その昔、美術雑誌のシュルレアリズム特集の記事に載っていた1枚の絵画写真。一目見て、吃驚して目が離せなくなりました。
臓物のような岩に、ギョロリとした目がある。目はこちらを見ている。
何て、気持ち悪い。
それでも、私は目が離せず、暫くその絵を見ておりました。
絵画写真の下には『目のある風景』というタイトルと、“靉光”の文字。
“靉光”。コレが、画家の名前なのでしょう。
名前もどこか謎めいて、何者だか分からない。そもそも日本人なのだろうか?

その後、私は、東京国立近代美術館で、本物の『目のある風景』を見るのです。
本物は、さらに気味悪く、それでいて、やはり目が離せなくなる力を持っていて、私はいつか彼の絵が沢山見たいと思いました。

忘れもしない、昨年の『ダリ展』でのコト。人が溢れんばかりの会場に、少々嫌気がさし、フライヤー置き場で休憩しようとして、フッとフライヤーを見ると、あの目が・・・臓物のような岩に嵌ったあの目が私を見ているではありませんか!
フライヤーには『生誕100年 靉光展』の文字。

思わず「凄い!」と声に出して言いました。

私は、アナタに会いに行かねばならぬのです。
そして、アナタの絵を見て感じた、エロスとタナトスの同時性を確かめに行かねばならぬのです。

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随分、暑苦しい冒頭文でスイマセン。それだけ楽しみにしてたモノで。

靉光は“あいみつ”と読みます。“あいこう”とも名乗っていたそうで、遺族は「あいこう」と呼んでいるそうなのですが、今の表記は殆ど“あいみつ”だと思います。

彼はれっきとした日本人。本名は石村日郎といいます。
靉光は、雅号のようなモノ・・でしょうか。画家になりたくとも、養父に許してもらえず、彼は、図案家(今でいうグラフィックデザイナー)になるのですが、その時から使っている名前だそうです。
最初は、“靉川光郎”と名乗っていたそうなのですが、いつからか、短縮して“靉光”と呼ぶようになったそうです。

今回は生誕100年の回顧展。初期の作品〜最後の作品までが展示してありました。

10歳の時彼が描いたという『父(石村初吉)』の絵がありました。
メチャクチャ上手い!!!
10歳の子供が描いた絵とは思えません。
元々、絵の才がある人だったのですね。

その後、図案家になるコトを養父と約束し、上京(実家は広島)。池袋モンパルナスと呼ばれた界隈で画風を模索するのですが、この頃の彼の絵は色んな人の影響が見て取れます。

『コミサ(洋傘による少女)』。このコミサさんは、靉光の妹(いとこだったかも)らしいのですが、コミサさんが結婚する時に描いた絵なのに、コミサさんは、傘に寄りかかるようにうな垂れて、全然幸せそうじゃない(^_^;)。絵はルオー風。

その他にも、『屋根の見える風景』はゴッホ風だし。

ギャラリートークで、学芸員さんが仰っていたのだが、この時期の靉光は、午前と午後で画風が変わる・・と言われるほど、コロコロ画風を変えていたのだそうです。
そして、ある日、靉光は描けなくなります。行き詰ってしまうのです。

この頃、キエさんという女性と靉光は結婚し、キエさんは、ろう学校の先生をなさっていたので、家計的には裕福になったのですが、靉光は絵が描けず悩みます。

で、ある日、自分独自の描き方を見つけます。
“ロウ画”と呼ばれるそれは、まったくの彼のオリジナルの画法。
溶かしたロウに、クレヨンや顔料などを入れて溶かし、それで描くというモノ。
だからでしょうか。どの絵も表面がテラテラしてる。
ロウ画で描かれた『乞食の音楽家』。なすびのような顔の虚無僧が尺八を吹いてるような絵。どこかユーモラスなこの絵も、表面がテラテラしてる。
かなりムチャな描き方だった為、保存状態が悪く、ロウ画は普段はなかなか他の美術館では貸してくれないのだそうです。

