今日は朝からいい天気だ。
会社の先輩は、バイクに乗って海ほたるに行っているらしい。
たしかに、まさしく絶好のお出かけ日和と言えるだろう。
私は残念ながら勉強があるため自重するが、昨日のように自宅にこもるのではなく、駅前のシェアオフィスに行こうと考えている。
配偶者のぐでちゃんに改めて聞いたが、集中度合いが全然違うらしい。
たしかに、ほかに頑張っている人の前で勉強をすれば向かう気持ちも大きく違ってくるのだろう。
というわけで、このあと頑張ってきたいと思う!
さて、昨日の夜はテレビで映画タイタニックの後編を観た。
先週放送されたという前編は観ていないのだが、過去に何度かテレビ放映されているのを観てきたので何も支障はなかった。
この映画が公開されたのは1997年で、私は大学卒業の直前だった。
その当時は、劇場へは観に行かなかった。
あまりに人気が出ていたので、自分がも観に行くのはかえって「ベタすぎる」と考えてのことだ。
連日テレビではタイタニックの話題が流れており、それらを毎日見ているだけでこの映画も観たような気持になっていたのである。
通常の作品の2本分はあるであろう、長い上映時間もネックだった。
実際のタイタニック号が氷山に衝突してから沈没するまでの時間と同じ長さだというが、当時はそんな意味合いが込められていることも知らなかった。
そんなわけで、私が初めて観たのは劇場ではなくテレビとなった。
それでも、やはり滅びの美学というか、最期を迎えるまでの人間模様がしっかり描かれており、今回も感激して最後まで観通してしまった。
今回観て初めて発見したのは、唯一の日本人乗客であり、救命ボートに乗って生還した細野正文氏の姿だ。
YMOの細野晴臣さんの祖父だそうだが、ボートに収まるシーンがちゃんとあった。
そして何度観ても感動するのが、デッキの上で最後まで演奏を続けた音楽隊人の話だ。
最後まで演奏をし、一度は「これで終わりにしよう」と言って解散。
だがその一人が再び弾き始めると、またその4人もまたそこに集まってきて一緒に演奏をするシーンである。
自分の最期に臨んで、このような行動がとれるだろうか?と考えさせられた。
映画というのは、観るたびに新しい発見があるものだ。
そして、かつて味わった感動も甦ってくる。
きっとまた、タイタニックがテレビで放映されるたびに観ることだろう。
その時に、また新しい発見がされることを願った夕べの私であった
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