二俣城
とお隣の鳥羽山城
に行ってきました。
二つの城のうち二俣城は武田信玄&徳川家康が力攻めで落とせず
水攻め(渇きバージョン)と降伏勧告でやっと陥落した頑健なお城で
鳥羽山城は迎賓館的な扱いを受けたお城のようです。
で、前から疑問があったんですよね。
それは「二俣城は井戸がUSBみたいに外付けになっていたのか」
これが原因で水攻めで落ちちゃったわけですから。
行ってみて二俣城は狭いお城で井戸を作れなかったんだろうなぁ〜と思いました。
今は本丸
と北櫓のスペースが残っている
(二の丸のところはロープ張って行けなかった)のですが本丸部分がまじで狭いです。
山城でも大抵のお城の本丸部分は小学校の体育館が入るかな位のスペースがあるのですが二俣城の場合は一軒家が入るかな位のスペースしかないです。
天守台に至ってはドラえもんののび太君の家の押し入れより狭そうでしたね。
だから力攻めにも柔軟に対応できたのでしょうが。
鳥羽山城は本丸部分が
広く作っているので迎賓館というの機能がメインだったんでしょう。
枯山水庭園もあったようですし。
因みに二俣城は徳川家康にとって二重の意味で因縁の地とも言えます。
それは息子の自害の地ですから…。
ログインしてコメントを確認・投稿する