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2022年02月11日20:13

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自分の音楽仕事の客観的評論、その4.

The EXECUTE 1st. (1983)

このシリーズ記事は順不同だし年代もランダムです。
今回は、ドラマー氏家(当時はHIRO名義)としての記念すべき初作品である、The EXECUTEの1st.です。ソノシートでした。

たしか¥500とかで発売したんだった。自分で下北沢の五番街とか明大前のモダーンミュージックとか新宿のUKエジソンとか(僕が担当だったインディーズ取り扱い店)納品に行った記憶ある。まだインディーズなんて言葉もあったかどうか、自主製作盤って言ったよね。このソノシート、自分で持っていた最後の1枚は21世紀になってからユニオンで10万以上で買い取ってもらったから、もう持っていない。けどYouTubeで聴ける「いい時代」になったから。。https://www.youtube.com/watch?v=16JxKB9DsMo
1983年? 82年だと思ってた。きっと録音は82年だよ、まだBABYがいた頃だもの。ちょうど40年とは、恐ろしいものだ。日本のハードコアでは一番早いリリースということになった。ガーゼ、ギズムよりか月単位で少し早かった。自分が東京に家出してきて高円寺の4畳半に居候はじめて(馬場のエクスプロージョン〜スタジオのほうで知り合ったキクちゃんに会ったその日から住まわせてもらった)すぐに「ぴあ」のメン募で入ったバンドが、結成したてのエクスキュートだった。あの時自分はハードコアパンクを知らず(クラッシュくらいは知っていたが)、PUNKをやるという心構えはなかったが、なぜかオーディション(セッション?)で即決だったんだな。ネタ明かせばハードコアってレインボーのキル・ザ・キングのビートかぁってね。それが81年の暮れか82年初頭で急激にライブ活動(当時はギグって言ってた)に明け暮れた訳です。週に3回は渋谷屋根裏か新宿ロフトでハードコアのGIGがあってさ、自分らは月3位出たけど、そうじゃない日もハードコア系のバンドのライブに顔出してたものだよ。皆仲良かった。新しいシーンって意識あったのかもね。あの頃は今思い返せば密度が最も濃かった数年間。バイトはするけどライブ優先、酒飲む暴れる。でも音楽は真面目にやってた。

話はレコードのことに戻る。これ8チャンネルの1発録り。レコーディング知識もないし金もない。まだ最初はレーベルとかじゃないから皆で自腹集めて作った。エクスキュートは2nd.EPもレーベルじゃない自腹。グレートパンクヒッツ(徳間)まで自分いた。
なんたって日本の音楽史上、かなり意味のあるリリースだったと思うよ今だから余計そう思うけど。あんなストレートな音、ありえないでしょう! スピード感だけは他のどのハードコアバンドにも負けてない(その後も含めて)と思わない?
スタジオペンタの8チャンのうちドラムが4か5であとG,B,Voで8だもん。ミックスダウンも時間かけてない金ないから。初期エクスキュートの練習スタジオなんて1時間で前半にレパートリー全部やって後半30分で新曲やって。金掛かんないように。〜PUNKだったね。で、自分この作品に参加できたことは、やっぱり誇りに思えるわ。2nd.やグレパンよりもこのソノシートが価値高いよね。これぞ奇跡の1枚と言える。

あの頃、500枚限定のソノシート、音楽に(PUNKに)あまり興味ない知り合いなんかに無理やり売らないでもっと取っておけばよかったな。1枚10万以上になったかと思えばさ。
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