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2021年05月29日21:33

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(2017年)4月

(2017年)4月

(2017年)4月最初のライブ鑑賞,と言っても3月31日(金)のカンランあらさん健さんの翌日ですが,4月最初のライブ鑑賞は4月1日(土),ペニーレーン24の某グループでした。

この日は,春と秋の年2回恒例のロケットの旭川アーリータイムズでのライブもあったのですが,ペニーレーンと重なったことにより見送りになりました。
また,この日はもともとは宿直勤務が当たっていたのですが,ペニーレーンに行くために後輩職員に頼んで別の日と交替してもらったのでした。
最後のMCでは,4月1日という時節柄,就職進学等々で新しい生活を始める方々も多いと思うが…といったお話の中で,リーダーが「私も進学します」とおっしゃっていました(大学院への進学だったようです。)。

翌(2017年)4月2日(日)は,2月のひいらぎに続き,じょじょでのまんどしまでした。

じょじょは前年(2016年)9月のオオフジツボ以来だったと思われますが,この時にも山崎さんは以前の私のオーダーを覚えてくださっていて,はちみつしょうが湯を出してくださいました。

まんどしまは,この年(2017年)は,春まで待てないとして2月にひいらぎでのライブがあったばかりです。

じょじょでは例年この時期にライブがあって訪れることが多かった気がします。
前年(2016年)は昼にひいらぎまんどしま,夜にじょじょRINKAで,昼夜同様のお顔触れの方々と御一緒しましたし,道南に去る前の札幌時代には,昼にジャック健さん昼下がり,夜にじょじょRINKAということもありました。

 まんどしまの弦の世界は美しくはあるのですが,この日に最も印象に残ったのは,私が知らない時代のジャックでのエピソードに由来する「尺八じいさん」の歌声だったりしました。(健さんから,この曲のよくないところは他の曲の印象を薄くするところだといったコメントもいただいた気がします。)。

 年度初めの2日間が土日でしたので,翌4月3日(月)が,4月からの新部署への初出勤でした。そのため,打ち上げを兼ねた107の歌声の中を早めに失礼させていただいたのでした。

中1日おいて,(2017年)4月4日(火)は,ジャックで健さんと函館のカリンバ,カホン奏者小田桐陽一さんのライブでした。12月に函館の医師会関係の催しで渋谷さんのお引き合わせで共演されたことで意気投合されてのこの日のライブだったようです。

私は小田桐さんはこの時に初めて機会を得ました。道南には3度も勤務したのに,朝市はろくに行ったことがありませんし,五稜郭タワーも60メートルになってからは登っていません。安井敬さんが複数回来函されて貸切の市電の中で演奏されたこともあったのに行けませんでしたし。こうした事情と共通するものがあるかもしれません。

小田桐さんのCDが,かつてきら☆りん函館公演で訪れたこともあるBASEや隣接する美容室で販売されているといった道南話が何やら嬉しかったです。

健さんのお話の中で,ダルシマーは一度に二つの音しか出せないので和音ができないというのは,つかみのためのネタだったようですが,バンドのようにメンバーの伴奏に頼ることのできないソロを演るのは最初は怖かったとのお話は印象に残りました。

これまで,カホンのグルーヴ感には何かに共通するものがある,バウロンのグルーヴ感には何かに共通するものがあるなどと漠然と思っていたような気がするのですが,この日,小田桐さんのカホンを聴いていて,そうか,カホンとバウロンのグルーブに共通するものがあるのだと思っていたところ,これまで健さんとバウロンとの共演で聴いたことがあるであろうアイリッシュチューンや,hours after小田桐さんのカホンとで聴くことができたのでした。

小田桐さんがかつて函館で教えたり取材を受けたりといった御縁のある方々で現在は札幌におられる方々にライブをお知らせされたらしく,普段はジャックにおいでにならないような某公官庁関係者や某記者さんらがおいでになり,打上げにも残られていました(某記者さんは最初ジャスマックプラザに行ってしまったようで,某M西さんからジャしか合っていないなどと突っ込みを受けていました。)。