1枚横になって展示してある絵がありました。
『馬』という絵。デフォルメされたギョロ目の白馬。ちょっと怖い。バックはテラコッタのような赤茶。
この絵、何故横に置いた状態で展示してあるのかと思ったら、バックに金属を溶かしたモノを塗り、その上から絵の具を塗って描いている。つまり、そんなムチャな描き方をしたので、絵の具の劣化が激しく、立てるとあっと言う間に、絵の具はバラバラと剥離してしまうそうです(^_^;)。
この絵。期間限定で22日まで(本日まで)しか展示出来ないらしいです(図録には収録されてます)。本物が見られてラッキーでした。
そんな絵、良く貸してくれたな・・と思ったら「絶対立てない」コトを条件に、運ぶ時も飾る時も細心の注意を払い、横のまま運んだりしたらしい・・・。

靉光は、シュルレアリストの画家です。
さぁ、ここからが彼の本領発揮。有名な『ライオン』の絵もあります。ただ・・・何処をどう見てもライオンに見えないのだが(笑)。

靉光は、上野動物園に通い、ライオンという絵の素材を得ます。
ただ、彼はライオンそのものを描こうとはしなかったらしく、肉塊のようにライオンを描きます。彼はとにかく良く観察し、凝視し、描く時は塗りこめ剥がし、また塗り剥がし・・・そんなコトを繰り返したそうです。
多分、彼はライオンの本質を描きたかったのではないかと・・・。説明的な誰が見てもライオンと見える絵ではなく。

解説に“過剰に凝視し続ける”結果幻想味を帯びてしまう・・とあったのですが、私はコレで伊藤若冲を思い起こしました。
ひょっとすると、靉光も若冲と同じで幻想絵画を描いてるつもりはなかったのかも知れません。彼の過剰さが、ある種の幻想を呼び込んでしまっただけで。

『シシ』は、良く見れば「ライオンかなぁ〜・・・」と分かる絵。でも、荒々しいタッチで描かれたその茶色い塊は、殆ど肉塊と化し、力強さを感じます。シッポがあるのでライオンに見えるか・・という感じ。

そして。あぁ、また出会えたね。臓物の岩の目。『目のある風景』。じっとこちらを見る、一つの目。多分、コレは靉光本人の目。
薄赤茶、茶色、黒茶。画面は茶色の岩と目玉、そして妙に荒いタッチで描かれた青白い空。

この絵。色んな説があって、「ライオンを描いた」と言われたり、靉光と親しかった画家さんが言うには、ある日、靉光と散歩してたら、木の根っこを見つけ「コレに目を描いたら面白い絵になりそうだね。」と言っていたコトを受け、木の根っこという意見もあります。確かに、画面下の方の穴は木のウロにも見える。

私はどうしても臓物に見えてしまうのだが。あとは、胎盤にも見える。胎盤にある目。これから生まれる“世界”を見透かしているような目。

靉光は筆で墨一色で描く、繊細な絵も得意でした。本当に細かいんだ。まず、見た人は“ペン画”だと思うと思います(私は最初、エッチングかと思った)。
でも本当は筆絵。細い筆で気が遠くなるほど細かく描いていく。
私のお気に入りは『蛾』という絵。
蛾の羽の筋1本1本を細かく、細かく描いていく。コレは是非本物を見て欲しい。印刷だとどうやっても、この細い線は潰れちゃうと思う(^_^;)。

『花園』。タイトルは花園なのに、画面全体を覆うのは、テラコッタのような色彩の花々。臓物色と言っても良い。
画面右端のアゲハチョウのみ、黒と白で美しく描かれ、生を満喫してるように見える。

ここで私は気付くのです。
彼の絵のエロスとタナトスの同時性は、ここから来るのではないかと。生を満喫しているモノと、死に静かに向き合うモノ。

それは『静物(雉)』でも思います。
中央に吊るされた雉の死骸から、2本の蔓が伸びている。それは、赤と青の蔓で、まるで静脈と動脈のように見える。その蔓は、下の真っ黒な“からすうり”に繋がっている。
いや・・・コレは本当に“からすうり”だろうか?
心臓にも見え、何かの内臓の塊にも見える。
そこから繋がるのは、色彩豊かに描かれたアケビなどの植物達。
つまりこの絵は、雉の静脈や動脈から栄養を吸い取り育つ植物の絵にも見えるのだ。

本来動くモノが死に動かず、本来動かないモノが生き生きと描かれるこの不思議さ。
やはりエロスとタナトスが同時性を持ち、そこにある。
幻想味は、ここから生まれるのだろう。

