僕が老眼を意識したのは、26年ほど前の事だと思っています。
山形県の米沢市に行った時、駅のトイレに入って眩暈を感じました。
当時は昔ながらの駅のトイレで、男性用のトイレは、
荷物を置くための台が目の前にあるのが普通でした。
目線の辺りに板が突き出ていると言う感じです。
この板に目が行ってしまい、直ぐには距離感が掴めなかったための眩暈でした。
それまでならば、眩暈が起こるまでの事はなく、直ぐに焦点が合っていたのですが、
焦点が合うまでの間に、時間が掛かってしまい、これは老化現象だと思いました。
丁度その頃から、細かい字を見るのが少しずつ辛くなっていました。
老眼の始まりだったのでしょう。
それ以降、徐々に老眼は進みました。
遠近両用のメガネを使い始めたのは、15年ほど前の事です。
会議などで、眼鏡を一々外して見ていたらみっともないと同居人に言われ、
買ってもらったのですが、
それでも、本当に小さい字などは、眼鏡を外して見る事が多かったです。
若い人が作った、極端に小さい字がびっしりと並んでいる資料を見せられると、
これは拷問に近いと文句を言っていました。
その後も徐々に老眼が進んでいて、
今では行間が狭い文庫本は読む気力がなくなっています。
そのため、新書版やハードカバーの本が多くなっています。
独居生活になって、調理法が書いてある食品の説明書きなど、
とにかく説明書きが小さくて苦労をしていました。
天眼鏡(最近は拡大鏡とかルーペとか言うようですが)を出して来て、
それを読んでいました。
丁度、そのような頃、何とかルーペなどと言う、
眼鏡形の拡大鏡が売り出されました。
買おうかなと思ったのですが、結構な値段がします。
どうしようかなと思っていたら、
スーパーに行った時に500円で同じような拡大鏡を売っていたので、
飛びついてしまい、それを使っていました。
両手が使えるので便利です。
と言っても、説明書を読む時位きり使いませんので、
そんなに長い時間使用する訳ではありませんでした。
昨日、ある書類の下書きをしていました。
説明書も細かい字でしたが、何とか読めました。
しかし、様式に書いてある説明は更に字が小さくて全く読めませんでした。
最初は天眼鏡を使っていましたが、
その内何種類かの資料を見るのに不便になって、
眼鏡型の拡大鏡を使い出し、結構長い時間使っていました。
書類の方は、何とか出来上がったのですが、
終わって、拡大鏡を外したところ、目の疲れを感じました。
どうにもパソコンを開く気にならず、
結果として、日記などを休んでしまいました。
長い言い訳ですが。
【今日の一句】
見ないふり あっしに係わり ねーことで
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