私も久しぶりで残ったのですが,某記者さんは私も道南時代の職場でお見かけすることがあった方でしたので,何やら懐かしく,いつもより杯が進んで,お酒をズボンにこぼしてしまったりしました。地下鉄の終電近くに帰りました。

その週末,(2017年)4月9日(日)は,ライブのはしごでした。
前日の土曜日にひと冬ほぼ野ざらしだった自転車を磨いたり空気を入れたりし,この日から本格稼働となりました。

この頃,通販の宅配便が繁忙期のためか依頼したとおりに再配達されないことが続いていました。夜中まで長時間じりじりと待った末,結局2週にわたって受け取れなかった荷物があったので,営業所はけっこう遠いのですが,自転車に乗り始めたこの日,朝方思い切って自転車で取りに行き,1日拘束されて結局受け取れないことに比べれば,早くに自由の身になれて,これも選択肢かなと思ったのでした。

その後はまず昼のくう。14時開場14時半開演の嵯峨さんと福さんでした。
小林武文さんとのつながりで福さんが訪れたくうでのトリニテのライブに,シズさんとのつながりで嵯峨さんがゲスト出演されていたことで久々の再会となり,共にライブをされるまでになりました(この後,りびあんでもお二人でライブをされたことがあったと思います。)。

くうには前月シニッカ・ランゲランで来て以来でしたが,その前に来たのが1年少し前の嵯峨さん福さん再会のトリニテの時だったのでした。

嵯峨さんはシズさんとは鳥の歌つながりだったと聞きましたが,この日の曲もくにも「鳥の歌」がありました。

嵯峨さんはモンゴルの民族衣装での御出演でしたが,共演曲では大瀧詠一路線も健在でした(「幸せな結末」は福さんのリクエストによるものだったようです。)。また,福さんの月のさんぽ時代の同僚,小林瑠衣さんのヴァイオリンも共演曲に深みを与えていました。

はしごを目論んでいたため,くうの終演後は御挨拶もそこそこに晴ればれビルへのはしごにも自転車を走らせました。かつて住んだことのある辺りを走り抜けたと思います。

 マルカート&モモイヒトミさんのジョイントライブでした。
 晴ればれビルといえば,地下のベッシーホールが思い浮かびますが,この時に訪れたのは2階にあるクエントクエスタでした。現在のところこの時だけとなりますが,店内や窓から見える電車通りの灯りが綺麗でした。

16時半開場だったので,くうから自転車だとジャストというくらいのタイミングで,同様にはしごされた某I氏よりひと足先に到着しました(塚越さんが時間を間違えられて終演間際においでになったのも,この日だったでしょうか。)。

お名前は目にしていたモモイヒトミさんは初めて機会を得られました。ユキさんとは平岸高校の御縁もあるのだったでしょうか。
ユキさんは最近もロケットでの機会はありましたが,マルカートの時にはマルカートならではの味わいがあります。この日は「夢で逢いましょう」が胸に残ったようです。

クエントクエスタは17時開演でしたから,終演は19時前後だったと思われます。
この日は19時からダイマで健さんのソロライブもありました。
開演に間に合わないこともあり,私はダイマは断念したのですが,この日,私と同じくくう,クエントクエスタとはしごをされた某I氏は,ダイマにも途中入場されたそうで流石でした。

翌週,(2017年)4月12日(水)は,仕事帰りにステラプレイスのHMVへ行き,某グループの中から2人おいでになってのトークイベントを遠くから観覧したようです。

その週末(2017年)4月14日(金)には,これまた仕事帰りにヒッピーズに行きました。
ヒッピーズは,田村さんがお招きになった都丸さん関係のライブで訪れることが多かったのですが,この日は岡大介さんでした。

岡大介さんの来道といえばおなじみの北海道新聞大原記者が,この日のアレンジもされたようです。岡さんのスケジュールもブログでチェックするようにしているのですが,この日の催しは大原記者の記事がなければ見逃していたかもしれません。