『警察病院』という小さな絵も気になる。建物を覆う、上半分の黒い雲のようなモノは何なのだろう?煙だろうか?
どこか不穏だ。

彼の描く油彩の植物画もどこか不思議と生々しく、美しいが、どこか気持ちが悪い。生きてるモノのエロスパワーと言えば良いか・・・そんな感じが、私を居心地悪くさせます。

何かこんなコトばかり書くと「この人は気持ち悪い絵しか描かないのか?」と思うかも知れませんが、美しい日本画のような植物絵もあります。
紙に水彩で描かれた、百合、ダリア、あけび、くちなし。
細かい線で描かれたそれらは、本当に美しい。
ただ、どれも中途半端。全て絵の具が塗られているコトはなく、色はちょっとしか塗ってない。
なので、個人的な練習用の絵だったのかも知れない(判子が押してあるのもあるが、それは後々、遺族が押したモノだそうだ)。

時代は戦争に突入。前衛絵画は「アカ(共産主義)と結びつく」と言われ、糾弾されていきます。
前衛絵画は描けなくなり、写実の絵になるのだが・・・。
『かます』は、どこかエイリアンみたい。
この人の質なのでしょう。やはり写実もどこか、幻想的になっている・・・。
『バラ』の絵も凄いです。冷静に観察すると、色の塊がバンバンと描いてある。なのに、ちゃんとバラに見える。

今回の展示品には、手紙もありました。
靉光は徴兵され、中国に送られ、上海で病気になり、38歳で亡くなってしまうのですが、徴兵される時に、奥さんのお兄さんに当てた手紙のこんな一文が胸を打ちました。

『絵筆が銃にかはるのですから一寸はまごつきましょうが頑張ります』

戦争はお偉いさんが起こすケド、戦争を起こす前に、ちょっと考えてはくれんかな?
今まで美を生み出してきた筆を持つ手に銃を持ち、あるいは、美しい歌を読むためにペンを持っていた手に銃を持ち、人を殺す人もいる。
それが戦争だ・・・というコトを少しで良いから過ぎらせてもらえんだろうか?

靉光が戦地に行く前に、サラサラと描いた最後の絵は『山茶花』。桃色の塊のようなのに、不思議と山茶花に見える絵。
コレが最後の絵となってしまうのですね。

最後のコーナーには3枚の自画像。どれも同じ向きで首を上げ、何かを遠く見ているように見え、そして淋しそうにも見える自画像。
私は、目のない自画像が印象に残りました。
アレだけ“目”を印象的に描いた靉光なのに、自分の自画像には目がない(塗り潰してある)。何も見たくなくなったのか、それとも、目で見ずとも、心で見る何かを掴んだとでも言うのだろうか?

1番最後に、ご飯を炊く“飯盒”がポツンと展示してありました。上海の病院へ入院した時、同室の隣の人もたまたま画家で、記念に飯盒を交換したのだそうだ。
その人は元気になり、日本へ帰還出来て、靉光の使った飯盒は、残りました。
本人は日本へ帰れず、飯盒だけ帰って来たんだ・・・と思ったら、凄く切ない気分になりました。

38歳で亡くなった靉光。生きていたら、その後、どんな風に画風が変わったのか、あるいは変わらなかったのか・・見てみたかった気がします。

会場内は暗いのですが、どうやら靉光は、昼でも雨戸を閉め、暗い中、電球をともし、その中で絵を描いていたらしく(絵を描くコトに集中する為、そうしていたらしい)、靉光の視線で見て欲しいという意図もあり、会場内が暗いのだそうです。
この描き方、まるでギュスタブ・モローのようですね。19世紀末フランスの幻想画家。
やはり幻想は、暗闇より出でしモノなのか。

私、6時間会場にいて、クッタクタになるまで見ていたのですが、それでも見たりませんでした。時間があればもう1度行きたいです。
5月27日まで、東京国立近代美術館で開催しています。
絵は、他にも、鳥獣戯画を思わせる、鳥の巻物スケッチ(墨絵)や、動物のスケッチ(説明が書いてるのもある)など、色々展示してあります。

最後に私が好きな靉光の言葉を紹介。
キエさんと結婚する時、キエさんのお兄さんに送った身上書の最後に書かれた一文です。

『結論は貧困田舎者のいはゆるまじめ者のすじ』

この人らしい、一言。
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