mixiユーザー(id:25628)

2023年11月23日19:00

55 view

ガリノイズ解散への道


私はバンドの解散というものを幾度か経験しています。
ドラマーとしてのライヴデビューとなったバンド、Mr.Loveの初ライヴが解散ライヴでした。
当時、働いてた会社の先輩、富永さんから"佐藤君は高校の時にドラム叩いたことがあるって言ってたよね?ちょっとスタジオに遊びに来ない?”と言われたのがきっかけでバンドに入ることになります。
どうも話を聞いたら初代ドラマーが辞めちゃったとのことで。
そのドラマーさんが叩いてるライヴを私は客席で観てました。
何回かスタジオに入り、とりあえず元々あった楽曲を覚えて、メンバーが持ってきた新曲もスタジオで煮詰めてる時に、バンド創始者の富永さんが仕事の都合でバンドが続けられないと言い出して。
それで、解散するんだったら最後にライヴをやろうよということになりました。
横浜のビブレから、ちょっと先に進んだあたりだったかな。
スタジオとライヴスペースが一緒になってるところで、ヤマハが運営してる会場だったと思います。
Mr.Loveの解散ライヴは私が入る前に対バンだった三笘君が受付をやってました。
彼はMr.Loveの対バンでガラパゴスというバンドで出てたので、話したことはないけど知ってました。
それで、ドラマーを探していると。
話を聞くと、Mr.Loveとガラパゴスはドラマーが掛け持ちしてて、両方とも辞めることになったのだと。
Mr.Loveは解散するんだよね?
バンドやらないか?
と言われました。
まさかドラマーとしての初ライヴ直後に誘われるとは思ってなかったのが正直なところ。
1980年代中盤あたり。
私が二十歳ちょい過ぎぐらいだった時のこと。


ガリノイズのラストライヴ告知に絡めて私が初めてドラマーとして参加したバンド、Mr.Loveが解散してラストライヴを観に来てた三笘君とバンドを結成することになるというところまで書いたので、その前後の話を。
私は19歳の時に渋谷アピアのオーディションを受けて、伊東マスターに拾ってもらったような形でギター弾き語りでステージに立たせてもらえることになりました。
最初は土曜日昼の部で20分のステージで何回かライヴをやった後、平日夜の部に移行することになります。
2年ほどアピアで歌わせてもらったのですが、行き詰まっちゃって。
それで、高校の時に同級生とYMOのコピーバンドで入ったことのある新潟のコットンハウススタジオで、ライヴで歌ってた曲をレコーディングして7インチシングルを記念に作って、新潟に帰ろうと思ってました。
ちなみにコットンハウススタジオでレコーディングした時、ウチでレコーディングしたレコードだよ、と差し出されたのがGLASSの4曲入りEPでした。
後に富山で、制作に関わった種口さんと出会えるとは、その時は思ってもみなかったこと。
アピアで2年間ライヴを弾き語りでやった後に、ドラマーとしてバンドに誘われ、なんというか、その気になっちゃったんでしょうね。
三笘君と2人で曲作りやリハーサルを重ねて、それは後にピノキオというバンドになります。


ガリノイズのラストライヴまで1ヶ月を切ったということで、解散までのカウントダウン連載的に、書けるうちに書いといた方がいいかなと思って。
ちなみに、まだガリノイズになる前の話をしてます。
私は新潟の高校を卒業して就職した、横浜にある会社を3年で辞めています。
新潟のスタジオでレコーディングした佐藤信昭名義の7インチを作ったのが3年目でした。
仕事をしながらアピアに月1で出させてもらってたんだけど、いろんな意味で迷ってた時期だったのでしょう。
実際に仕事を辞めてから、しばらくアルバイト転々としながら食いつないでました。
そんな時に出会ったのが三笘君で。
新潟に帰省した時に、仕事辞めたけどバンドやることになっちゃって、しばらく新潟に帰れないと親父に言った記憶があるな。
あと、アピアの伊東マスターが東横線の元住吉で経営していた居酒屋「ピンクのぶた」(火取ゆきさんもここで働いてました)に行ってマスターに、ドラマーとしてバンドに加わることになったので、アピアの弾き語りソロ活動を休止したいと言った記憶もあります。
そしたらマスターは"おお、そうか、戻って来たけりゃ、いつでも戻ってこいよ”と笑顔で言ってたのを、よく憶えています。
最初は三笘君と2人で曲作りをしたり、スタジオに入ったりしながらメンバーを探して。
初期のスタジオ入りの時にはアピアで知り合った萩原了一さんにギターを弾いてもらってました。
ベーシストも探したのですが見つからず、結局スタジオのメンバー募集の張り紙で見つけたギタリスト浅野さんが入り、三笘君はベースとヴォーカルで私がドラムの3ピースバンドとなりました。
ちなみに、ピノキオというバンド名は浅野さんの発案によるもの。
デビューライヴは横浜駅から程近いムービルの向かいにあるビブレの最上階、ビブレライヴスクエア。
1988年か、1989年の記憶。
ただ、ピノキオのオリジナルメンバー3人での活動は順風満帆とはいかず。
(続く)


ガリノイズ LAST LIVE
12月16日(土)
阿佐ヶ谷 Yellow Vision
open18:30
start19:00
☆\2,500+1D
ガリノイズ
佐藤信昭(vocal,guitar,drummachine,compose)
小倉純一(guitar)
山田花乃(dance)
直江実樹(radio)
http://yellowvision.jp/
12 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年11月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

最近の日記