道南から戻ってからは,前年(2016年)3月,北海道文学館の俳句集団itakの句会イベントのゲストでお出になったのを観に行ったことがありましたが,単独でのボリュームのあるライブはこのヒッピーズの時が最も印象に残っています。

そのようなつながりからか,この日のお客も俳句つながりで互いにお知り合いのような方々が多く,アイリッシュミュージックつながりなのは掛け値なしに私だけでした。

考えようによってはアウェイ感この上ない現場のはずなのですが,なぜか打上げにも残り,意外にもこのような趣味をお持ちとは知らなかった定年退職後の元職場関係者なども偶然いらっしゃっていて,久々にお話などしてから帰ったのでした。
岡さんとも,しばらくぶりにまとまった言葉を交わした気がしました。

翌(2017年)4月15日(土)は北18条のキサで,嵯峨さんなかのうづめさん町田さんのDo-O triangleでした。

自転車稼働開始2週目,当時の住まいからはやや遠い北24条での散髪にも地下鉄代をかけずに行くことができました(いったん行きつけになると引っ越しても変えにくいということがあります。)。それでもライブまでかなり時間があったので,キサを通り過ぎて一度南下し,ジュンク堂で斎藤惇夫さんの福音館書店の新刊,川島令三さんの鉄道事情本北海道篇,ピヴォのタワーレコードで新潟のインタビュー誌CASTを購入し,なおかつネットカフェで時間調整をしました。

Do-O triangle鑑賞は3回目くらいでしたが,それまで毎回会場が違い,今回のキサは北18条に新しくできたばかりのお店でした。ステージの後ろがスクリーンに使えそうなところなどdress AKIBA HALLを思い出したりしました。

嵯峨さんはくうで福さんのリクエストにより披露された「幸せな結末」をこの時もお歌いになり,喉歌に限らず歌声全般に磨きがかかったことを大瀧詠一路線で感じさせられたのでした。

翌週末の(2017年)4月22日(土)は,朝から17時までの日直勤務を終えた後,ヘンチキ屋で20時からの星さんと三谷さんのライブでした。休日なら自転車で行くことも視野に入りますが,平日同様に地下鉄通勤で職場に向かった関係上,この日も前年(2016年)12月同様,自転車ではなく地下鉄円山公園駅から南下して訪れました。

道南に去る前の札幌時代にも,休日の日直勤務の後,職場から中の島のダイニングのお店に寄ってRINKAの鑑賞をしたことがあったのが思い出されます。

星さんと三谷さんとでは同じギターでもジャンルは違いますが,お二人とも心地よかったですし,アンコール曲では星さんは三谷さんのブルースに合わせておられ,これは人生二度目のブルースではないかというくらいレアなものだったようです(後にいただいたコメントによると二度目というのは嘘で人生初であったとか。)。

また,この日にフライヤーが配られ,(2017年)5月には鬼怒無月さんが来札され,三谷兄弟のアンニュイと鴨々堂で共演されるとのことでした。鬼怒さんといえば,最近ではzabadakや壷井さんとのEtaでの機会が多いのですが,かつては函館や旭川にいらした時に演奏を聴いたことがありますし,小平町などにのおいでになったことがあるようで,北海道との御縁は朝からぬものがあるのかもしれません。
おお鬼怒さんがいらっしゃるのですかと思わず声を上げると,三谷さんからは御存知ですかスーパーギタリストですよねといった御反応がありました。当日は他の催しと重なって行けなかったのが残念でしたが…。

17時の日直終了から20時のヘンチキ屋まで時間があったので,一度大通りに出てジュンク堂やピヴォのタワーレコードに寄り,Latinaにおおしまゆたかさんの寄稿とともにトヨタケーリーバンドの記事も載っていたので,発売されたばかりの井良明さんのep(CD付き)とともに購入しました,白井良明さんのepはオンラインでは取扱なしとなっていたのでよかったです。

