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2024年04月03日13:15

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芸術は爆発だ!《大阪ツアー九》

今でも高度経済成長期のきっかけの1つと言えば、必ずや大阪万博が取り上げられるし、太陽の塔はその象徴だ。しかしそれがなぜ、解体される瀬戸際だったのか?
多分当時の日本人は今を生きる事に精一杯であったり、或いは明日の夢を思い描くのに夢中で、過去を振り返る余裕が無かったんじゃなかろうか。そして欧米諸国に憧れ、追い付く事ばかりを考え、自分達が既に、充分に価値のある物事を持っている、或いは生み出している事に気付かなかった。右肩上がりの成長曲線が終わって横這い状態となり、初めて人々は過去や、自分達自身を振り返ったのだ。それには半世紀もの時間が必要だったのかもしれない。

奥に進むと、ドーンと『生命の樹』が聳え立つ。
フォト

異様な存在感で見る者を圧倒する迫力がある。生命の力強さへの讃歌の様だ。
床も壁も全て、目が眩む様な赤。内壁の幾何学状デザインは、岡本太郎によれば『脳のひだ』をイメージしてるそうだが、大いなる母親に包まれてるかの様で妙に落ち着くと言ったらいいのか、逆に軽い興奮状態にあるのか、自分でも心理状態がよく解らないが、不思議と嫌な気はしない。
足下には、動物に分類されるらしい植物みたいな生物がユラユラと(揺れてはいないが)並んでいる。上に向かって伸びる巨木からは幾つもの枝が四方に広がり、その先には様々な姿形の生物の模型が展示されている。下の方はアメーバみたいな生物が多かったのだが、塔の内壁を沿う階段で上へ登って行くに従い、次第に馴染みのある動物達が現れる。
生命誕生以来無数の生物が生まれ、進化し、そして殆どが絶滅した。生き残ったのはほんのひと握り。一見、生存競争に敗れた弱者は死に絶え、勝者は支配者の如く君臨している様ではある。しかしそう割り切れないモノを感じる。
生命は全てが例外なく、種の存続を賭けた生存戦略の末、ありとあらゆる挑戦を行った。その殆どが失敗(環境への不適合)となり、絶滅していった訳だが、その試行錯誤こそが現代の我々へと繋がったのだ。我々人間へと繋がる壮大な系統樹の、何処か1つでも欠けていたら我々は生まれなかった。俺はそれまで、絶滅した生物達を『環境に対応できなかった敗者』と見ていた。しかしこの巨大な生命の樹を目にすると、『生き残りを賭けて未知の世界に挑戦した偉大な先輩達』に思えて来るのだ。元が巨大な1本である事が象徴する様に、全てが仲間なのだ。ミクロ的な視点では食ったり食われたり、敵か味方か、って事になるが、マクロ的に見れば『生命』という全体で、この地球という星の環境に最も適合する形態や性質を獲得しようとする、壮大な試みなのだ。
岡本太郎の生命の樹は、そんな事を教えてくれる。
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