しいばストアーさんで遅めのお昼ごはんをいただいて、引き続きこの日の終点、多良木駅を目指しての歩行を開始
雨脚はいよいよ強さを増し、結局この先、宿に入るまでやむことはありませんでした
しばらく歩くと、岐阜市の梶川堀を思わせる細い水路が国道を貫き、住宅街を縫って流れていた
この写真を撮ってる私の背中が球磨川のある方向
水の流れはその球磨川から、「どこかに」向かって流れているようで
地図を見てたら、流れの先に「百太郎溝」という用水路が
百太郎溝。くま川鉄道の新鶴羽駅近くの球磨川から分岐しているみたいで、その分岐地点は「百太郎公園」として整備されてるんですね
田んぼに水を引くための水路が必要だった球磨地方に、この用水路をつくりはじめられたのは鎌倉時代、用水路の工事は度重なる水害によって「台無し」に
困り果てた村人へ「神のお告げ」
すそに2本線もようのある着物を着た男を人柱に立てなさい
人柱に立てられたのが「百太郎」という人で、それ以降、水害は起きなくなったとされる伝え話
はて
どこかで聞いたことがあるぞ?
私の地元の「おくわさん」みたい!
こういう伝え話、日本じゅうにあるんだぁ
いずれにしても「お告げ」は卑怯だなぁ!
だって、人に告げてないで、「自分が村人のために率先して解決に尽力してくださいよ!」
今どき、号令かけて人を自分に都合のいいように操ろうとする人なんて、誰にも愛されませんよぉ〜だ!
鎌倉時代からの難工事を、江戸時代までかけて、無名の村人、老若男女が駆り出されて、それが何代にもわたって、つくりあげられた
それが「百太郎溝」なんだそうね
私は、岐阜市に来られたらぜひ、おくわさんの話を知ってほしいって思うんだけど、私も人吉球磨を訪れたら「百太郎さん」を心に置こう!
現在は、自分が犠牲になって人を助ける時代じゃないはず!
自分が希望になって人を助ける時代
だから、百太郎さんへ届け!っていう勢いで、私たちが希望を送る生き方、命の使い方をしていかなきゃね!
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