翌(2017年)4月23日(日)は,わくわくホリデーホールでカラフィナでした。
前年(2016年)の4月にも札幌教育文化会館においでになっていて,NHKの歴史番組等を通じてファンとなっていたS氏が行き,お三方の高音や声量に大感銘を受けたことを耳にしていました。その時も行きたかったのですが,前日土曜日に新居昭乃さんのサッポロスターライトドームのライブがあり,これに行くために土曜夜に当たっていた当直を日曜夜に替わってもらっていたばかりで,流石にまた交替してもらうわけにもいかず,断念して宿直に勤しんだのでした。

そのリベンジという気持ちもあったのですが,この日は会場も大きくバンド編成に打ち込みもありと前年(2016年)のアコースティック編成とはかなり趣きが違ったようです。前年(2016年)のようなライブも観てみたかったところですが,カラフィナが実質解散した現在,それもかなわなくなりました(この後,活動休止までに,もう一度教育文化会館でのライブがあったのですが,やはり2016年の時とは趣きが違ったようです。)。

翌週末(2017年)4月28日(金)は,Rose in the heatherのジャックライブもあったのですが,私は仕事帰りにキューブガーデンのさユりさんを含む3組合同のライブに行きました。3月のニューシングル発売サイン会の時に4月にバンド編成で来る予定があるとおっしゃっていたことからチケットを入手したものです。AIR-Gが企画したもので,他の2組はREOLとポルカドットスティングレイ。恥ずかしながらこの時に初めて知りましたが,若者達になかなかの人気のようでした。

スクリーンにアニメーション動画を流しながらのこった演出の中,さユりさんのバンドからもまとまった曲数が披露されましたが,やはり『僕だけがいない街』のエンディングテーマは歌われなかったのでした。

3組合同となると時間も長く,その間は立ちっぱなし。翌日もオールスタンディングのライブが続き,決して若くはない身には足腰が若干辛かったです。

翌(2017年)4月29日(土)は,自転車でペニーレーン24に行く途中,札幌ピヴォにも寄りました。某グループのニューシングル販促の催しにリーダーが独りで来ていて,トークや握手がありました(グループのメンバーが分散して全国各地を訪れていたようです。)。ピヴォといえばタワーレコードに寄ることはありますが,このイベントが行われたスペースには,この時しか立ち入っていない気がします。会場では最後方だったのですが,前の方のお客がみんなしゃがんでくれてかなり条件のよい鑑賞となりました。

ペニーレーンは,ピヴォにリーダーが来ていたグループと関係なくもない別のグループのツアー初日でした。このグループには当時北海道出身のメンバーがおり,初日が札幌だったのは本来は凱旋的意味合いもあったのだろうと思いますが,直前になってそのメンバーの突然の活動休止の発表があったのでした。物販類にも全員の写真が使われたままで,突然の事情だったのだろうと察せられました。涙ぐんでおられるメンバーもおられ,無事に初日を迎えられた安堵の涙なのか,共に初日を迎えることのできなかったメンバーを思っての涙なのか…と思って見ていました。何だか長い時間目が合ったような気がする別のメンバーもありました。

翌(2017年)4月30日(日)は,ひいらぎあらけんでした。
この日も朝方に宅配便を営業所まで自転車で取りに行って自由の身となり,ひいらぎへも自転車で行きました。曲目はナポレオンやナイトフラワーの共演が印象に残りましたが,野口★健の時にじょじょでしたかの客席でお見かけした当時ほぼ臨月に近かった妊婦さんが,今度はお子さん連れで鑑賞にいらっしゃっていて,ライブに歴史ありと思われたことでした。健さんによると,かなり以前に釧路方面でしたかで聴いてくれたことのある女性客もお子さん連れでいらっしゃっていたとかで,やはり感慨深いものがあったようです。
終演後はまた自転車で大通まで走ってから帰宅し,朝からの走行距離がけっこうなものとなり,少々くたびれました。

こうして4月は終わり,5月は連休前の仕事帰り,札幌市資料館の嵯峨さんを素材にした写真展での演奏に始まります。

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